私は師に恵まれた人間だとつくづく思う。
その思いは感謝に包まれている。
時の流れは瞬きをする間も休まないが、私には一つの過去が今も手に触れるほど、間近にある。
それが恩師だ。
中学卒業の日、担任が人の流れからそれるように、二階の理科室に続く階段に私を誘った。その階段の中ほどで先生が立ち止まると、私たちはステップの上で向かい合う格好になった。
先生が手を差し延べた。自然に応じた私の手が大きな手の中に握られた。
「可能性の追求、それを忘れるな」
そのとき私はどう答えたのか。
「はい」の「は」だけだったような気がする。
「い」はいまだに心の中で発音し続けている。
「可能性の追求」はこの瞬間にまで浸透し、私自身が神であるという悟りにまで導いてくれた。
この悟りがすべての瞬間にいきわたるまで、私は「い」を発音し続けるだろう。
曲がらずに、人の可能性を追い続けてきた。
それは師によって守られたためだ。幼少の叔父、小、中、高、アートの師、
必要なときに、必要な師が現れた。
気後れし、いじめられ、不登校で母を泣かした劣等性を育てるには、
これだけの人の手厚い見守りが必要だったということなのだろう。
「い」の声は、今や師の耳には達しないが・・・、
このこぼれるばかりの幸福感に感謝するしかない。
この幸せは、すべての人の心の中に同じように花開くに違いない。
私が神なら、地上の人類のすべての個人が、一人ひとり神なのだ。例外はない。
その可能性を追求しなければ
最後の「い」を言い切って死ぬことはできない。
それが私の、恩師への返答だ。
師の訃報を受けて、そのありがたさが様々に思い浮かびました。人は一人で生きているんではないのですよね。
そして、恩を返すのは自分が成長することなのかもしれない。親の愛に似ているのかな?