先日面白い話を聞いた。壺川小学校の裏の道を歩いていると、下の現在の地図の赤いポイントの家の前に差し掛かった時、ちょうど僕よりひとまわり以上は年上かと思しきご高齢の男性が家から出て来られた。軽く会釈を交わして通り過ぎようとしたのだが、ここで出会ったのも何かの縁と思いたずねてみた。「ここら辺は昔、坪井川が流れていたんですか?」すると「あゝそうだよ」と。そして興味深い話を次々と語られた。曰く、「今のわが家の下を川がながれていた」「家の裏には昔の土手の跡が今でもある」「流長院のところは中洲になっていた」「今のわが家の辺りは流れが早くなっていて、遡ってきた川舟はいつも難儀して、土手から綱で引っ張っていた」「今の坪井川の流れている辺りは淀んだ泥川だった」等々。
下の大正時代の地図に当てはめて見るとまさにその通り。往時の風景が目に浮かぶようだった。河川改修が行われたのは昭和初期だとは聞いているが、昔の坪井川をご存じの方に出会うとは思わなかった。
下の大正時代の地図に当てはめて見るとまさにその通り。往時の風景が目に浮かぶようだった。河川改修が行われたのは昭和初期だとは聞いているが、昔の坪井川をご存じの方に出会うとは思わなかった。
▼現在の地図
▼大正時代の地図

