対話と協調を政治理念に据えた大平正芳は、選挙は60%の勝ちが理想だと語り、偏りをバランシングしやすい二大政党制の可能性を探るリベラルな保守政治家だったようだ。
だから「定点観測」と称して、内々に信頼のおけるマスコミや政治学者、憲法学者、思想家、選挙民などの意見を謙虚に聴く姿勢を崩さなかった。
著者の辻井喬とは西部グループの堤清二さんのペンネームで、大平さんと仲が良かったらしいが、政敵の岸信介、佐藤栄作、福田赳夫のことはよく書かれていない( ´艸`)
岸内閣が強行採決した60年安保改正でデモが起こりつつある時、岸総理は「一部のアカが騒いでいるだけだからすぐにおとなしくなる」と甘く見ていたが、デモの熱気が高まるにつれて機動隊の出動だけでは不安を覚えたのか、なんと暴力団と右翼団体に粛清を要請し、いざとなれば自衛隊の出動まで考えていた。
専門家に意見を聴く時は、参考図書の推薦をしてもらい、寸暇を惜しんで勉強していたらしい。
大平は独自の世論調査で、国民は安保改正の中身より、戦前のような強引な政治に対し、民主主義の危機を感じて抗議の声を挙げているのだと正確に世論を認識して、デモが過激化する見込みがあり、なんとしてでも自衛隊出動だけは回避させたいと警視庁に警戒を厳にせよと連絡。
国会議事堂前には推定で13~30万人のデモ隊が粛々と集まり抗議するも、右翼街宣車がデモ隊に突入して乱闘となり、女子学生が圧死する事件となる。
岸総理は自衛隊に出動を再三依頼するも、防衛庁長官が拒否。
あの時、自衛隊が出動していたら戒厳令下に置かれたのだろうか?
三島由紀夫は、自衛隊の出動と共に「盾の会」も決起すると計画していたそうだが、素人がノコノコ出て行っても群衆に撲殺されただけではないか。
田中角栄から「大平君は政治家というより哲学者だな」と評された大平さんは、グタグタの政争に疲れ果て、お気の毒にもて衆参両院同時選挙の際中にお亡くなりになりました。
哲人政治家と呼ばれ、政治とは?と質問された大平さんは、「明日枯れる花にも水をやることだ」と答えたそう。
中国に旅行した時、本屋の政治コーナーに日本の政治家では大平さんの本しか置いておらず、中国人ジャーナリストの友人に理由を聞いたことがある。
田中角栄内閣の時の日中国交回復の成功は、外務大臣だった大平さんが面子を重んじる中国文化を熟知した対応が信頼されたことが大きく、中国では大政治家として高く評価されているとのこと。
そんな大平さんが生きていたら、尖閣問題やコロナや冷え込んだ景気対策、フクシマの復興方策、オリンピック問題と色々と聴いてみたい。
対話と協調を重んじ、60%の成功を目指し、明日枯れる花にも水をやる・・・こんな政治家が出てきて欲しいもんだ。