居場所・心の根の張る所
あなたは浮かんでいる。
それは私達の狭い既成概念を打ち壊す。
そしてその事実を証明するものは、寝転がったあなたの全身に感じる地面との接点にある。以下、仰臥位で瞑想するイメージを意識しながら書いてみよう。
自分の背中や腰に体重が圧迫感となって感じるだろう。それこそがあなたが浮かんでいることの紛れもない事実を伝えている。この体感は決して妄想や幻覚なんかではない。私達は自分の手や足や内臓の実感から自分の身体を知る。それとまったく同じようにこの重力の実感はあなたが浮かんでいる姿を知らしめてくれる。
もっとも、この重力感を自分の体重と考えてしまったらその先に進めない。意識は古い概念から抜け出せないだろう。そうではなく、それを引力と考える。そこに意識の逆転が生まれる。
地球と私達の間に働いている力は、圧倒的な質量を持つ地球の重力に引き寄せられている引力なのだ。正確には引き合っているということなのだろう。
横道にそれるが、この自分の身体がどんどん大きくなっていくと考えたら面白い発見がある。少し寄り道して、際限なく肥満していくあなたを想像してみよう。あなたの身体が重さのために少しずつ地面にめり込んでいく。自分の力で飛び跳ねることはとうに出来なくて、それでも大きくなり続けるとあなたの質量が地球と同じになる。すると地球とあなたはもはやどんな力をもってしても切り離せない一つの身体になっているだろう。
それは原子の核融合と同じような力関係になっているに違いない。その引力を無理やり切り離して力を解放したら、膨大なエネルギーが放出される。つまり原子爆弾ということだ。あくまで空想の遊びだが。
遊びはともかく、まがいもなくあなたは地球を背負って宇宙に浮かんでいるのだ。その姿を実感させるのが地球とあなたの間にある引力のなのである。(引力は地球の回転による遠心力を重力から差し引いた力)
この風景は否定しようのない事実だろう。我々が最も信頼する科学が見せてくれる地球と、それを介して実際にこの目で確認できる地球の姿と手に触れる感触から、私達が地球に張り付いて宇宙に浮かんでいるのは疑いようのない現実だ。
自分の背中が自分だと思うのは、背中に意識を向けて感じる体感と、触ることのできる現実感、そして鏡で見る自分の姿である。
同じように、地球と一体になっている巨大な身体を自分だと思えるとしたら、それは背中と地球の間で体感している引力の強さであろう。手を伸ばせば地球を触ることも出来る。地球を含めてこれが私なのだと考える条件はそろっている。
地球の引力は愛なのか、物理現象なのか。
もちろんそれは物理現象であることに間違いあるまい。私に言わせればそれは空理現象と考える方が合理的だと思うのだが。
この宇宙空間に、愛などと言う物質がある訳ではない。
にもかかわらず、私達は愛を考え実感し、渇望する。その裏返しに苦悩と喜びが心の中で渦巻いている。物理現象とは全く違うシステムで動く心の世界があるのだ。
私は長くその心の世界を眺めてきた。「のしてんてん」とは心を意味する言葉として考えた造語で、私の絵のタイトルでもあるのだが、この長い試行錯誤の中で、少し見えてきたことがある。
「物理現象」と「心」という相いれない二つの世界なのだが、実は切り離せない接点を持っているということなのである。
それがこの地球の引力ではないかと私は思うのだ。
引力、互いに引き合うこの物理現象が、実は心の原点ではないのかと。
そう考えると、地球と引き合うこの無条件の力が愛という人間の心を創りだしたと想像することが出来るのだ。
心の世界は、物質とは直接かかわらない。心の中に物質を思い描いても心は変わらない。目の前に黄金を積まれても、その喜びは表層的で心の奥底を満たすことは出来ないのだ。
しかし、地球の引力に気付いたとき、その物理現象は己の生命そのものと完全に重なる。心の生まれる場所という予感が不思議なほど大きくなる。ここに愛の原型があるのだと自然に思えるようになるのだ。
引力は男女の愛に著しく重なる。新たな命を生み出すシステムを私達は物理現象と考えたことはない。生病老死、輪廻の思想に物理現象を重ねることもないだろう。
しかし明らかに、そこから見える心の世界は物理現象に裏打ちされているのだ。
そう考えると、心は明らかに人間が生み出したものだと分かる。その実体は己の命をつなぐ物理現象、すなわち宇宙の姿を人間の言葉で理解したものなのではないかと思えるのである。
物理現象が心を生み、心が心を生む。だから心は言葉を越えている。
言い表せない不安や言葉にならない恐れも、とりあえず言葉にならない重力感がいきわたって全身にしびれるような至福感を味わうことで消えていくこともある。
心はつまり、この宇宙と地球の摂理である引力。それを生み出す重力にしっかり根を下ろしているということになるだろう。
膨大に広がった心の世界に私達は根無し草のように漂い、人生は苦だと言わせてしまうほどに心を痛めつけることがある。しかしその心が現実に根を張っているのはこの地球なのだと考えられるのだ。地球と共に生きている。そのことに目を向けて、ちっぽけな自分から抜け出す。心に呼び込んだ巨大な地球に不動の杭を打ち込めば、人は多くの苦悩から救われるのではないのか。そう思えてならないのだ。
地球に乗っているという認識を、地球に引き付けられているという認識に意識を逆転して考えれば、心が大きくなる。それはつまり、心は認識を変えることで大きく変わることを意味している。
つまり様々な苦悩も、認識を反転させればそれは喜びに変えられるということなのだ。
誰の心にも少なからずそのような経験はあるだろう。「災い転じて福となす」も似たような心の働きと見ることも出来るだろう。
「悪し」と思う心も、どこかに「良し」と思える意識の逆転が必ずある。「悪し」にしがみついたらいつまでも抜けられない苦悩であっても、心が「良し」に転じた瞬間に爽やかな空気が流れる。しあわせはそこから生まれるのだ。体が喜んでいる。それを私は至福と考えるのだが、
この至福感もまた、体内宇宙の素粒子同士の引力を愛だと予感して心がそれを捉えているのではないのか。そんなことを思うこともある。
素粒子間の引力がなければこの肉体は存在しないのだから。
ちょっと見方を変え、意識をひろげてみたら、思いがけない人生の変革があるかも知れない。私に言わせれば、一本線を引くだけでも人生が変わるということなのだ。
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