11月30日は、フォッサマグナミュージアムを会場にしての新潟県考古学会会長の寺崎先生の講演会に出席。
先生は糸魚川高校OBで、縄文土器の権威だから親しみがある。
この日は糸魚川市の長者ケ原遺跡出土の土器についてがメインテーマだった。
考古館の展示室で説明する寺崎先生
長者ケ原遺跡出土の土器は北陸系が多く、越後系、信州系、東北系の土器が少ないことから、文化的には縄文時代の糸魚川は北陸という内容。
これまで何度か聞いてきた話だったが、俺が聞きたかったのは別のことだ。
講演の後に場所を長者ケ原遺跡考古館の展示室に移しての現物の説明。
この時ばかりは俺も沢山質問した。
一番聞きたかったのは、長者ケ原出土の石棒・・・つまり男根の形の石製品・・・と同じものが、男鹿半島からも出土しているということ。
石棒を前に俺の質問に答える寺崎先生
男鹿半島の遺跡名は『大畑台遺跡』とのこと。
全国で唯一の蛇紋岩製の石棒。
糸魚川産の蛇紋岩は、磨製石器の素材として優秀だったので、縄文時代にはブランド品だったのだ。
寺崎先生によると、土壙墓に副葬品として土器に入れられて埋葬されていた例もあり、実用品を超えて祭器扱いもされていたようだ。
男鹿半島『大畑台遺跡』出土の石棒
寺崎先生は、2つ上の写真左端の大きな石棒が酷似していると言っていたが、ネット検索してみたら素材が砂岩らしいことの他は、形状はむしろ蛇紋岩製石棒に近いようだ。
来年は男鹿半島に行く予定。
ヒスイ製品は小型で軽いから陸路から運ばれたと反論され易いけど、石棒なら大きくて重いから、これらの運搬に丸木舟が使われていたということに納得がいく。
ヒスイが海上ルートを糸魚川から青森まで運ばれたとする説に、いよいよ信憑性が高くなるのだ。
調べたら、大畑台遺跡は船川という男鹿半島西側の港町にある。
いいぞいいぞ!嬉しくなってしまう。