縄文人(見習い)の糸魚川発!

ヒスイの故郷、糸魚川のヒスイ職人が、縄文・整体・自然農法をライフワークに情報発信!

1983年の映画「ふるさと」を観ずに死ねるか!・・・名優、加藤 嘉さんの存在感

2021年02月10日 07時40分13秒 | 記録しておきたいヒト・モノ・本・映画

「僕の村が日本地図からなくなる」というキャッチコピーだけでウルウルしてしまった、1983年の映画「ふるさと」に感動。

ダムに沈む運命の岐阜県の山村の最後の夏、妻に先立たれて呆けかかったアマゴ釣り名人の老人と少年が秘密の淵に釣りに出かける・・・。

生涯で400本の映画に出演した名脇役の加藤 嘉(かとうただし)さんが、初めて主演した本作でモスクワ国際映画祭の主演男優賞を受賞。枯淡の演技がお見事というほかない。

消沈して岩に腰かけ川に見入る場面、呆けて村を歩く場面、少年に釣りを教えることで生気を取り戻し沢を歩く場面のどれをとっても絵になる。長門裕之さんなどの脇を固めるベテラン俳優たちも流石の存在感。この映画は「老人と海」の日本の山村版「老人と川」だ。

「おらぁ、ひとりで山に入っても、樹も川も生きているから、少しも寂しくなんかねぇ」と少年に訥々と語る老人は、縄文以来、一万年も続いた村の歴史そのもののような存在。街では生きていけない男なのだ。
ラスト近く、秘密の淵で倒れた老人が若い頃を回想する。新婚時代の老人役の篠田三郎さんと新妻役の岡田奈々さんが神々しいほど美しく、その生涯を閉じようとする老人と、一切を静かに見守る渓流の風景もまた美しい。
岡田奈々さんの初々しさと滅びゆく村の対比が、ことさら哀れを誘う。
 
滅びゆくものは美しいのですな。廃校となる村の小学校の最後の学芸会で「ふるさと」を合唱する子供たち、一緒に歌う村人たち・・・涙腺崩壊。
 
お年寄りも故郷の山河も大事にせんきゃいけんですネ。
 
アマゾンプライムで無料視聴できます。多くの人に観て欲しい名画。
 
 

 


青森の縄文人(見習い)仲間からの贈り物・・・左京窯の卓上箒セット

2021年02月08日 08時25分30秒 | ぬなかわヒスイ工房
青森の縄文友達、左京窯さんから卓上箒とチリトリのセットを贈っていただいた。
左京さんは潜水夫なのに、民具好きの私から観ても半端ない完成度の箒の作り方をどうやって学んだのだろう?
箒の栽培から全部ご夫婦でやっているらしい。
 
出土品の鹿角アクセサリー作りも玄人裸足なら、土器も凄い。
チリトリは100均のブリキ箱をカットしてハンドルを付けたそうだが、カットだって丁寧な仕事で綺麗。
 
考古学の知識も半端なく、手先の器用さに加えて人並み外れて探求心が旺盛なのだろうが、朴訥とした人柄もあって縄文人ってこんな人たちだったのだろうな、と感じる稀有な友人。
 
左京窯さんと合同で作品展をやりたいですねぇ。

 


越後に雪男がいた時代・・・二元論ではない「北越雪譜」の世界観

2021年02月06日 08時35分27秒 | 記録しておきたいヒト・モノ・本・映画

200年前の越後には雪男がいたし、冬山で遭難した男が冬眠中のクマに助けられた不思議な話しなどが、北越雪譜(ほくえつせっぷ)で紹介されている。

真実と嘘、正義と悪いうような昨今の流行りの二元論ではなく、非日常的なできごとを「不思議なこともあるものだ」と迎え入れ、モノの哀れを感じたり、自戒とする謙虚さが好ましく思う。
現代に蘇った越後の雪男。
 
 
北越雪譜のみならず、例えば今昔物語などにも不思議な逸話が多く描かれているが、昔の人は二元論でジャッジしなかったからこそ、不思議なできごとと共存できていたのではないか?
 
昭和の落語名人、桂文楽の伝記「あらばかべっそん」にはキツネに化かされた体験、三遊亭圓生の「寄席育ち」にはタヌキ囃子を聞いた体験が綴られており、明治生まれのご両人とも「不思議なことがあるものだ」と語っている。
 
白黒をハッキリさせる二元論ではなく、グレーゾーンを内包できる度量があったからこそ、杜の中でトトロに逢えたし、闇に潜む真っ黒クロスケを目撃できたのではないか?
 
暗闇に跋扈する魑魅魍魎を恐れ、時に雪男やトトロに出逢えた豊かでおおらかだった時代に憧憬を感じる。
 
江戸時代のベストセラー、北越雪譜はユキとヒトの物語。
 
雪国の暮らしの紹介にとどまらず、雪にまつわる不思議な話しも同列に描く眼差しが柔らかく心地よい。
 
疲れた時に読むワタシの処方箋なのデス。
 
 

 


再出版が望まれる「雪国十日町の暮らしと民具」・・・雪国の知恵

2021年02月03日 07時42分39秒 | 田舎暮らし

今年の除雪は平鍬だけでなく唐鍬とツルハシ、根切りまで使ったくらい手ごわかったが、歩道を塞いだ雪の壁には氷屋の使う鋸があったら便利だなと思った。

「雪国十日町の暮らしと民具」に、かっては唐鍬・ツルハシ・カナゴシキ(根切り)に加え、「ユキキリノコギリ」が使われてうたと紹介されており、やはり人力除雪には必須だったのだと納得。
大正時代に金属スコップが普及し始める以前は、ブナ製のコシキが使われたとあるが、糸魚川ではイタヤカエデ製でコスキと呼ぶ。
 
コシキ・コスキは、江戸時代のベストセラー「北越雪譜」に、木鋤が語源だと紹介されていたと記憶している。
 
スコップに比べて作業効率は悪そうだが、現在でも山間地には軽くて扱いやすいと愛用する老人がいるとも聞き、どんな使い方をしていたのか観てみたいもんである。
 
また矢口高雄さんのマタギ漫画には、雪の斜面を滑り降りる時にコスキでブレーキをかける場面が紹介されており、雪国の暮らしには欠かせない一器多用な道具であったらしい。
 
スノーダンプは戦後まもない頃の北海道の国鉄(現JR)の保線区で木製が使われ始めたのが原型で、1960年代になって石川県の業者が鉄製を製造して広まったのだとのネット情報を見つけた。
 
「雪国十日町の暮らしと民具」は友人の民俗学者が唸ったくらいの図版本で、十日町市立博物館の出版。惜しくも絶版だが、再出版が望まれる渾身の民俗記録。
 
身の丈に見合った暮らしをしていた時代の知恵に触れると、なぜかほっとする。
 
 

 


手袋を乾かす工夫を発明した!・・・除雪に適した手袋も人様々

2021年02月01日 07時46分31秒 | 田舎暮らし

除雪で手袋を色々と試してみたが、どんな手袋でも袖から水が伝ってきたり、汗で濡れたりするので、手袋ハンガーを作ってみた。

ライニング無しの手袋ならひっくり返して乾かせても、ライニングありだと簡単に内側が乾いてくれないので、金網を丸めた筒を手袋に入れてハンガーにかけるか、ストーブの前に置くか、炬燵の中に入れて内側を乾かす作戦。
金網は100均のモチ網を丸めて作ったが、手間がかかり過ぎたぞ・・・。
建設業方面のプロは、消耗品と考えて右端のようなライニング無しのゴム手袋と軍手を組み合わせる人が多く、高田では雨のなか軍手だけの人もいて、冷たくない?と聞いたら、冷たいデ~ス!だって・・・当たり前だよね(笑)
 
私は掌にぴったりフィットして、スコップを握りやすい右から2番目を愛用しており、午前と午後で交換している。
 
3番目と4番目は愛用品の倍以上の1,400円はするし、値段の割に温かくなく、またブカブカして掌に力が入り難いので2軍扱い。
 
20代の頃はパタゴニア社の極地用のアルパイングローブを使っていたが、何万円もしたのに2年目に片っぽを無くしてしまい、以降は安物しか買わなくなった。
 
高給取りだった若い頃に買ったパタゴニアのゴアテックス製マウンテンパーカーもですねぇ・・・手袋と同じく、十分の一で買える安い雨合羽を交互に着た方が合理的だと実感して、大人になりました( ´艸`)