ここ数年の糸魚川市では、3年後の新幹線開通の事前調査で遺跡の発掘が続いていた。
その中の一つ、「六反田南遺跡」は大和川地区の田園地帯に位置する、縄文中期中葉から後葉(四千五百~四千年前)と古墳時代の複合遺跡である。
弥生時代には河川の洪水により沼地であったらしく、遺跡は見つかっていない。
糸魚川市の縄文と古墳遺跡だから、当然のようにヒスイの原石とその加工用の砥石が出土したし、縄文時代の層からは磨製石器の未成品や割れた石器が大量に出土している。
シャケの骨や鮫の歯も出土しており、海岸に近いことから石器類の加工拠点としての漁村だったのではないかと推測されている。
惜しいことに丸木舟は出土していない。
正式な報告は来年以降になるそうだが、長さ1m5㎝という県内最大級の石棒や、日本海側では珍しく、また県内では初の貝塚も出土している興味深い遺跡だ。
石棒は安山岩系の石らしい。
1mを超える長さの石棒は、俺の記憶では県内では例が無い。
新潟県の発掘調査なので石棒の所有権は新潟県にあるが、糸魚川市の学芸員さんは、貴重な出土品なので調査終了後は交渉して、ゆくゆくは糸魚川市の博物館に展示したいと言っていた。
そして同じく市内にある縄文後期(四千~三千年前)の国指定遺跡の寺地遺跡と同様に、列石群が出土した。
列石は、細長く平べったい形状の「ヒン岩」を選んで、近くを流れる早川の川原から運んできたらしい。
縄文時代の列石遺構で有名なのは、日時計説もあるくらいに方角に対する法則性が読み解ける秋田県の大湯環状列石だが、六反田南遺跡にも何らかの法則性があるんじゃないか?と、現地視察をされた縄文のご意見番として著名な小林達雄先生は仰っておられたようだ。
既に発掘調査が終了したので、残念ながら現状地盤から4mも地下にある遺跡は埋戻しされている。
そこで考古学好きと鉱物好きには耳寄りな情報がある。
大量の列石を埋め戻すにはもったいないと、一部を近所の「国造神社」に移設しているのだ。
「国造神社」・・・コクゾウジンジャ・・・は、国道8号線沿いの海側にある大和川区の小さな神社。
薄いピンク色の幼稚園が併設されているので、すぐに解ると思う。
その境内の8号線寄りにほんの一部だけど、方向性はそのままに移設されている。
確かに糸魚川のランドマーク的な黒姫山に向かっているようだが、六反田南遺跡の調査員さんは、地形の凸凹に合わせて配石したんじゃないか?なんて言っていた。
押上区沖でSUP(スタンドアップ・パドル・ボード)から撮影した黒姫山。
この山は山頂が三つに別れた正しい漢字の山の形をしている独立峰。
案内看板はまだ設置されていないけど、現物を見たい人は雪が積もる前にどうぞ!