大首飾り製作に当たり、必要に迫られて古典的な玉つくりを調べているが、昭和43年に出版された「日本の工芸/石・玉編 淡交新社」の中に、50年前の出雲の勾玉作りが紹介されていて仰天した。
現在の勾玉成形は電動機械に取り付けたダイヤモンドディスクやカーボランダム砥石で切削するが、50年前の出雲地方では三角推の鉄棒を原石に押し当てて粗成形するという手仕事であったらしい。
もちろん、その後は電動工具で成形研磨していくのだが、この技術は旧石器時代の打製石器作りと同じ押圧剥離(オウアツハクリ)である。
当時は鉄棒ではなく鹿の角が使われたと推測され、その技術は縄文から弥生時代前半くらいまでの黒曜石やチャート、水晶、頁岩といった矢尻や石槍にも継承されていく。
道具さえ揃えれば初心者でもそれなりのモノが作れる現代と違い、一昔前の玉作りは年季のいる職人仕事だったことが解る。
ましてや縄文、弥生、古墳時代の玉作りとなると、超人的な神業だったという畏れさえ感じる。