縄文人(見習い)の糸魚川発!

ヒスイの故郷、糸魚川のヒスイ職人が、縄文・整体・自然農法をライフワークに情報発信!

国立能楽堂の観能会のチケット譲ります!

2016年05月16日 07時20分07秒 | 日本海縄文カヌープロジェクト

「くびき野天地ひとカレッジ」の魔除け講座は、友人達も駆けつけてくれて満員御礼の内に終了・・・やれうでしや。

帰宅したら古い友達から手紙が届いていた。

草の根運動の草の根的存在として世界に名を知られる山田征さんからで、ご主人が国立能楽堂で主宰する観能会の招待券と私信である。

観能会にはここ十五年ほど毎年ご招待を受けているのだけど、Uターン帰郷して七年目になっても律儀に贈って頂いて恐縮・・どなたか行ける人に無料でお譲りします。

連絡はこのブログにコメント下さいな。

演目は私はまだ観ていないけども何時か観たいと思っていた「隅田川」。

 

 

在る時、日本文化に興味を持ったジョン・レノンが懇意にしていた銀座の骨董屋の主人に人形浄瑠璃に連れていってもらった。

子供をさらわれた母親が、子供を探して放浪の旅に出た挙句、隅田川の川岸に埋葬された我が子の墓を見つけ狂い踊るという筋書きの演目・・・であったらしいが、恐らくその時の演目は「隅田川」ではなかったか?と推測している。

陰気な演目だったので、骨董屋の主人が日本語も解らないのにジョンさんはさぞ退屈だろう、外に出ましょうか?と隣りの席のジョンに話しかけたら、ジョンは涙を流して感動していたそう。

ジョンさん、日本語も解らないのにこの演目が理解できるのですか?と聞いたら、ジョンは筋書きを正確に理解しており「こんな素晴らしい芸術に退屈するなんてとんでもない!」と答えたそうだ。

ジョンが感動した隅田川、見逃すな!!

即日、東京在住の幼馴染の女社長、直子嬢に譲る事になりました・・・。

 

 

 

 


縄文漫談でも文化的な講演会?・・・生涯初のサイン

2016年03月20日 20時23分13秒 | 日本海縄文カヌープロジェクト

3月19日に文化協会のイベントで、「海のヒスイ・ロード航海記」と題して講演をした。

単独で一時間半もの内容だから、11月頃に話しを貰ってからそれなりの準備をしていたのだが、直前になっても友達は知らんといっていた。

告知チラシは糸魚川市内に全戸配布したそうだが、広報はどうなっておるのか?

人はちゃんと集まるのか?と心配していたが、杞憂ぢゃった。

ほぼ満員御礼!

緊張もせず、途中で閊える事もなく話せたし、縄文漫談にも何回か笑いも起こってそれなりに和やかな雰囲気で終了。

そして講演後に生涯初のサインしちゃった・・・。

ただ残念な事に会場にマイクが用意されておらず、講演を始めてすぐに前の方に座っていたお年寄りが耳に手を当てて聞いていた事。

大声で「後ろの方は聴こえますかぁ?」と質問したら、聴こえま~す!と返事があったものの、聴こえない人にはその質問すら聴こえないよぁ・・・。

なるべく大声でハッキリとメリハリを付けた話し方に努めたが、興に乗るとどうしても早口になっちまうから困ったもんだ。

講演後に郷土史研究会の蛭子先生からも聴き取り難かったらしく、遠慮勝ちに「ボクは耳が遠いもんで・・・」と質問された。

それでも終わって気が楽になったが、縄文漫談でも文化的な内容だったのか?・・・オラ知らん(笑)


「海のヒスイ・ロード」航海ではこんなモノ食ってた

2016年03月15日 00時14分21秒 | 日本海縄文カヌープロジェクト

来る3月19日に市の文化協会から依頼の「海のヒスイ・ロード航海記」と銘打った講演会がある。

何時もの講演会なら縄文漫談的な話でウケ狙いをする所だが、「文化講演会」なので文化的な内容にせねば、と原稿作りの真っ最中である。

そこで三ケ月に渡る海旅の風景などの写真整理をしていたら、懐かしい写真を見つけた・・・メシの写真だ。

中央は雑穀を入れた米・左は味噌汁の出汁(昆布、切干し大根、煮干し、干し椎茸)・右が糠床

 

