(まだ余韻が・・・・・)
温泉に浸かって、この身体の喜びようを観察していました。
不安や心配事の多い私が、
この一瞬だけは、すべてを忘れて、しみこむ温泉に体をゆだねていると、自然に「ありがとう」という、まだ言葉にならない前の感じをはっきり意識することが出来ました。
その感じに意識を集めて、身体に生まれ始めた思考をながめていると、喜びのエネルギーが体の底の方からわきがって来るように感じます。
最初はかすかな兆しのような雰囲気が、少しずつ喜びの色に変わっていくのです。
私の中にあるわだかまりが心の中で、塊になっているのが見えます。
その灰色のような塊が、湧き上がってくるエネルギーにほだされるように包まれます。
「ある」という感情は、どんなものだろう・・・・それがこの灰色のかたまりを取り除いてくれる。思考が連想してそんな思いが動きます。
私はただ眺めているだけです。成り行きにすべてを任せて、生まれてくる思考を見つめ続けました。
しんしんと暖かさが身体を通りぬけて、一瞬私は思考だけになったように思いました。
その時、灰色のかたまりが、ふわっと崩れたように思いました。そして、言葉が生まれたのです。
「ありがとう」
言いたくてたまらない気持ちが、やっと言葉になったそんな感じだったかもしれません。分かった。そんなふうに思いました。
「よい」・「わるい」・「ふつう」・「わからない」という評価を超える感情、「ある」という評価から生まれる感情を言葉にしたらどうなるのか。
それは感謝なのだと、その時私は自分の身体と心をみつめることで見つけた気がしました。「ありがとう」は、確かに私が意識して思ったのではない。生まれてきたという実感のほうが強いし、この観察はきっと間違っていないと私には思えました。
感謝の感情は「ある」という思いで満たされています。「ある」という意識は、今ある自分をすべて受け入れる意識ですから、それはつまり「ありがとう」につながるのです。
そこで私は、呼吸法を考え付きました。
腹式呼吸をして、「生まれてきて」と意識して空気を吸いこみ、「ありがとう」を意識しながらゆっくり吐き出す。それを繰り返すだけですが、これは効果があるように思います。
「生まれてきて」のところは自由に、生まれてくる考えを受け入れて、思うにまかせた言葉を感じます。そして「ありがとう」と吐く。そんな呼吸を試してごらんなさい。
きっと「ある」という感情を体験することが出来ると思いますよ。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます