温泉逍遥

思いつきで巡った各地の温泉(主に日帰り温泉)を写真と共に紹介します。取り上げるのは原則的に源泉掛け流しの温泉です。

重慶南温泉 南泉公園温泉会所 その2(入浴)

2019年09月07日 | 中国
前回記事の続編です


橋を渡って門をくぐり公園内に入ると、すぐに今回の目的地である「南泉公園温泉会所」へ辿り着くことができました。「南泉」バス停から歩いて1~2分です。



勝手ながら粗末な受付小屋を想像していたのですが、そんな愚慮を覆すほど綺麗で立派な建物を目にしてびっくり。そして玄関前に掲出されている料金表の数字を見て更にびっくり。入浴するだけで68元(約1000円)もするのです。いや、これだけ立派な施設だからむしろ安いのかもしれませんね。



建物に入り、受付で入浴したい旨を申し出て料金を支払うと、ロッカーキーの機能を果たすリストバンドを手渡されました。バンド中央の金属部分をロッカー扉の感応部にタッチすることで、ロッカーの施錠開錠を行います。また、館内には有料サービスもありますから、もしかしたらこのタグで支払管理を行い、退館時に精算をするのかもしれません。
このリストバンドを受け取った後は、受付の斜め後ろにあるカウンターで自分の下足を預け、タオルや館内履きを受け取ります。



受付カウンターの上には、いかにも中国共産党関係らしいフォントや色遣いで「五佳温泉称号」と記されたプレートが掲示されていたのですが、この五佳って何を指すんだろう?




更衣室は広くて立派。常に清掃員がいるので綺麗です。
中国の温泉は水着着用ですから、ここで水着に着替えましょう。ロッカーはリストバンドに書かれている番号のものを使います。



館内は広いのですが、通路や階段がちょっと入り組んでおり、私ははじめ迷ってしまいました。彷徨いながら行きついた先は、更衣室の上(2階)にあるこの休憩スペース。ここは後で使わせていただくとして、まず今は温泉に入りたい…。一旦深呼吸して冷静になり、階段を下って更衣室に戻り、あたりを見回しながらよく目を凝らすと、ちゃんと入浴ゾーンへの通路がありました。洒落た内装にこだわるもんだから、案内が小さいか、あるいは全く無いんですよね…。



こちらの温泉は、日本の温泉のイメージとかけ離れており、まるでリゾートホテルのプールみたいな雰囲気です。
中央に据えられた大きなメインプールは真っ青で爽快。温泉が含まれているかと思われますが、かなりぬるく30℃あるかないか。温泉というより、ごくごく普通の温水プールです。



でも都会の喧騒から離れた清々しい環境ですから、静かにのんびりと過ごせます。プールで泳ぐお客さんもどこか優雅。



メインプールの一角で打たせ湯を楽しむご婦人。
中国ではなく、バリ島のリゾートホテルみたいですね。



メインプールの奥は浅くなっているのですが、この浅い部分だけは40℃近い水温がありました。どうやらお湯の供給口があるみたいです。



更に奥には子供用の設備があったのですが、閉鎖されていました。
それにしても敷地が広い。これで1000円なら安いかもしれません。



メインプールの脇には小さな浴槽もいくつか設けられており、その一部ではジェットバスのような装置が稼働していました。



湯加減も37~8℃ほどあり、壺湯のような感覚で入浴できます。ちなみに↑で入っているのは私。



私が個人的に気に入った浴槽は、建物のすぐ脇にあるこの広い槽です。コバルトブルーのタイルが鮮やかなこの浴槽は全体的に造りが浅いのですが、40℃近い湯温があり、しかもお湯が大変綺麗に透き通っているのです。寝そべらないと肩までお湯に浸かれませんが、湯加減といい、お湯の綺麗さといい、ここなら日本人の方も納得いただけるのではないかと思います。