海旅の時は雑穀ご飯を主食にして、具だくさんの味噌汁、そして糠漬けを食っていた。

タッパに糠床を入れて海旅に出るアイデアは、知人の日本一周シーカヤッカーの鈴木さんから教えて貰ったのだが、三ケ月の旅の間に高温多湿のシーカヤックの中でも糠床は腐る事はなかった。

煮炊きの基本はガソリンストーブ。米を炊いてからムラしている間に味噌汁を煮るのが順番。

 

明るい内にキャンプしやすそうな浜に上陸して、最初にすることはソーラー充電器への充電。

そして米を砥いで味噌汁の出汁を取っている間にテント設営と衣類を干す事。

夕闇迫る頃、米を炊いてムラしている間に味噌汁を煮る。

それから糠床から食べる分の糠漬けを出して、明日の分の糠漬けを仕込む。

結構豪華なメシを食ってる図。海旅では梅干しやサザナミ昆布だって貴重なオカズ。

キャンプサイトに東屋やテーブルがあればいう事なし!新潟県内にはこんな海岸が多いのだけど東北には少なかった。ラジオの天気予報を聞きながら、夕焼けを観ながら食事したもんだ。

たまにはスパゲティも食った。麺と野菜を同時に茹でるのがコツ。塩胡椒とオリーブオイルは必須だったが、意外にもスパゲティの味付けは百均製品のフリカケが活躍して、ジャガバター味とメンタイコ味のフリカケが最も美味かった。

 

 

三ケ月もそんな暮らしをしていて、体重は二キロしか落ちなかったし病気にもならなかった。

エライぞ俺!

 

 


縄文人(見習い)の冒険譚のお粗末の巻!・・・糸魚川郷土研究第 六号刊行

2016年03月08日 19時46分11秒 | 日本海縄文カヌープロジェクト

二年前の「海のヒスイ・ロード」検証実験航海の航海記を執筆した「糸魚川郷土研究 第六号」がついに出版されて、高校の恩師であり郷土研究会の会長でもある蛭子健治先生から献本が贈られてきた。

読むのが嫌になる程に校正・加筆訂正してきた原稿だけども、出版された航海記を読むと当時の事が走馬灯のように鮮明に思されてくる。

酒田港で山瀬に吹かれて遭難しそうになった場面ではドキドキハラハラしたし、竜飛岬越えの場面では涙無くしては読めない(笑)

冗談抜きに何度も死に直面したので、よく生きて帰ってきたもんだと我ながら思う。

特に稿の最後を飾った青森の老漁師たちの写真を観た時、涙があふれ出た・・・。

どごから来たぁ?どごさ行ぐぅ?お茶っこ飲んでげ~!と底抜けに人懐っこくて優しかった青森の漁師達の写真で原稿を締めくくった。

 

拙い文章だけれども精一杯の仕事をしたつもり。

興味のある方は、糸魚川市内の図書館と公民館、県立図書館に置いてあるそうですし、糸魚川駅前の酒井書店で売っているそうです。

縄文人(見習い)の冒険譚のお粗末を、ぉ、ぉぉぉ~、乱筆っ、なが~らも~ぉぉ、務~めますぅ~!(広澤寅蔵の次郎長伝の外題付けの節でお読み下され)


「くびき野カレッジ天地びと」講演会のご案内

2015年09月24日 23時12分18秒 | 日本海縄文カヌープロジェクト

遅ればせながら、「海のヒスイ・ロード」検証実験航海についての講演会のお知らせ。

上越市のNPO「くびき野カレッジ天地びと」第11期後期の講師として、下記日程でお話しする機会を設けて頂きました。

講演の説明に使うために作った丸木舟のミニチュア。こんな船型じゃないと沖合遥を流れる対馬海流を利用できなかったというのが持論。

 

日時;9月26日15時10分から1時間

場所;上越市仲町6-5-1

内容;「海のヒスイ・ロード」検証実験航海記について

問合せ先;くびき野カレッジ天地びと事務局(http://space.geocities.jp/masuyakubikono/)

ヨロシク!


