新年の1月23日、大分市の鶴崎で舞踊団花童が初めて公演を行うことになりました。
花童のサポーターのお一人でもあり、NPO鶴崎文化研究会の一員でもある栗田弘一さんが2年がかりで奔走され、このほどやっと実現することになったものです。
昭和38年(1963)3月に大分市と合併するまでは鶴崎市であった鶴崎地区には現在支所が置かれています。この鶴崎は熊本と歴史的に深い関係にあります。関ヶ原の後、加藤清正は肥後熊本藩の飛地として、鶴崎や佐賀関などを所領とすることになり、瀬戸内海への拠点としました。加藤家改易の後を継いだ肥後細川藩も、参勤交代は豊後街道を経て熊本から鶴崎に至り、佐賀関から海路で大坂に渡る経路をとりました。
街道の整備や鶴崎の町づくりなどを行った加藤清正公は、今でも鶴崎で崇敬されており、命日前夜の7月23日の夜は毎年、法心寺(清正公建立)の境内に千の燈明を灯して二十三夜祭が行なわれています。
そんなゆかりの深い鶴崎で、「熊本の宝」とも言える花童が公演することになったことはとても意義深いことだと思います。
日 時:平成28年1月23日(土) 9:30~12:15
会 場:大分市鶴崎市民行政センター(〒870-0103 大分市東鶴崎1丁目2番3号) TEL 097-527-2350
▼豊後街道(肥後街道)(図クリック → 拡大)
▼肥後細川藩の参勤船団(鶴崎港)(図クリック → 動画再生)
▼肥後五十四万石(写真クリック → 動画再生)
花童のサポーターのお一人でもあり、NPO鶴崎文化研究会の一員でもある栗田弘一さんが2年がかりで奔走され、このほどやっと実現することになったものです。
昭和38年(1963)3月に大分市と合併するまでは鶴崎市であった鶴崎地区には現在支所が置かれています。この鶴崎は熊本と歴史的に深い関係にあります。関ヶ原の後、加藤清正は肥後熊本藩の飛地として、鶴崎や佐賀関などを所領とすることになり、瀬戸内海への拠点としました。加藤家改易の後を継いだ肥後細川藩も、参勤交代は豊後街道を経て熊本から鶴崎に至り、佐賀関から海路で大坂に渡る経路をとりました。
街道の整備や鶴崎の町づくりなどを行った加藤清正公は、今でも鶴崎で崇敬されており、命日前夜の7月23日の夜は毎年、法心寺(清正公建立)の境内に千の燈明を灯して二十三夜祭が行なわれています。
そんなゆかりの深い鶴崎で、「熊本の宝」とも言える花童が公演することになったことはとても意義深いことだと思います。
日 時:平成28年1月23日(土) 9:30~12:15
会 場:大分市鶴崎市民行政センター(〒870-0103 大分市東鶴崎1丁目2番3号) TEL 097-527-2350
▼豊後街道(肥後街道)(図クリック → 拡大)
今市宿場町見取図より
▼肥後細川藩の参勤船団(鶴崎港)(図クリック → 動画再生)
鶴崎剣神社の絵馬より
▼肥後五十四万石(写真クリック → 動画再生)