(20)2010.1.16(ピカピカの1年生)
「おばあちゃんの絵を楽しみにしてくれる人がいるんやで。ほらこのおばあちゃんの描いた絵見てみいな、81歳の素敵な絵を描いてください、楽しみにしていますって書いてくれてるやろ。」
「ほに、そうやな。」
「みてみ、ゆうたとおりやろ、おばあちゃんの絵は一人前の絵なんや。」
「こがなくさったげな絵がな?」 そう言いながら嬉しそうだった。
そして今日、母の絵に格段の進歩があった。
線をひく心に広がりが感じられた。はっきりと線の上に自分を見つけようとしていた。
いつもは私がアドバイスする色を塗るばかりだったのに、今日は私の言う色をほとんど使わず、自分で色を選び始めた。そして何より、絵に向う気持ちが絵かきの姿をしていた。
「年取って足腰動かんでも、人生終わりやと思うたらあかんで、絵かきの人生はこれから始まるんやさか、おばあちゃんは今うまれたばっかりや」
「終わりやのうて、始まりやてか」
「そうや、ピカピカの一年生や」
母は大笑いして、そしてこんな絵が出来た。
「力強い絵や、ゴッホみたいやなぁ」
「なんやそれ?」
「ヨーロッパの偉い絵描きさんや」
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ブログで紹介した絵に感想が届いた。
8年前の会話を今もい出す。
この日、私は本当に母が新鮮に思えた。
今まで、どこかにリードするような感覚があったが、その日の三角の絵は、独り立ちした母の姿のように思えた。
ピカピカの一年生という言葉は
その時瞬間に浮かんだのだが、自分で歩き出す姿が私にはまばゆいもののように思えたのだ。
身体は不自由になっていくばかりなのだけれど、心が輝いている。
そんな思いが伝わってくるのは、
やはりピカピカの一年生というのが一番近いような気がする。
趣味をもたない高齢者が身近にも多くて、
なんとなく時を過ごしている人たちをみると、
なんとか、こんなときめきが、80を越えた無趣味な心の中にもあるということを伝えたいと思ってしまう。
新しいことを始める気持ちが起こるような
心のときめきを
どうしたらどうしたら伝わるのだろう。
こんばんは!
お母様の絵画を
拝見させて頂いておりますと、
いつも岡本太郎画伯のお言葉が
思い出されます。
手なれたものには飛躍がない。
常に猛烈なシロウトとして、
危険をおかし、
直感に賭けてこそ、
ひらめきが生まれるのだ。
まさにお母様の絵画☆♪
どのような創作も、
やはり常に初心の緊張感と集中力、
喜びと感動が大切なのでしょうね。
お母様は、瞬間!瞬間!
常に全身全霊で
挑んでいらっしゃいますもの!
素晴らしいです!
お母様に感謝感激!
いつもありがとうございま^す^☆
手なれたものには飛躍がない。
常に猛烈なシロウトとして、
危険をおかし、
直感に賭けてこそ、
ひらめきが生まれるのだ。
この言葉は私に対しても手厳しい創作の心得だと思いますね。
母を見ていて、それは正しいとも思わされます。
けれど、私がそんな母を見て、これは誰でも出来ることなのだということなのです。
母だから出来たと考えてしまっては、大袈裟に言えばですがまるで巨匠を見るような目になってしまうのですが、これは母の絵を紹介する私としては失敗だというしかありません。
母のような無趣味の、身動きの不自由なものでも出来ること。
だから、これをみてくれる皆さんが、私も出来そう。
ただ手を動かすだけでいいんだと思って頂けたらということなんです。
本当に、そうなんです。
やってみようと思ったら、誰でも出来る。
そしてやり始めたら、思いもよらない自分と出逢えるんですね
まかこさんも、やってみてください^ね^