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冬の夜には柳家紫朝を聴く・・・男の色気・プロの凄味

2013年12月17日 23時02分09秒 | 日記・エッセイ・コラム




糸魚川の平野部ではまだ雪が本格的でもなく、曇り空や氷雨が続いている。

こんな寒い夜は、柳家紫朝の俗曲が聴きたくなる。

「さのさ」「縁かいな」「両国」「ささや節」「木遣りくづし」・・・・。

紫朝さんは二年程前に亡くなった寄席芸人だけど、俺は彼の最盛期を知らない。

かなり前に脳梗塞で寄席を引退して、CD発売当時は年に一度だけ独演会をしていたらしい。

十年近く前に新宿末廣亭の売店で、睨みつけるような紫朝さんの発売されたばかりのCDジャケットに只ならぬ雰囲気を感じて買ったのだけど、ジャケ買いしたのは唯一このCDだけだ。

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家に帰ってCDを聴いたら鳥肌が立った。

唄と三味線の音が身体に染み込んでくる・・・こんな感覚は初めてだ。

佳いなあ・・・しっとりした情感に惚れ惚れした。

この心地よさは程よい湿気がある・・・そう潤いって感覚だ。

夏の唄でも冬の唄でも、江戸の人が感じた湿気を含んだ空気を感じる。

八十歳近い老人の声にこれほど色気を感じるとは!

後年、お弟子さんの小春さんに聞いたら、嫌がるCDの録音を周囲が説得してスタジオまで連れて行ったそうだが、紫朝さんは三味線の音を合わせるとリハーサル抜きでいきなり本番に入ったとのこと。

そして一発で録音終了・・・格好いいなあ。

紫朝さん本人に直接聴いたのだが、彼は数え年五歳から新内を習い始めて、若い頃から新内の「流し」をしていたんだと。

そして昭和の落語の名人として讃えられる、「黒門町」こと八代目桂文楽門下で寄席デビューした筋金入りの寄席芸人。

圓生師匠も独演会の前座に呼んだりして可愛がってくれて、大津絵など口三味線で教えてくれたそうだ。

そして都都逸は「寄席の音曲で天下を取った」・・・紫朝さん談・・・柳家三亀松師匠の直伝だから、艶があるのは当然と言えば当然だ。

紫朝さんにとっては、何時だってリハーサルなんかなくて本番なんだ。

芸歴七十年以上の内には、体調の悪い時にも、気分が乗らない時にもあっただろうけど、三味線を持って高座に立てば何時だって真剣勝負。

これぞ寄席芸人、プロの凄味。

学ぶべき姿勢だ。




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