昨日は夏風邪がぶり返し、ウォーキングを休みました。
とはいえ、夕方になって少し調子は持ち直したので、
三ツ境のダイエーに行く途中にたまたま見かけた「西洋膳処 創喜」で、
二人で夕食をとることに決め、コース料理を頼む。
こんなお店がいつの間にかできていたんだなと興味津々。
二人で入る前に想像したよりはリーズナブルな感覚で食事ができ、
メインの魚料理は量が多かったが、味はとにかくおいしかった。
今回取り上げるのは、1680年生まれのエマヌエーレ・ダストルガの作品。
彼の生没年についてはCDでは1680年から1757年頃と書いてあるのだが、
1681年から1736年と書いているのもあり、諸説あるようだ。
また、出身地についてもナポリ生まれと書いているものもあるが、
シチリア島のシラクサのアウグスタ生まれと、
書いているのもありこの辺もはっきりしない。
あまり彼についての記録が残されていないことが関係するようだ。
ともかく両シチリア王国内で活躍したのであろうが、
幼少期は両親を失い不遇な状況にあったようで、
スペインのアストルガの修道院で音楽教育を受けたことから、
彼の名がエマヌエーレ・ダストルガと呼ばれるようである。
パレルモでフランチェスコ・スカルラッティに師事したともいわれている。
代表作「スターバト・マーテル」の詳しい作曲年代はわからない。
今回聴いたCDはアン・モノイオスのソプラノ、
バルタザール=ノイマン合唱団、トーマス・ヘンゲルブロック指揮、
フライブルク・バロック・オーケストラの演奏による。
最初の「悲しみに沈める御母は」は悲痛さを思わせる合唱である。
弦楽が美しい歌声をそっと包み込みように伴奏で支えていく。
「天なる父のひとり子の」は、少し軽快なテンポの弦楽の伴奏に乗り、
ソプラノ独唱とテノールとバスの独唱者たちが絡んでいく。
「キリストの御母の」は、軽快なテンポの弦楽伴奏に乗り、
ソプラノとアルトによる二重唱、テノールとバスによる二重唱が展開される。
「慈しみと愛の泉なる御母よ」は、合唱による対位法風の歌である。
「聖なる御母よ」は、オルガンの音と弦楽器の序奏に導かれ、
ソプラノ独唱によって歌われる甘美な歌である。
「ともに涙を流し」は、軽快な伴奏に乗り、
アルトとテノールによる二重唱が展開される。
「童貞の中のいともすぐれし童貞よ」は、
合唱により華やかな部分としんみりとした部分が交互に現れ、
対照的であり、最後はそのしんみりとした感じで終わる。
「御子の御傷もてわれらをも傷つけ」は、
バリトン独唱による歌で、バロック的な格調高さがある。
「キリストよ、私がこの世を去るときには」は、
合唱による壮麗な音楽で、終わりを飾るにふさわしい。
合唱のハーモニーの美しさと弦楽器・オルガンの動きの絡み合いがいい。
最後はアーメンを繰り返しながら、しんみりと終わる。
とはいえ、夕方になって少し調子は持ち直したので、
三ツ境のダイエーに行く途中にたまたま見かけた「西洋膳処 創喜」で、
二人で夕食をとることに決め、コース料理を頼む。
こんなお店がいつの間にかできていたんだなと興味津々。
二人で入る前に想像したよりはリーズナブルな感覚で食事ができ、
メインの魚料理は量が多かったが、味はとにかくおいしかった。
今回取り上げるのは、1680年生まれのエマヌエーレ・ダストルガの作品。
彼の生没年についてはCDでは1680年から1757年頃と書いてあるのだが、
1681年から1736年と書いているのもあり、諸説あるようだ。
また、出身地についてもナポリ生まれと書いているものもあるが、
シチリア島のシラクサのアウグスタ生まれと、
書いているのもありこの辺もはっきりしない。
あまり彼についての記録が残されていないことが関係するようだ。
ともかく両シチリア王国内で活躍したのであろうが、
幼少期は両親を失い不遇な状況にあったようで、
スペインのアストルガの修道院で音楽教育を受けたことから、
彼の名がエマヌエーレ・ダストルガと呼ばれるようである。
パレルモでフランチェスコ・スカルラッティに師事したともいわれている。
代表作「スターバト・マーテル」の詳しい作曲年代はわからない。
今回聴いたCDはアン・モノイオスのソプラノ、
バルタザール=ノイマン合唱団、トーマス・ヘンゲルブロック指揮、
フライブルク・バロック・オーケストラの演奏による。
最初の「悲しみに沈める御母は」は悲痛さを思わせる合唱である。
弦楽が美しい歌声をそっと包み込みように伴奏で支えていく。
「天なる父のひとり子の」は、少し軽快なテンポの弦楽の伴奏に乗り、
ソプラノ独唱とテノールとバスの独唱者たちが絡んでいく。
「キリストの御母の」は、軽快なテンポの弦楽伴奏に乗り、
ソプラノとアルトによる二重唱、テノールとバスによる二重唱が展開される。
「慈しみと愛の泉なる御母よ」は、合唱による対位法風の歌である。
「聖なる御母よ」は、オルガンの音と弦楽器の序奏に導かれ、
ソプラノ独唱によって歌われる甘美な歌である。
「ともに涙を流し」は、軽快な伴奏に乗り、
アルトとテノールによる二重唱が展開される。
「童貞の中のいともすぐれし童貞よ」は、
合唱により華やかな部分としんみりとした部分が交互に現れ、
対照的であり、最後はそのしんみりとした感じで終わる。
「御子の御傷もてわれらをも傷つけ」は、
バリトン独唱による歌で、バロック的な格調高さがある。
「キリストよ、私がこの世を去るときには」は、
合唱による壮麗な音楽で、終わりを飾るにふさわしい。
合唱のハーモニーの美しさと弦楽器・オルガンの動きの絡み合いがいい。
最後はアーメンを繰り返しながら、しんみりと終わる。