徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

「西南の役見聞録」とわが町

2014-06-25 21:59:00 | 歴史
 津々堂さんのブログ「津々堂のたわごと日録」で、明治10年の西南の役を目撃した吉田如雪という人の「西南の役見聞録」という著が紹介されている。読んでいくと、今のわが家周辺のことがいろいろと書かれていて実に興味深い。なかでも、これを読んで腑に落ちたことが一つある。それは、官軍側の砲台が「瀬戸坂上松枝亘屋敷」にあったと書かれていたことだ。瀬戸坂上で砲台を据えるとすれば、おそらく今のFさん宅であろう。この家は独特の「むくり屋根」で相当古い建物という話は聞いていたし、3年ほど前、Fさんの奥様から「家には西南戦争時の弾痕が残っている」とお聞きしたこともある。その時は、ここら辺で戦闘があったという話は聞いたことがないなぁと思ったのだが、砲台があったとすれば薩軍の標的になってもおかしくない。たしかにこの家からは寺原田畑や坪井方面が一望できるので砲台を据えるには絶好の場所だったに違いない。
 他にも聞き覚えの名前がいろいろ登場するが、思わず笑ってしまったのは、「今日家財を五丁川東村岩崎古平と西梶尾村不浄取・丈平竝に弁慶下熊屋敷に送る。」と書かれた一節。戦火を避け家財を安全な場所に移すために、五丁(今の西里)や西梶尾村の荷馬車や肥汲み馬車を手配したようだ。実は僕が子供の頃、まだ水洗便所は普及しておらず、西里村や西梶尾村あたりから定期的に肥汲み馬車がやってきていた。それを思い出し、つい可笑しくなってしまった。不浄な話で恐縮。


西南の役の時、砲台が置かれたと思われる場所