縄文人(見習い)の糸魚川発!

ヒスイの故郷、糸魚川のヒスイ職人が、縄文・整体・自然農法をライフワークに情報発信!

黄金のバンタムの継承者・・・井上尚弥VSノニド・ドネア戦 観戦記

2022年06月08日 07時23分25秒 | 記録しておきたいヒト・モノ・本・映画
ボクシングの階級で多くの天才を輩出したのがバンタム級(53キロ前後)であることから、「黄金のバンタム」とも呼ばれる。
ちなみに「あしたのジョー」の矢吹丈もバンタム級。
しかし本来の「黄金のバンタム」は、不世出のブラジルのボクサー、人格者でもあったエデル・ジョフレに冠された異名だった。
 
昨夜の井上VSドネア戦は、井上の圧倒的勝利に終わり、井上が正真正銘の「黄金のバンタム」の継承者であることが証明された。
 
強いだけでは「黄金のバンタム」に相応しくない。
 
アグレッシブでクレバーな試合運び、謙虚で紳士的な言動、対戦相手への敬意が揃ってこそ、「黄金のバンタム」。
 
おそらく同じ階級で井上に挑戦する勇敢なボクサーはいないだろうから、階級をあげていくことになるだろう。
 
井上の身長は165㎝だから、フェザー級くらいまでなら、粉飾なしのリアルな4階級制覇、統一王者も夢ではない。
 
強いボクサーがノックアウトされるのは淋しい。あのドネアがリングを降りて泣いていた。
 
「黄金のバンタム」が、ドネアから井上にバトンタッチされた歴史的な夜。
 
ジョフレに唯一勝利したボクサーは、ファイティング原田だけで、二人とも階級制覇をなしとげて、殿堂入りしている。
 
10代の井上がドネアに憧れたように、次は井上が若いボクサーに追われる立場。そしていつかはリングに這いつくばる日がくるかも知れない。
 
井上のみならず、ドネアへも拍手と謝辞を贈りたい。
 
 

観ずに死ねるか!・・・井上尚弥VSノニト・ドネアの世紀の再戦

2022年06月07日 06時15分34秒 | 記録しておきたいヒト・モノ・本・映画
アマゾンプライムビデオが視聴できる人は、ボクシングに興味なくても、本日18時30分から放映される井上VSドネアの再戦を観てみてちょうだい。
アマゾンが独占配信する世紀の一戦だけど、恐らく前座試合が2試合あると思うので、井上VSドネア戦は9時前後になると思う。
 
プロボクシングには主要4団体があるが、同じ階級のチャンピョン同士が所属団体をこえてパウンド・フォー・パウンド、すなわち最も強い真のチャンピョンを決めるイベントがあり、3年前に行われたその戦いの決勝では、井上がボクシング人生初の瞼カット、流血、クリンチ、ドネアも井上のボデイブロウで悶絶ダウンの大接戦の末、3ー0の判定で井上が勝利して、年間最高試合に選ばれたのです。
 
ドネアが敗因を質問されて、「9ラウンドに右クロスカウンターがヒットして井上をぐらつかせたが、その後の展開でカウンター狙いをしてしまった。数ある経験の中から、誤った経験をセレクトしたのです。最後まで前に出てアグレッシブに戦うべきだった。」と、クールに反省点を挙げている。
 
井上は序盤に浴びた左フックで眼底亀裂骨折をしてしまい、右目が観えない状態でフルラウンドを戦ったが、少年時代から憧れていたドネアのビデオを繰り返し観て、ドネアの戦い方の記憶を頼りに戦っていたそうだ。
 
繰り返し視聴しているが、双方ともに防御と攻撃が混然一体となった非常に高度な戦い。
 
例えば、左フックを同時に放って、井上が顔を横に逸らせて衝撃を逃がしながらもクリーンヒットさせるなど、漫画の世界が現実に観られるのです。
 
歴史の生き証人になる幸せ。観ずに死ねるか!
 
