縄文人(見習い)の糸魚川発!

ヒスイの故郷、糸魚川のヒスイ職人が、縄文・整体・自然農法をライフワークに情報発信!

旧石器時代の技術が近代まで生き残っていた!・・・大首飾りプロジェクト

2018年03月07日 18時25分49秒 | ぬなかわヒスイ工房

大首飾り製作に当たり、必要に迫られて古典的な玉つくりを調べているが、昭和43年に出版された「日本の工芸/石・玉編 淡交新社」の中に、50年前の出雲の勾玉作りが紹介されていて仰天した。


現在の勾玉成形は電動機械に取り付けたダイヤモンドディスクやカーボランダム砥石で切削するが、50年前の出雲地方では三角推の鉄棒を原石に押し当てて粗成形するという手仕事であったらしい。

 

もちろん、その後は電動工具で成形研磨していくのだが、この技術は旧石器時代の打製石器作りと同じ押圧剥離(オウアツハクリ)である。

当時は鉄棒ではなく鹿の角が使われたと推測され、その技術は縄文から弥生時代前半くらいまでの黒曜石やチャート、水晶、頁岩といった矢尻や石槍にも継承されていく。

道具さえ揃えれば初心者でもそれなりのモノが作れる現代と違い、一昔前の玉作りは年季のいる職人仕事だったことが解る。


ましてや縄文、弥生、古墳時代の玉作りとなると、超人的な神業だったという畏れさえ感じる。

 

 


大きな流れ・・・大首飾りプロジェクト

2018年03月04日 11時55分57秒 | ぬなかわヒスイ工房

監修者の考古学者の先生に大首飾りの試作品を送って、試作品に切削傷を付けさえすれば見分けが付かないという事が解って一安心。
沢山の宿題を貰って帰ってきたが、このプロジェクトの大きな意義がより鮮明になってきた。

試作した煙水晶のナツメ玉、赤瑪瑙の丸玉、青碧玉の管玉。


249点の内、ヒスイと滑石以外の石材が、現在では枯渇や安価な外国産に圧されて国産品が入手できない現実。


糸魚川ヒスイの未来を暗示しているようにも想えるが、創業6年を迎えた縄文好きの零細工房の名誉という個人的な意味合いを越えて、奴奈川姫と古の職人達や玉類を身に付けていた人々が、稀代の好事家、松浦武四郎を通して時空を超えて何かを訴えようとしているのではないか?


来し方を今一度振り返り、現代の産業や流通、社会の在り様まで想いを馳せてしまう。
大きな流れにいることは間違いないと確信している。