滋賀県彦根市に住んでいたのはもう26年前になる。仕事でも私用でも長浜にはよく行った。行く時はいつも琵琶湖東岸の湖岸道路を使った。琵琶湖を眺めながら10分ほど車を走らせると、その昔、朝妻湊(あさづまみなと)があったという場所を通過する。この湊は中世の頃、琵琶湖水運の要衝として大いに栄えていたが、江戸時代に入って内湖の米原湊(JR米原駅東口にその跡あり)にその役割をとって代わられ衰退したという。
また、朝妻湊には遊女が乗る朝妻舟の伝説が残る。英一蝶を始めとする多くの画家たちが画題としているが、烏帽子、水干をつけた白拍子ふうの遊女が鼓を持つ構図はみな同じだ。もとは零落した平家の女房たちが客をもとめて舟を浮かべたという。
江戸中期には山田検校が「今様朝妻舟」として筝曲化し、江戸後期には歌舞伎舞踊「浅妻船」として舞踊曲化された。
昭和30年に、美空ひばり、江利チエミ、雪村いづみの三人娘による映画「ジャンケン娘」が製作され、劇中、美空ひばりが「浅妻船」を舞う珍しいシーンがある。
英一蝶の「朝妻舟」
鈴木春信の「朝妻舟」 木曾路名所図会「朝妻舩」
▼美空ひばりが舞う「朝妻舟」(映画「ジャンケン娘」より)
また、朝妻湊には遊女が乗る朝妻舟の伝説が残る。英一蝶を始めとする多くの画家たちが画題としているが、烏帽子、水干をつけた白拍子ふうの遊女が鼓を持つ構図はみな同じだ。もとは零落した平家の女房たちが客をもとめて舟を浮かべたという。
江戸中期には山田検校が「今様朝妻舟」として筝曲化し、江戸後期には歌舞伎舞踊「浅妻船」として舞踊曲化された。
昭和30年に、美空ひばり、江利チエミ、雪村いづみの三人娘による映画「ジャンケン娘」が製作され、劇中、美空ひばりが「浅妻船」を舞う珍しいシーンがある。
英一蝶の「朝妻舟」
鈴木春信の「朝妻舟」 木曾路名所図会「朝妻舩」
▼美空ひばりが舞う「朝妻舟」(映画「ジャンケン娘」より)