佳いぢゃないか!少年の悔し涙・・・「全国縄文丸木舟競漕大会」結果

2015年09月24日 09時25分20秒 | 日本海縄文カヌープロジェクト

今年も福井県若狭町主催の「全国縄文丸木舟競漕大会」に「チーム日本海縄文カヌープロジェクト」として出場。

今年のチーム日本海縄文カヌープロジェクトは、大人3組・子供1組も出場したので、大会DJさんは何度も「縄文時代に糸魚川ヒスイを運んだ丸木舟の検証をする糸魚川の市民団体が今年も遠路ハルバルの参加~!」と連呼してくれたので、少しは大会を盛り上げる事と糸魚川のPRに貢献はできたようだ。

初出場の糸魚川の子供チームは、訓練環境や年齢的なハンデを乗り越えての挑戦。

 

ちょっと残念な事は、第一回目大会の昨年のよりイベント全体の雰囲気が散漫な印象だった事と、運営自体がもたついて主催者側の熱意が薄れていた印象を受けた事。

それでも出場者のレベルは去年より格段に上がっていた。

昨年悔しい想いをした参加者はリベンジに燃えていたので、昨年準優勝の私と竜太君の組は薄氷を踏むような僅差で予選と準決勝で勝ち進んだ。

結果は昨年に続いて準優勝だったが、内容はちょっと酷かった。

決勝の時の私は立眩みするような状態で体に力が漲らない感じ・・・体力の衰えを実感した。

前日は「オトバマ」に出店して体験会をしたので疲れ切っていた事もあるが、片道五時間の車の運転をしてのテント泊だと疲れが抜けないのですな。

他の参加者に聞くと、みんな私の子供といってもいい年頃なのだ。

それでも、チームとしては昨年予選敗退だった他のクルーが予選ではダントツのトップフィニッシュをしていた事が嬉しい。

それと子供チーム。

彼らは予選直前に「ヤマダさ~ん、緊張で手が震えるけど、どうしたらいいですかあ?!」とイジラシイ事を言っていた。

残念ながら子供チームは予選敗退したが、岸に戻ったスキッパー役(後部で舵をとるリーダー)のT君が、父親に抱き着いて悔し泣きをした。

 

日頃はアウトドアに連れ出してもゲームばかりして、おませで大人っぽい口調のT君が、感情を露わに悔しさを表に出したのだ。

彼は生まれた時から心臓に問題があって3度も大手術を経験しており、今でも運動の面で色んな制限を受けている。

そんな「どうせ僕なんか・・・」と、心の内で人生を諦めた事を呟いているかのような少年が見せた悔し涙は、彼の親も観たことないそうだ。

佳いぢゃないか!

この経験が、彼の人生にどんな影響を及ぼすのだろうか・・・。

大人も子供も佳い経験ぢゃった。

 

 

 


「ビッグイシュー日本版」に載ります

2015年08月18日 21時39分22秒 | 日本海縄文カヌープロジェクト

Uターン帰郷してから個人的に糸魚川の魅力を発信している。

日本海縄文カヌープロジェクトという、縄文時代に糸魚川ヒスイが青森まで運ばれた海上ルート検証の活動を主体にして

①「縄文時間 http://nunakawa.jp/」という私設ホームページ

②このブログ「縄文人(見習い)の糸魚川発!」

③そして「ぬなかわヒスイ工房 http://nunakawa.ocnk.net/」

④フェイスブック

以上四つを使っての情報発信である。

たまにテレビや雑誌、新聞に取り上げて貰う事があり、今回は「ビッグイシュー日本版」の取材があった。

事前にバックバンバーが二十冊ほども届いた・・・「ナショナル・ジオグラフィック」を産んだイギリス発の雑誌らしく、実に丁寧な仕事なのだ。

 

この雑誌は、都会の繁華街でホームレスが街頭販売しているので、読んだ事はなくても売っているのを見た事のある人は多いと思う。

イギリスで始まったホームレス自立支援の雑誌で、ホームレスが仕入れ値140円で購入して定価300円で街頭販売するシステムになっている。

一冊売れば160円の収入になるのだ。

私も首都圏にいた頃、たまに買っていたが、エンターテーメンから時事ネタ、社会問題などを取り上げた硬派で読み応えのある雑誌。

イメージ的には、広告のない「アエラ」のような総合雑誌というべきか。

9月1日号に私の記事が載るらしいのだけど、信じられない事に私ごときの取材で編集長も入れて三人も来てくれた。

紙媒体マスメディアの取材は、通常は記者兼カメラマンが一人というのが一般的だろうに畏れ多い事。

ビッグイシュー編集部の面々を長者ケ原遺跡に案内した。しぜ~んに笑ってえ、と注文したらこのポーズを取ってくれたのは流石に大阪人・・・取材を受けて初めて知ったのだけど、「ビッグイシュー日本版」は大阪で作られているのだ。