この浴槽の一部は、本棟からせり出ているサンルームへ入り込んでおり、一部は階段状になっているのですが、この部分からは触れないほど熱いお湯が出ていて、とても近づける状態ではありませんでした。どうやらこのサンルームは浴槽へ直接入れる出入口として設計され、それゆえ槽内が階段状になっているのかと思いますが、現在は閉鎖されていて誰も入ってこないので、湯口の代わりにここから激熱のお湯を吐出させているのでしょう。何故ここを選んだのかはわかりませんが、この湯口まわりのお湯は更に綺麗なのです。館内表示によれば湧出温度は39~42℃なのでしっかり加温されているはずですし、お湯ももしかしたら強力に循環ろ過されているのかもしれませんね。



湯温が落ち着いているところまで離れてから入ってみたところ、これが実に気持ち良い。水着なしで入れたら尚良いのですが、文化が違うので致し方ありません。
お湯は無色澄明で味や匂いは特に感じられませんが、強いて言うなら無色透明の硫酸塩泉によくある風味が得られました。また湯中では引っかかる浴感が少々肌ですに伝わり、お風呂上がりはよく温まりました。おそらく硫酸塩泉ではないかと推測されます。なお湯使いについては不明。

日本のように風情や掛け流しを強く意識する文化ではなく、大きさや多様性が求められる傾向にあるため、日本の温泉を期待してしまうと肩透かしを食らうかもしれません。お湯のクオリティや湯使いについても、正直なところ特筆すべき点は無いかと思います。しかしながら交通至便、環境、清潔さ、お湯の綺麗さなど、いろんな面で満足度の高い施設でした。付近にはホテルもありますから、当地で宿泊し、ここでゆったり湯浴みを楽しむのも良いかもしれません。


39~42℃ pH7.7 
Na+:61.9ppm, Mg++:77.83ppm, Ca++:547.87ppm,
CO3--:81.4ppm
(館内表示では各イオンの量をppmで表記していましたので、ここではそのまま転記します)

重庆市巴南区南泉街道南泉路6号

月曜日9:00~20:00、火曜日~日曜日9:00~23:00
68元(レンタルタオル付)
ロッカー・ドライヤー類あり

私の好み:★★
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重慶南温泉 南泉公園温泉会所 その1(現地までのアクセス)

2019年09月04日 | 中国
今回記事から数回連続で中国・重慶市の温泉を取り上げます。
広大な中国の中部に位置する重慶市は、地理的には麻婆豆腐やパンダで有名な四川省の東部にあたり、重慶という2文字を用いなくとも「渝」の一文字でこの都市を意味するほど、中国では非常に重要な都市のひとつです。重慶市の人口は3000万超、面積は82,400 km²で、その広袤は北海道に匹敵し、国家並みの人口と領域を擁しています。重慶の別称である「巴」と省都である成都の古称「蜀」を合わせた巴蜀という言葉は四川省の別称にもなっていますが、現在重慶市は四川省から切り離されて中国に4つある直轄市の一つになっています(あとの3つは北京・天津・上海)。
さてその重慶市は知られざる温泉の宝庫。山間部のみならず都市部やその近郊にも多くの天然温泉が湧出しており、2012年には国際温泉気候連合(FEMTEC)という組織が重慶に「世界温泉之都」という称号を授与したんだとか(朝日新聞デジタル 2012年10月28日 「重慶に「世界温泉都市」の称号」)。いかにも白髪三千丈のお国柄らしい名称であり、その組織や称号については疑義や異論がある方もいらっしゃるかと思いますが、称号については取りあえず脇に置いておくとして、私は今年(2019年)春にその重慶でいくつかの温泉に入ってきましたので、それらをレポートさせていただきます。

まず私が向かったのは、都心部からモノレールと路線バスを乗り継いで行ける重慶南温泉(以下、南温泉)です。重慶で古い歴史を持つ温泉は市街北部の北温泉ですが、この南温泉も北に次ぐ歴史があり、明あるいは清の時代まで遡ることができるそうです。そして20世紀においても蒋介石・宋美齢夫妻、そして朱徳や鄧小平など、中国近現代史の著名人たちがこの地へ訪れて湯浴みをしたんだそうです。



