今年は熊本城天守閣が昭和35年(1960)に再建されて60年の年。昨日、二の丸広場から天守閣を眺めながら、幼稚園の帰りのお決まりのコースだった本丸の思い出に浸った。天守閣が再建される10年も前のことだ。

昨日の熊本城天守閣
千葉城町の幼稚園を出ると千葉城橋を渡って須戸口門へ。平御櫓から一気に十八間櫓へ登り、そこから左折して石段を登ると本丸の広場に出る。当時は大天守も小天守も、もちろん本丸御殿もなく、ただの広場だった。広場を西に向かって抜け、頬当御門を出て右折。当時の熊本城のシンボル宇土櫓を右に見ながら進み、監物台を左折し、新堀橋へ向かう。新堀橋を渡ると、愛染院の前から加藤神社(当時は新堀町に鎮座)の脇道を通って加藤神社の中へ。神社内でしばらく遊んだ後、神社の裏口を出て、裁判所の前を通り、中坂を横切って京町測候所の前へ。そして柳川小路を下って新坂へ出る。これが帰り道のコースだった。

昭和33年(1958)の頃の本丸

昭和34年(1959)再建工事中の天守閣

昨日の熊本城天守閣
千葉城町の幼稚園を出ると千葉城橋を渡って須戸口門へ。平御櫓から一気に十八間櫓へ登り、そこから左折して石段を登ると本丸の広場に出る。当時は大天守も小天守も、もちろん本丸御殿もなく、ただの広場だった。広場を西に向かって抜け、頬当御門を出て右折。当時の熊本城のシンボル宇土櫓を右に見ながら進み、監物台を左折し、新堀橋へ向かう。新堀橋を渡ると、愛染院の前から加藤神社(当時は新堀町に鎮座)の脇道を通って加藤神社の中へ。神社内でしばらく遊んだ後、神社の裏口を出て、裁判所の前を通り、中坂を横切って京町測候所の前へ。そして柳川小路を下って新坂へ出る。これが帰り道のコースだった。

昭和33年(1958)の頃の本丸

昭和34年(1959)再建工事中の天守閣