日曜日のNHKスペシャル「終わらない男」という宮崎駿の特集を興味深く観た。
75歳になって若い頃から苦楽を共にしたアニメ仲間たちが次々と亡くなっていき、ジブリでさえお金がかかり過ぎる手描きアニメを制作できない現状、そしてCGアニメに光明を見出しつつある姿・・・面白い。
印象に残ったのは、番組の中でコンピューターグラフィックス制作会社が宮崎さんに新しく開発したCGアニメをプレゼンする場面。
宮崎さんにプレゼンされた人工知能で制御されてグロテスクな動きをするCGアニメ。(写真はエキサイトニュースより)
憮然とした表情の宮崎さんは開口一番、身体障害を持つ知人を思い出したと言い、「極めて不愉快・生命にたいする侮辱・人の痛みを感ぜず、これを作った人達は何も考えていない」と厳しい口調で辛らつな評価。
宮崎さんの意外な反応に、CGアニメのクリエーターたちは二の句も継げずに呆然・・・。
フェイスブックやネット配信ニュースでは宮崎さんの反応に賛否両論の意見が出ていた。
宮崎さんに異論を唱える人は、表現の自由への否定と彼の上から目線の姿勢に違和感や怒りを感じたとの事。
私は宮崎さんに同感したが、表現の自由ってなんだろうか?と思うのだ。
両者はモノ作りする人としての製作意図が根本的に違う。
生命は尊いとものとして、アニメで生命やヒトを描こうとする宮崎さんに対し、CGアニメーターたちは人工知能の可能性を探る科学技術者。
表現したいものが生命やヒトなのか?人間の手では作り得ない奇怪な動きをするモンスターなのか?
ここの所を理解しないと、両者は交わることはないのではないか。
私はあの番組を観て「ヒト不在」の科学の暴走や、科学主義に偏る近代社会の在り様を危惧したし、宮崎さんを怒らせたのも実はそこではないだろうか。
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