大浜町の叔父が九十歳の生涯を終え旅立った。叔父にとって僕は初めての甥っ子だったので小さい時から可愛がってもらった。ユーモアに富んだ人で大好きだった。祖父の代から玉名市大浜町で始めた理髪店を継ぎ、一生を「床屋のおやじ」として終えた。仮通夜の席でふと、あの「巧まざるユーモア」はどこから来たのだろうと考えた。祖父もユーモアのある人だったのでその血を受け継いだのは間違いないが、どうもそれだけではないようだ。江戸時代から「髪結い」の店はサロンであり社交場だったという。いろんな身分、職業などの人が集まり、世間話をする。いきおい店のおやじはそうした種々雑多な情報に触れ、世事に明るい存在となる。また、大浜町の歴史的背景もあったろう。江戸中期から菊池川の土砂堆積により港としての機能を失った高瀬に代わり、河口の大浜が肥後米の積出港となった。廻船問屋が軒を連ね、大きな廻船がやって来た。船とともに江戸や上方の文化も入って来たろう。明治時代になり、「髪結い」から「床屋」になっても海運に乗って様々な人々が往来した。僕が子供だった戦後間もない頃、大浜の床屋にはまだそんな歴史の名残りがあったように思う。叔父の「巧まざるユーモア」は仕事を通じて身に付けた幅広い知識に裏付けられたものだったのだろう。
