(8)2009.10.25(柿の木)
田舎の家にはどこにも 柿の木があった。
女の人が嫁入りに柿の種を持って行く風習があったのだとどこかで聞いた記憶がある。
母もそうしたのかは知らないが、実家の庭には今も柿の木がある。見上げるほど大きなその木は 屋根に上っても手に届かなかった。
長い竹竿の先端を二つに割った。その口に細い棒をくわえさせる。その開いた口を赤い実のなっている枝に差込み、くるくる回してねじ切ると、どんな高いところの柿の実も採れる。母はその名人だった。
「家の柿みたいやのぉ」
「そうよのぅ」 今気付いたように母が笑った。
「今頃、実ィもなっとろうの」 母の眼が遠くになった。
「そうやな、カラスが喜こんどるやろなァ、誰も採るもんおらんさかナ」
「そうよのぅ」 母が笑った。家に帰りたいとは言わない母だった。
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この日はマルから描き始めました。いくつも重ねているうちに、大きなマルのかたまりが出来てきました。なんとなく形がまとまってきたのを見計らって、クレヨンの箱を母の前に出すと、真っ先にオレンジ色を選んで塗り始めます。
明らかにマルを意識している塗り方です。母の中に何かのイメージが見えているのだと思いました。私にはそれが柿の実に見えましたので、母にそういうと、笑顔になって、昔話に花が咲きました。
心のデッサンは、無意識から生まれることが多いい。それは母に限ったことではなく、わたしたち人間の本質につながっているからです。
無意識から生まれた線が、意識のもとに姿を現すと、誰もが笑顔になるのです。
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私は最近、「空」というものを意識するようになりました。
絵を描き続けて半世紀ですが、我と言う意識が描く絵の限界は早くに感じていました。それはこんなふうに、自分の力に対する失望から始まったのです。
デッサンをし、自分の思い描く絵を描く。
それを十年続けましたが、絵の世界には超がが付く天才がたくさんいて、私には到底その端くれにも及ばないということを思い知っただけで挑戦はあっけなく終わってしまったのです。
その時私はひねくれていたのだと思います。
お前は天才になれないと宣告されると、天才になれないなれないのなら、天才と天才の隙間に身をおいて、天才でない天才を見つけようと思ったのです。
通勤電車の中で10万人スケッチを思いついたのはその時です。人から馬鹿にされるような取るに足らないスケッチを誰も描いたことのない枚数描いてやろうというのです。
決心したら続ける。これが私の唯一の武器。1981年から3年余りの年月、通勤電車の中で来る日も来る日もスケッチを続けたのです。気持が乗ってくると一日1000枚描くこともありました。
やろうとしたのは、無意識になってどこまで描けるかでした。うまい絵を描くのではない。むしろへたくそにただ見た人の顔のイメージだけで線を引くということを繰り返したのです。
そこから私の鉛筆絵画が始まったのですが、これまでその時のもっとも大事なことに気付かなかったのだと思います。
と言うのも、今になって自分の意識の外からやってくる力が必要だと思い至ったとき、その体験を10万人のデッサンですでに体験しているのではないのかと、今更ながら思い至ったからです。
そう気付くと、母の絵がいっそう際立って見えるのでした。
10万人のデッサン ↓
1982年 4000枚目
1984年 94000枚目
意識に支配された絵と、無意識を受け入れた絵のちがいがここにあるように思えるのです。
暑いですが、お元気ですか?
私はやや、ぐたっ。でもご飯は美味しい。めでたいんだか、めでたくないんだか(笑)。
『10万人の顔』、懐かしいです。
発表なさった頃、私はまだ高校生で、『演劇部顧問のヤブさん』が涼しい顔?でこんな偉業を成し遂げてらっしゃるのを知り、まずビックリ。演劇部員みんなでお祝い文集を作りましたっけ?
『10万人の顔』個展のオープニングパーティーに部員達で押し掛け、その時のマスターのお師匠さまの一言挨拶の言葉、今も印象に残っています(この方が『浅い!』のお師匠さまですよね?)。
「この絵は別に芸術やない。でも、10万枚描いた行為は芸術や」
意味は明確にはわからなかったものの、すごいインパクトと説得力がありました。
鬼気でないと天才の世界に根を下ろせない、と直感したのでしょうね、きっと。
でも
のしてんてんの龍には
その鬼気が無かったです。
なぜか?
なぜ、のしてんてんの龍は
正気を保っているのか?
なぜ、鬼気なのに
鬼になっていないのか?