 

神田のニコライ堂は高田屋嘉兵衛が関係していた!・・・「菜の花の沖」読書日記

2022年06月01日 07時32分37秒 | 記録しておきたいヒト・モノ・本・映画
ロシア正教のニコライ司祭が日本に布教に来たのは、神学生時代にゴローニンの著作「日本幽囚記」を読み、高田屋嘉兵衛のファンになったからだそうで、ニコライ司祭は嘉兵衛の子孫に逢いにまで行っている。
神田のランドマーク「ニコライ堂」は嘉兵衛に繋がっていた!
 
ロシア側から嘉兵衛は、「どういう状況下でも言葉に嘘がなく、快活で度量が大きく、聡明な人物」と評価されていたようだ。
「菜の花の沖」の後半には、欧州の後進地帯に住むスラブ人がいかにして帝政ロシアを作っていったのか?コサックの成立ち、シベリア・樺太・千島列島に支配を広げていった様子が仔細に描かれていて、時節柄、たいへんに勉強になる。
 
幕末の千島列島の北側はロシアが千島アイヌを極めて不平等な、というよりロシア本国の農奴と同じ扱いの恐怖支配をしていた。
 
エトロフ以南は幕命を受けた嘉兵衛が千島アイヌと対等の立場で漁場を開拓した結果、3年で人口が倍増して、後に嘉兵衛が囚われることになるロシア軍艦の乗員たちと同じく、千島アイヌからもタイショー(大将)と慕われた。
 
またロシア領で収奪の限りを受けていた千島アイヌが、エトロフではきちんとした家に住んで米の飯が食えて酒まで飲めると噂を聞いて、嘉兵衛を慕って逃げてきたそうだ。
 
武力を背景にした恫喝外交、支配地での強姦略奪は、「貴族が農奴を支配する国家」帝政ロシア時代、ソ連時代、そして今日まで変わらぬお家芸なのか?
 
この点は、松前藩のやってきた蝦夷地の統治システムとアイヌ民族の扱いもロシアと同じで、どちらもアイヌ民族の人口減と文化の衰退を起こしている。
 
個人的に接するロシア人は朴訥とした好人物でも、集団になると残虐な無法者・火事場泥棒になる・・・これはロシア人と接したことのある戦前戦中の日本人がよく口にする言葉。
その一方でゴローニンやリコルド、ニコライのように色メガネ抜きで日本人ならびに日本文化に敬意を示す知識人もいた。
 
個人と国家は別・・・どこの国でも同じですわね。
 
 
 
 
 
 

ロシア外交問題を対話による相互理解で解決した男・・・「菜の花の沖」の高田屋嘉兵衛

2022年05月18日 07時31分37秒 | 記録しておきたいヒト・モノ・本・映画
明治から今日までの日露外交は、ロシア側の二枚舌外交で翻弄され続けてきた、が、しかしである。
幕末の「ゴローニン事件」では、戦争や賠償金もなしで対話による相互理解で解決した人がいた。
幕臣でもない廻船問屋の主であり、探険的な航海により北前航路を開発していった高田屋嘉兵衛その人だ。
 
ロシアの南下への野心は、ウラジオストックが「極東の支配」を意味するロシア語であることが示しているが、江戸時代からロシア軍艦は日本の沿岸に出没しては、測量や略奪を繰り返していた。
 
そんな緊張のなかで発生したのが「ゴローニン事件」であり、択捉島付近を航海中の嘉兵衛は、事件の報復としてロシア軍艦に拿捕され人質となった。
 
しかし嘉兵衛の人徳と卓越した操船技術によりロシア軍水兵から「大将」とまで呼ばれて尊敬を受け、別れ際には涙まで流したそうだから、よほどに魅力的な人物であったのだろう。
 
水呑み百姓から廻船問屋の主にまでなった生粋の海の男、高田屋嘉兵衛とは、いかなる人物で、どのように交渉したのか?
ロシアのウクライナ侵攻から興味を持って、司馬遼太郎の「菜の花の沖」を読みだした。
全6巻のうち、現在は幕命をうけて千島列島の航路開拓をはじめた4巻目。
 
操船に関して首を傾げる記述もあるが、霧に隠れる択捉島の西の沖を目指して親潮に逆行して北上し、頃合いをみて東へ回頭、択捉島が視認できたら岸辺を流れる反流に乗って再び北上して択捉島へ至るN字航路を開拓する場面など、ヨットやシーカヤック経験者なら唸るようなリアルさで、流石に司馬遼太郎だ。嘉兵衛の航路開拓以前は、最短距離を航海していたので遭難が多かったのだ。
一般に北前船や千石船と呼ばれているのは、船型でいうと弁才船(べざいせん)のことだで、現在の船なら概ね100トンクラス。本州沿岸航路に使用された船は半分サイズの小型船の方が多かったようだ。
 
 
松浦武四郎、最上徳内など、幕末に北海道を探検した人物は、アイヌ民族をリスペクトするリベラルな人道主義者ばかりで、非常に魅力的だ。
もう少し読み進めるとゴローニン事件。
 
 
 

原発事故と戦禍に翻弄される人々・・・ドキュメンタリー映画「アレクセイと泉」

2022年05月14日 09時15分46秒 | 記録しておきたいヒト・モノ・本・映画
チェルノブイリ原発事故により、放射線汚染地域としての退去命令に従わず、ウクライナの寒村(現在はベラルーシらしい)に住み続ける人々を追った本橋誠一監督の20年前のドキュメンタリー映画「アレクセイと泉」の村人は、今どうしているのだろうか?
村に残ったのは老人ばかりで、「どこで何をして暮らせというのか?放射能がなくても、どうせ先は長くないさ。住みなれた村で死にたい」と答える。
 
不思議なことに強い放射線に汚染された村のはずなのに、住民が飲む泉からは放射線は検出されず、老人たちは「この泉は100年前の湧き水だからさ」と笑う。
 
森のキノコも「食うなと言われても、こんな美味いものを食わない方が体に悪いよ!」と、昔ながらの生活を崩さない。
 
老人ばかり残ったの村の唯一の若手が、朴訥なアレクセイ青年で、村の力仕事を担っている。
 
よく働きよく笑い、つつましく暮らす善良な人々が、大国の杜撰な管理により発生した原発事故、今度は戦禍に翻弄されているのだろうか?
戦禍の人々に想いをはせる。
 
 

「戦火のなかの子供たち」に想いを寄せる・・・ロシアのウクライナ侵攻に想うこと

2022年04月29日 07時51分49秒 | 記録しておきたいヒト・モノ・本・映画
「母さんといっしょに / もえていった / ちいさなぼうや」
絵本作家いわさきちひろが、ベトナム戦争時に描いた異色の絵本「戦火のなかの子供たち」より。
 
「ウクライナへの人道支援・義援金はロシアへ宣戦布告です」といった旨の恫喝的なSNS投稿が拡散されているのだが、シェアした人は宣戦布告の定義を調べたのだろうか?戦火のなかのウクライナ人を前に、同じことを説明できるのか?
 
リアルタイムで多くの人が死んでいくのに、プロ野球の解説をするかのように楽しそうにシェアされているのも不気味だ。
 
こと戦争に関する安易な情報のシェアは、どちらか一方の情報戦に加担することになり兼ねないのだが、その自覚はあるのだろうか?
 
日本のマスコミは一方的なプロパガンダ情報ばかりと非難する意見も多いが、不確かな情報を誰でも気軽に拡散できるSNSこそ、その温床ではないか。
 
最初のパンデミックの時に拡散された、30度以上のお湯を飲めばウイルスは死滅できるといった類いの情報程度なら、「あの時はみんなが不安だったネ」と、笑い話で済む。
 
しかしリアルタイムの戦争の情報を目にしたら、時には保留しておくことや、慎重な態度をとること、自分で調べてみることも大事では?
私はただ「戦火のなかの子供たち」に想いを寄せる。
 
 
 

吉野家はフーテンの寅さんの共感商法に学べ・・・吉野家常務のマーケティング論に思うこと

2022年04月22日 07時36分22秒 | 記録しておきたいヒト・モノ・本・映画

吉野家の常務が早稲田大学のセミナーで、田舎者や女性を冒涜するマーケティング論を講演した結果に炎上して、吉野家を解任されたそう。

吉野家は重役にコンプライアンス(法令遵守)の研修を義務づけると公表したが、法的な問題以前に重役が客を見下す人権意識の問題の解決、そして近江商人の「三方よし」といった商道徳の研修が先ではないだろうか。

吉野家はフーテンの寅さんの口上を見習ってはどうだ?

