幸山政史熊本市長が次期熊本市長選に出馬しないことを表明し、3期12年続いた幸山市政があと半年で終わることになった。2002年の初出馬以来、僕は一貫して幸山さんを支持してきた。それはその2年前に他界した僕の父の遺言でもあると思っていたからだ。幸山さんのお父上は五町小学校(今の西里小学校)時代、僕の父の生徒で、卒業後も永い交流があり、今でも正月には賀状をいただいている。もし、父が生きていればおそらく積極的な応援をしただろう。そんなわけで僕も幸山さんを支持したのだが、最初の選挙の時は、相手が現職市長だった三角保之さんで、幸山さんにとって(僕にとっても)高校の大先輩であり、同窓会を二分したと聞く。また、二期目の選挙の際は、自民党が対立候補を立てて激しい選挙戦を展開した。僕はその頃、親戚の自民党市議の事務所に時々手伝いに行っていたが、激しい幸山市長攻撃にいたたまれず、手伝いに行くのをやめた。いろんなイベントなどで幸山市長を見かけることはあったが、ご挨拶をしたのは2007年3月、中国の馬頭琴奏者リポーさんのコンサートを開催した折、市庁舎への表敬訪問に付き添った時の1回きりだ。
12年の幸山市政の政策には賛成しかねるものもあったが、「政令指定都市」や「熊本市再開発」、「観光振興」、「こうのとりのゆりかご」等々、間違いなく熊本市史に残るであろう熊本市の一つの時代が終ろうとしていることは間違いなく、万感胸に迫るものがある。
▼2011年10月1日「秋のくまもとお城まつり」における幸山市長
▼2010年8月8日「城華まつり(普賢寺)」では幸山市長と隣り合わせの席でザ・わらべの踊りを見る
12年の幸山市政の政策には賛成しかねるものもあったが、「政令指定都市」や「熊本市再開発」、「観光振興」、「こうのとりのゆりかご」等々、間違いなく熊本市史に残るであろう熊本市の一つの時代が終ろうとしていることは間違いなく、万感胸に迫るものがある。
▼2011年10月1日「秋のくまもとお城まつり」における幸山市長
▼2010年8月8日「城華まつり(普賢寺)」では幸山市長と隣り合わせの席でザ・わらべの踊りを見る