 

さて、この9月に糸魚川市で「縄文シティサミットinいといがわ」というのが開催される。

糸魚川市には国指定の縄文遺跡が二つもあるのだ。

しかし大方の予想通り、サミットという大仰な看板の割りには、有識者による講演とパネルディスカッションをして終わるらしい・・・毎度の事とは言え、ほとんどの市民は無関心でその開催を知ることもない・・・勿体なくないのかな?

行政は税金を使って仕事で情報発信しているのに、地元新聞がお付き合い程度に記事にしてくれてだけではないだろうか。

打上げ花火を上げなくても、地道な広報活動を続けていればマスコミだって放っておかないだろうに、と思う。

糸魚川市にはそれだけ魅力的な文化財があるのだ。

徒手空拳にして自腹で動いている私でさえ、大手雑誌に取り上げて貰えるのだ。

行政の動きが歯がゆい・・・。


海の遊び・・・粗大ゴミがサップに変身!

2015年08月09日 07時32分33秒 | 日本海縄文カヌープロジェクト

9月22日に福井県で第2回の丸木舟全国大会がある。

去年の私は惜しくも準決勝でタイムレコードを出しながら、決勝で優勝直前にコントロールできなくなった他艇に追突され際に後続艇に抜かれて準優勝。

今年は他のクルーも鍛えなきゃと、仲間たちを誘ってはトレーニングしている。

この日はクルーの指導がてら、糸魚川の観光パンフレットに使用される写真やイベント写真を撮影している渡邉貴さんをカヌーに乗せて、「海から観たジオパーク」の撮影に協力。前日はカナズチだから嫌だとごねていた渡邉さんだったが、撮影が始まると炎天下にも関わらず撮影の邪魔とばかりに帽子を脱いだ。沖に出て大きなウネリにカヌーが揺られても、ファインダーを覗いている時は戦場カメラマンのように恐怖は感じないのは流石。

 

トレーニングに使用している艇は、B&G艇庫に眠っていたウインドサーフィンの名艇「ウインドサーファー艇」。

大会で使用される丸木舟に形状が似ているから最適なのだが、サーファー艇はサップとしても使えるという事を発見したのは三年前の事。

世界初の量産型ウインドサーフィンのボードでありながら、この艇が発売から五十年近く経ってもデザインが変更されていないのは、安定性がよく直進性も良いので、初心者の入門艇に最適で、また微風でも遊べるし、上級者が基本技をトレーニングするに最適なボードだからだ。

安価で壊れないという点も好ましい。

サップのパドルで漕いでみたら、立っても安定性が良く、安物のサップよりずっと速度も出るし、カヌーとしても遊べる。

親子で乗っても安定性の良いサーファー艇。

 

八十年代に世界的な流行を見せたウインドサーフィンは、九十年代後半に人気が急落・・・使用されなくなったサーファー艇なら粗大ゴミ扱いで車庫に眠っている艇が多いハズで、オーナーに頼めば只で貰えると思う。

 

トレーニングしてたら、サップで遊んでいる信州のグループと友達になった。

彼らは岩場にサップで乗り付け、素潜りして遊んでいた。

因みに能生町海水浴場でアワビや栄螺、牡蠣を一個でも獲ると密漁となり、罰金30万円との噂!ご注意のほどを。

サップは、速度を競ったり、波乗りしたりするだけではなく、釣りや素潜りポイントへのアプローチとしても優れているのだが、糸魚川の海でこんな遊び形をしているのは信州人ばかり・・・。