寅次郎、えんぴつを売る ~男はつらいよ「拝啓車寅次郎様より~

寅さんの語る「ヒトとモノの物語」に共感して、ミツオが思わず鉛筆を買ってしまう名場面。
 
露天商や大道芸には怪しげな商売もあるが、お客さんは売り手の口上や人間性に共感してサイフを開くので、支払うお金はそのエンターテーメントに対する対価でもある。
 
面白い人から買った鉛筆は、買った人の「ヒトとモノの物語」として、単なる鉛筆ではなくなる。寅さんの共感商法は、ヒスイ職人としても見習いたい。
 
パワーストーンとしてヒスイの効能を謳うと、人の心の弱みにつけこんだ霊感商法モドキになりかねない。これはアメリカ大統領選挙で顕著になった、過激な言動で大衆を扇動するポピュリズムの流れと同一線上にある商法ではないだろうか。
 
「不老長寿の神秘の霊石」「放射線を除去・コロナウイルス除去に効果あり」といった宣伝文句など、客観的立場からあり得ないのだが、心の弱みに付け込んだ恫喝的な商売ではないだろうか。
 
扇動や恫喝ではなく共感を・・・だから私はスピリチュアル的な文言抜きで「ヒトとヒスイの物語」を語り続ける。
 
 
 

ドキュメンタリー映画「テレビで会えない芸人」が面白い!

2022年04月18日 07時37分48秒 | 記録しておきたいヒト・モノ・本・映画
上越市の高田世界館でドキュメンタリー映画「テレビで会えない芸人」を観てきたが、実に面白かった。
ネタバラシになるが、「東京オリンピックね・・・オモテナシ~って・・・裏ばっかり!」というネタに、古今亭志ん生が得意とした、子供が思いついたことをポロッと呟く(ように感じる)クスグリを感じた。
 
志ん生の呟きは、当たり前だけど即興っぽく感じても実は弟子に試して笑うかどうかを試行錯誤して練り上げた芸。松元さんも舞台裏で苦悶する様子がつまびらかに記録されている。
 
松元さんの笑いの対象は原発村やオリンピック村などに象徴される組織の利権体質であって、特定個人ではない。
 
麻生元総理の真似をして、「私がこんなところで喋るのはミゾウユウのことなんですよ」と、簡単な漢字も読めない政治家が国政のトップにいることを揶揄してはいても、「これでいいのか?」と利権の圏外にいる庶民の代弁者としての問い掛けを明るく演じているので、揶揄されている側の自民党議員や官僚からも受けるのではないか。
 
テレビに出なくなったのは干された訳ではなく、収入減にはなってもマスメデイアの自主規制の範囲では言いたいことが言えないからであるらしく、つまりは誠実さなのだ。
 
映画に出てくる松元さんの日常も誠実さに溢れている。奥さんと電車に乗った時のエピソードに噴出して笑ったし、鹿児島実業高校の同級生の元ドリフの諏訪しんじさんや、高校の恩師との交流にはホロリとした。
映画を観に行く途中で嫌なものを観た。レジ袋やストローでプラスチック製品の削減をしても、ビーチクリーンで海水の掃除をしても、海はプラスチックゴミでいっぱい。ペットボトルや発泡スチロールも規制しないと駄目ですなぁ。
 
テレビに出ない寄席芸人なら貧乏を自虐ネタにしたりもするが、松元さんは「テレビに出なくてもライブでやっていける例をつくらないと」と明るく前向き。誠実で優しく前向きな人。だから好かれるのですナ。
 