重慶の都心部から南北の郊外へ伸びる重慶軌道交通3号線(モノレール)に乗って花渓駅で下車。南温泉の最寄駅です。



花渓駅周辺は典型的な郊外の住宅地。マンション群が建ち並ぶ整備された街区はまるで近未来都市のようです。



駅の構内を出て駅コンコースを見上げる場所に降り立ってみました。駅前には南温泉の観光案内看板が立っていますが、歩いていく距離では無いため、駅前から路線バスに乗り継ぎます。上画像は駅の東側ですが、南温泉へ行くには駅の西側(この画像の奥というか向こう側)に回って、「炒油場」というバス停から路線バスに乗車します。なお乗るべきバスの路線番号は169(本数多い)、309、312、314、317、327です。バス停で待っていれば、数分のうちにこれらのいずれかがやってくるかと思いますので、時刻を気にせずいきなり行っても問題ないでしょう。



ちなみに私が乗ったのは309番のバス。バスの車内はこんな感じです。一言で表現すれば観光色ゼロ。ごくごく一般的な地域住民の足であり、観光客らしき人の姿はおろか、車内に温泉にまつわる語句や広告が全く見られないので、本当にこのバスで良いのか、少々不安になってしまいました。
話が前後しますが、重慶のモノレールや地下鉄を利用する場合は、事前に窓口でSUICAのようなICカードを買っておくと非常に便利。乗車駅から花渓駅までの行き来はもちろん、南温泉へ向かう路線バスでも利用できます。



15分ほど乗って「南泉」バス停で下車しました。



南温泉のメインストリート周辺はこのような街並み。平日の午前中だからか、歴史ある温泉地とは思えないほど閑散としていましたが、週末にはそれなりに賑わうようです。



南温泉一帯は風光明媚な公園として整備されています。山の上まで一気に上がれるロープウエイも設置されているんですね。上からの眺望はさぞ素晴らしいのでしょうけど、私は乗りませんでした。



公園内に設置されている観光案内看板には、周辺の簡単な地図の他、温泉の簡単な解説が記されていました。この地図に従い、これから温泉施設へと向かいます。

今回記事では温泉までのアクセス面を書いただけで分量や画像が多くなってしまったので、一旦ここで記事を区切り、本題の温泉については次回記事にてご紹介いたします、

次回記事に続く。

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中国の目次

2015年10月24日 | 中国
2019.10.6更新


当ブログで取り上げてきた中国(一部に香港・マカオを含む)に関する記事を一覧にしました。

マカオタワーでバンジージャンプ
福建・広東の旅 その1 厦門ぶらり街歩き
福建・広東の旅 その2 完全アウェーの福建土楼ツアー 前編
福建・広東の旅 その3 完全アウェーの福建土楼ツアー 後編
福建・広東の旅 その4 高速鉄道の一等車と在来線の硬座を乗り継ぐ
福建・広東の旅 その5 五華熱鉱泥温泉への苦難の道
福建・広東の旅 その6 五華熱鉱泥温泉 前編(部屋・温泉プール・露天)
福建・広東の旅 その7 五華熱鉱泥温泉 後編(泥湯・食事)
福建・広東の旅 その8 従化温泉への道程
福建・広東の旅 その9 従化温泉 北渓松林酒店
福建・広東の旅 その10 従化温泉街を逍遥
福建・広東の旅 その11 従化温泉から広州へ(7年前を振り返りつつ)
福建・広東の旅 その12 広州から香港経由で帰国へ

重慶南温泉 南泉公園温泉会所
 その1(現地までのアクセス)
 その2(入浴)
重慶市沙坪覇区 融匯温泉
 その1(アクセスと入館)
 その2(多彩なお風呂とお湯)
重慶市南岸区 海棠暁月温泉
 その1(宿泊)
 その2(入浴)
マンションに突っ込む重慶のモノレール