地元の若者は、お隣の上越市や富山県まで行って、ボーリングや映画、ショッピングで遊んでいるらしい。

夏は海で遊べばいいのにねえ・・・勿体ない。


去年の今日、原発を越えた・・・「海のヒスイ・ロード」回顧録

2015年05月12日 08時47分39秒 | 日本海縄文カヌープロジェクト

去年の5月7日に単独シーカヤックで青森までの航海に出た。

五千年前の縄文時代中期(五千~四千年前)に、糸魚川ヒスイが青森まで運ばれたとされる検証目的の航海で、題して「海のヒスイ・ロード」検証実験航海である。

出発地の上越市居多ケ浜は、天気晴朗なれど波高しという海況で、新聞記者と友人達が見送りに来なかったら出航を延期したかもしれない。

出航直前の愛艇「縄文人(見習い)号」と、全装備品。

 

そして今日、5月12日は柏崎の原発を越えた日。

柏崎港と原発の長大な防波堤を越えて、キャンプ地を探して岸ギリギリを漕いでいたら、裸足で歌いながら踊っている不思議な女性から声を掛けられた。

ライブ前のチューニングをしていた放浪の歌姫、Phokaちゃんだ。

彼女に誘われるまま上陸してご縁ができたのが、「うみカフェDONA」さん。

寺泊のワカメ漁のおばさん。「ほら、獲れたてワカメ持って行きなさい。美味しいよう!」

角田浜の民宿のおばさん。「ビタミン付けて頑張って!」

新潟市のサーフショップオーナーのKuriさん。「俺に何か出来ることありますか?煙草は?保存食は?」

 

今の時期の新潟の海は天候が不安定で、西風が吹くと海が荒れてシーカヤックを弄び、東風が吹くと目を開けていられない程の強い向い風で全力で漕いでも時速0という事もあった。

県内では3度の暴風雨に遭遇して、テントが壊れて廃屋に野宿した事もあった。

寺泊で暴風雨に遭遇して、何もない砂浜で四日間の野宿した時には、糸魚川市から友人達が激励に来てくれた。

 

記憶に残っているのは、風景よりもそんな航海で出会って親切にしてくれた人々の事。

皆さん、ありがとう。

私の愛と感動の冒険奇譚(笑)もとえ航海の詳細は、近日発刊予定の「糸魚川郷土史誌」の中で、「海のヒスイ・ロード」単独シーカヤック実験航海記」として報告されております。

市内の本屋さんで購入可能ですが、糸魚川の図書館でも借りる事ができるハズ・・・読んでみて頂戴。


ユニークな活動をしている人々の集いに呼ばれたっちゃ・・・何故か糸魚川弁

2014年12月04日 09時28分05秒 | 日本海縄文カヌープロジェクト

 

知人の市議会議員から、隣の上越市で開催されるシンポジュームのパネルディスカッションに出て欲しいと頼まれた。

社民党関係の主催といっても、オラは無党派。

あえていえば縄文原始力党だな。

ゲスト参加者には糸魚川関係者がいないので、糸魚川の議員さんが糸魚川からもゲスト出さんならんという事になったらしい。

オラが糸魚川代表・・・しょうしくっれたい!(恥ずかしいの糸魚川弁)

関係ないけんども、糸魚川弁の「しょうしい」は、笑止千万の笑止が語源のような気がする。

ご存じの片、教えてくんない。何故か今日は糸魚川弁で文章を書きたいっちゃ。

参加メンバーの顔触れを見たら、テレビや新聞などで一度はみたことのある人ばかりで恐縮。

「日本海縄文カヌープロジェクト」の山田 修さんっちゃ、オラの事。

農家の天明さんは、上越市大潟区にある「朝日池総合農場」で研修を受けた先輩である。つまり兄弟子ですな。

朝日池総合農場での研修中は、直売所のお客さんから「テレビ見たよ~!」なんてよく言われとった。

ヒゲ・短髪・眼鏡という共通のルックスから、天明さんと間違われっとんだわ。


会ったことないケン、十日町市の門脇洋子さんは、敬愛する民俗学者の姫田忠義先生の記録映画の上映会をやっとる人らしい。

オレが都会に住んどった時には、姫田先生の民族文化映像研究所によく通っとった。

丁度、友達から12月の姫田作品の上映会に誘われていたのである。

糸魚川では民俗学を共に語り合える知人がまだおらんので、門脇さんとは何時か会って話がしてみたいと思っておった所。

神奈川県藤沢市からUターン帰郷して五年目・・・やっとネットワークが出来て来たって事か。

近くの人、お暇なら来てくんないっちゃ!