長野県松代町の玉依比賣命神社の新春の神事で、奉納された玉類の数を数えて吉凶を占う「児玉石神事」に友人達と二年連続参列。
一緒に参列した友人の一人が、氏子以外には知る人も少なかったこの神事を世に出した功労者とも言える神道研究家のYさんで、奇縁に感謝。
真田家の所縁も深い玉依比賣命神社は延喜式に記載された式内社。
宮司が奉納された玉類を「ひと~つ、ふた~つ・・・」と一つづつやまと言葉で数え、二名の氏子が記録していく。
新しく奉納された玉類を「来たり石」と呼び、去年より増えていれば吉、減っていれば「埋もれ石」として凶となるが、過去の埋もれ石が出た年に水害に見舞われたとの事。氏子さんに聞いた所では、減った理由は数え間違えであるらしい(笑)
私が糸魚川のヒスイ職人という事もあって、神事の後に氏子の方達に囲まれて、奉納品の年代や石材、大昔にどうやって加工していたのか?などなど一時間くらい質問されて過ごすのが愉しみになっている。
私が確認できた最古の奉納品は縄文中期のヒスイ大珠と垂れ飾り群だったが、気になったのが、考古学的には「緒締形大珠」と分類される縦の貫通孔を持つヒスイ大珠。
緒締形大珠にしては縦約60㎜×幅40㎜×厚み25㎜程度と大きく、貫通孔も元が8㎜と貫通先が6㎜(全て目視計測)もあり、大きさといい、雰囲気といい、形状といい、青森の上尾駮遺跡出土(後期)のヒスイ製石笛によく似ている。
2点の違いは上尾駮遺跡出土品にある指孔がない部分と、青森が両側穿孔に対してこちらは片側穿孔という部分の2点だが、石笛として作られた可能性は否定できないし、緒締形大珠であった可能性も否定できない。
緒締形大珠であったにしても、孔が開いていれば覗いてみたくなるし、吹いてみたくなるのが人情というもので、白黒をハッキリさせる事は誰にもできないのだ。
もう少し懇意になったら、宮司さんや総代さんの許可を貰って吹かせて頂けたら・・・と目論んでいる(笑)
吹けばそれなりに音は出るだろうが安易に石笛と断ずることはせず、どんな音がするかという興味を満たしたいのである。
ネットに溢れる石笛情報の90%以上は根拠の不確かな独善的な情報で、それらが無責任に孫引きされて拡散している。
鉛筆キャップや一升瓶だって吹けば音は出るが、吹く目的で作られてはいないのだ。