この言葉は私の仕事にも当てはまる。神秘的な文言やパワーストーン的な効能を謳わず、他人に買われる前に原石を買い占めなくても、嘘偽りなく誠実にヒスイ製品を作っていれば食っていける」ヒスイ職人にならないと。
 
最後に「テレビに会えない芸人」を鹿児島のテレビ局が映画にした見識と英断にも拍手を贈りたい。
 
 
 

ネット通販より地元の小売店を!・・・古町「北光社」 閉店は街から文化の拠点が失われた日

2022年04月16日 08時13分41秒 | 記録しておきたいヒト・モノ・本・映画

江戸時代から続いた新潟市の書店「北光社」の閉店の動画を見つけて涙した。

新潟古町 「北光社」 閉店

出版業界の不況に加え、ネット通販の便利さと引き換えに、文化の殿堂がなくなった哀しい日。

新潟市に住みバックパッカーをしていた20代の頃、北光社の美術コーナーに横尾忠則の新刊の画集が並んでいた。3万円以上もするので購入を諦めたが、近くの女性店員さんに「今は買えないけど、人気のある作家だからいつか再販されますよねぇ・・・」と恐る恐る聞いたら、「画集は再販されることはあまりないのですが、もしよろしければ分割支払いできますよ。」と救いの言葉。
 
耳を疑って詳細を聞いたら、金利無し、定額支払いでもなく、ある時払いの催促なしと夢のような申し出。住所と氏名だけ記入して、財布の中の有り金から食費の2,000円ほど差し引いた8,000円を手付金に画集を買った。
 
初対面の私を信用してくれた店員さんの意気に応え、生まれて初めて家計簿を作って金を捻出し、2か月で完済した。
 
北光社の経営者はよほどに本と人が好きだったのだろう。その気持ちは店員さんにも行き渡っていたから、こんな人間臭い客と店員のやり取りもあったが、ネット通販ではあり得ないできごと。
 
つまりは本屋は文化の拠点、ネット通販は文明の利器。拠点を無くしては文化はどうなるのか?街の彩と潤い、人間臭さと便利さのどちらを選びますか?その選択は我々に委ねられている。
 
我が青春の北光社が2010年に倒産して、古町の彩が失われた。新潟市の映画館は「シネウインド」が頑張っているが、私は本屋と映画館のない街に潤いを感じない。
 
街から文化の拠点が失われる喪失感を味わいたくないから、本は近所の本屋で注文し、絶版本のみネットで古本を買うようにしている。
 
アウトドア衣料は小売店で試着して、家電販売店で説明を聴いた上で、ネット通販で安く購入すると自慢する人がいたが、心が痛まないのだろうか。地元の小売店を大事にしようではないか。本は本屋で買いましょうよ。
 
 
 

批判しても嫌われない松元ヒロさんの不思議な芸・・・ドキュメンタリー映画「テレビで会えない芸人」

2022年04月11日 06時19分49秒 | 記録しておきたいヒト・モノ・本・映画
鹿児島テレビ制作のドキュメンタリー番組「テレビで会えない芸人」の映画版が、上越市の高田世界館で上映!
主人公は絵本「憲法くん」を出版したコメディアンの松元ヒロさん。こちらは鹿児島テレビ制作のテレビ版
 
立川談志は「タケシやタモリをテレビで観るのは文明です。松元ヒロの芸は文化です」「芸人てぇものはお客さんが言いたくても言えないことを代弁するもんだ。今の日本で芸人てぇ言えるのはヒロ、お前だけだ。」と評価。「立川談志を送る会」では、唯一芸を披露した芸人が松元ヒロさん。
 
 
歴代総理のモノマネでその言動を茶化せば、後から自民党議員や官僚から「面白かったです!」と伝えられるという松元さん。辛辣な政治ネタで炎上もせず、嫌われないのはなぜだろう?
ダスティン・ホフマン主演で映画にもなった、伝説的なコメディアンのレニー・ブルースの毒舌漫談とは何がちがうのか?
 
テレビで観ることのできないから、ライブ会場に行くか、映画を観て確かめるしかない。
 
上映;4月16~4月29日 午前10時~11時25分*詳細は高田世界館に問合せしてください