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まつろわぬ粛慎、あらぶる鬼、その名は国津神エボシタケル・・・出雲と戦った鬼

2021年07月10日 07時55分20秒 | ぬなかわ姫

出雲の八千鉾神と戦った糸魚川の国津神のエボシタケル(夜星武)の類型譚で、鬼舞、鬼伏、江星山とエボシタケルに由来した地名を残す能生地区だけが、エボシは粛慎(しゅくしん・ミシハシ)としていることが長年の疑問だった。

本来の粛慎とは、シベリア沿海州地方の狩猟民の一群をさす中国語で、例えば黒澤明監督作品「デルス・ウザーラ」の主人公、デルスのような民族。

正体不明ながら、日本書紀には佐渡の海岸に粛慎が住んでいたとあり、もしかしたら沿海州地方からの漂流民や、北海道の日本海側でオホーツク文化を作っていった異民族であったのかも知れない。

ワシラは粛慎で~す!なんて自分から名乗らないだろうから、異原語の北方異民族を中国の文献に準じて粛慎と呼んだのだと思う。

デルスさんはこんな人。粛慎は雑多な民族が入り混じっているシベリア東部から樺太方面の非漢民族の総称であるらしい。漫画「ゴールデンカムイ」にも、ニブフとか色々出てきますな。
 
「能生町史」「おらが村の昔語り」を併読したら、エボシタケル粛慎説の一次資料にやっと辿り着いた。
「能生町史」に、文明十年(1478年)に池田正連なる人物が書いた「水嶋白山縁起」の抜粋に、夜星武は粛慎とあった。「水嶋白山縁起」は「白山縁起」の能生版であるらしい。
 
エボシタケルは内陸部の江星山に住んでいたとする口碑の他、興味深いのは鬼舞・鬼伏・小泊といった沿岸部の口碑では、エボシタケルは海中の「夜星くり・夜星堆」に住む鬼であり、菊理姫に退治されたとする口碑。
郷土史好きな能生の女性に教えてあげたら、面白いと驚いていたのが「おらが村の昔語り」
 
くり(堆)とは漁礁を意味する古語なので、漁民と関係があるような???
 
例えば鬼舞・鬼伏と隣接する木浦川河口を母港として、能登方面と密接な関係のある海洋民?
 
室町時代後半から、日本海沿岸をカワサキ船で縦横無尽に行き来していたカワサキ衆は、ルーツこそ越前であったものの行く先々の河口(川崎)を拠点にしていたからこそ、カワサキ衆と呼ばれた。
木浦川河口。左岸が鬼舞で右岸が木浦。木浦の右隣りが能生地区の中心地の小泊。
海を見下ろす高台に鎮座する鬼舞の五社神社の鳥居と狛犬には、嘉永二年に広島の尾道から持ってきたと彫られている。現在は大邸宅が重要文化財指定になっている鬼舞の船主、伊藤家のご先祖が寄進したものか。ちなみに嘉永はペリー来航のあった年間ですネ。
 
また現在は往時を偲ぶべくもないが、江戸時代~明治期までの鬼舞は、新潟県内屈指の北前貿易拠点であった。
五社神社から見下ろす鬼舞と鬼伏の集落。江戸時代だかに大地震で崩落と隆起があったそうで昔の港の姿はイメージできないが、現在は小さな漁港があるだけ。
 
エボシタケルからは、海洋民の匂いが漂ってくるぞ・・・。
 
そんなことを総括すると、弥生時代に出雲と戦った海洋性の国津神(豪族)と、中世の白山信仰が入り混じってエボシタケルなる鬼が生まれていったのではないか?
 
木浦と鬼舞の境には、江星山とは別の烏帽子山もあるし・・・。
 
池田正連とは誰なのだろう?中世の糸魚川で粛慎という言葉を使っていることからみて、相当な知識人であったことは間違いない。
 
まつろわぬ粛慎、あらぶる鬼、その名は国津神エボシタケル。
 
考古学では立証しようもないが、小説や映画のネタになりそうではないか。