なぜ、狂った天才になることを諦め
正気の鬼になっただろうか?
そして、山いちご ♪
美味しそうなものに弱い私ですが、山いちごは一度も食べたことがありません。
小さい頃、姉から「 ありゃ、毒だ 」
と言われて育ちました。
「…天才に一生かけてもたどり着けないことを悟って、ひねくれて、天才でないならその中で一般人を超えた業を目指して、自分の残された武器を信じて」
…なぜのしてんてん様がまるで心を読んだようなコメントが返ってくるのか…自分の過去を見てきたような…。それが今回の記事で分かった気がします(笑)
そして私なりに…この言葉を伝えたいと
「お母様の絵を振り返り、過去の絵を振り返り、そこから改めて気づいたものがあり、そこに答えを見て…
”今この記事が生まれている”」
…もし、過去に無意識の絵画は既にやったと想っていたらこの記事は無かったと想います。
…そしたら10人チャレンジも無意識の人物デッサンも知らなかった人がいる(確実にここに1名)。
私が桂蓮様の英訳に一つ推した理由でもありますが
「時・機会と言うものは唯一無二の価値がある。だから意味のない・価値のない事など無い。」
学問で言うなら”個人の偉業の再発見と今度こその表舞台(メンデルの研究がこれだったり)”
…それが私がブログを通じて学んだことでもあります。
ブログ記事と言う形だからこそ持つものがある、この記事のような価値、と。
「お母様がリハビリの中で、一度もデッサンをしたことのない方が描く心の絵画、それを息子が想い出や話と共に載せた”記事”」
・要素を掛け合わせればそこに比べ物にならない価値のものが生まれる←ここは請け売りです。…私がブログを始めるきっかけになった本の一つから。
余談:むっちゃん様のコメントの
「この絵は別に芸術やない。でも、10万枚描いた行為は芸術や」
…これは相当な、褒め言葉と受け取っていいと想います。…喜ぶと『浅い!』と言われてしまう難しいものではありますので”次は更なる業に挑戦します!”になってしまいますが(汗)
改めて…様々なものが詰まった この記事に感謝を!!
正)10万人チャレンジ …せっかくのスケールが…。
+sure_kusa様へ~「毒のある野イチゴは無いっぽいです。ただヘビイチゴは超々不味いと。」(愛用の本に毒のあるイチゴが載ってなくてネットで調べるという汗)
※といいつつも、野草は基本リスキーなので…キノコはロシアンルーレットと言ってもいいレベルだったり。
あの作文集、まだどこかにあるはずで^す^
まさに、「この絵は別に芸術やない。でも、10万枚描いた行為は芸術や」に始まり、「浅い」で終わった師との関係でしたね。
芸術とは生き様、生きるということそのものなんだと言われ続けてきたように思います。
生まれつき天才を発揮できる人もいますが、発揮できないでいる我々すべての人びともまた、天才が隠れている。
私が学んだことはここに尽きる気がします。だから、天才に気付きなさいと、言い続けたいのです^よ^
帰って来たら、姉のおなかがチョッと膨らんでいた様な気もします・・いや、超膨らんでいたかも。
姉に「 イチゴ美味しかった? 」って聞けばよかったです。
「 イチゴ、いや一度に食べなきゃ良かった 」って返事だったりして ♪
折師さま、貴重な情報をありがとうございました ♪
私が必要としている後押しはそこかもしれませんね。
正気から出発したものは
正気の殻を破るのに苦労を強いられるということかもしれません。
殻を破れないまま腐るたまごもあります。
私はそれを見つめているのです。
きっと。
この絵を見て私も、いつもこれを連想いたします。
もちろん記事に書いた、柿もあるのですが、私は母に言ったのは、数ある連想の中から、母とつながる柿を選んだだけで、実は第一印象はイチゴでした。
是非食べてみてくださ^い^
甘酸っぱくおいしいですから、
竹の筒に山イチゴを摘んで、細い竹筒をストローにするんですが、飲む前にストロー筒でイチゴを突きつぶしてジュースにするんです。それを竹ストローでいただく。
子供時代のよき思い出で^す^
自分の中から価値あるものを見つけたい。
長い模索の中で、価値は生きることそれ自体の中にあると思うようになるのですね。
毎日の、生きるということの中に、価値あるものは必ず姿をあらわっしてくれる。
そう信じて行きたいと思うのです。
この記事が折師さんの心に響いてくれてよかったで^す^
これからもよろしくお願いします^ね^