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福建・広東の旅 その12 広州から香港経由で帰国へ

2015年10月23日 | 中国
前回記事の続きです。

●広州東駅から香港直通列車に乗車
 
天河バスターミナルから地下鉄で広州東駅へとやってまいりました。地下鉄構内と地上駅とを結ぶ地下街は、けっこう綺麗で案内表示もちゃんとしており、おしゃれな店も軒を連ねています。中国のオシャレ度が近年劇的に向上していることを実感します。


 
地下街から地上へ上がると、駅構内にはマックやファミマなどおなじみの店舗が並んでいました。ファミマでは入店時に「歓迎光臨」(いらっしゃいませ)、レジでの支払い時に「謝謝」(ありがとうございました)という接客挨拶が交わされたことに驚きました。日本で「いらっしゃいませ」や「ありがとうございました」を言わない商売なんて考えられませんし、もちろん香港や台湾でもこれらの表現をしない店はすぐに淘汰されちゃいますが、無愛想な接客が当たり前な中国大陸において、まさか日用品を扱う商品単価の安い店舗でこの言葉と接するとは予想だにせず、おもわず「え?」と聞き返しちゃいました。


 
駅構内には中国の代表的ファストフードチェーンである「真功夫」がありましたので、ここでランチをとることに。中国の街を歩いていると必ず見かけるこのお店は、黄色いトラックスーツを着たブルース・リーみたいな男性のキャラが目印ですが、店舗運営サイド曰くこの男性はブルース・リーではないんだとか。
「真功夫」は中華料理のファストフード店で、安いことはもちろん、めちゃくちゃ早いスピードで提供されるのも、この店の売りのひとつ。実際に私が「香汁排骨セット(32元=約600円)」をカウンターで注文したところ、何とお釣りが手渡されるのとほぼ同じタイミングでセット一式が目の前に用意されました。いくらなんでも早すぎるため、はじめのうちは別の人のものかと勘違いしちゃったほどです。もちろんすべての料理が作り置かれており、レジでオーダーが入力されると、キッチンのスタッフが即座に一式を用意するわけです。肝心の味ですが、排骨(スペアリブ)の煮込みはぬるい上に本当に骨だらけで肉は少なく、副菜の白菜炒めもぬるくてシナシナ(へなへな)。ご飯も冷めかけでボソボソ。唯一スープだけはしっかり熱かったのですが、具が不自然に固まっており、やや食べにくい感じ。でも全体的な味付けはまぁまぁで、可もなく不可もなしといったところ。早くて安くて味もそこそこだからか、店内は繁盛していました。


 
とっても広い広州東駅。私はここから香港行きの直通列車に乗車します。中国の鉄道駅ではどこでも必ず構内へ入る際に手荷物検査を受けますので、列に並んで検査を受け、入場したら「広九直通車」の案内表示に従い、まずはエスカレーターで2階へ上がります。


 
2階にある「広九直通車售票処」が香港直通列車専用のチケット窓口。窓口で対応するのは中国国鉄の職員なので、英語は通じるけど無愛想。支払いは人民元か香港ドルの現金のみ。香港発のチケットは香港MTRの専用サイトから会員登録した上で予約が可能らしいのですが、広州発はどうなのかな?

広州と香港の直通列車は、需要が多いにもかかわらず本数が多くないので(1日12~3往復程度)、日や時間帯によっては満席になることもしばしば。このため、実を申せば私はこの前日、従化温泉へ向かう前にこの広州東駅へ立ち寄り、念のために前売りチケットを購入しておいたのでした。私が購入した日は土曜日で、香港行きの需要が膨大だったらしく、窓口の仏頂面のお姉さんに"Today, No Ticket!"と言われて天を仰ぐ欧州系の人の姿も見られましたが、この人はその後どうしたんだろう?

とはいえ、別にこの直通列車に乗らなくても、地下鉄で広州市内のターミナル駅(広州東や広州南など)へ行き、そこから高頻度で運転される高速鉄道に乗って深圳(深圳駅や深圳北駅など)まで行っちゃって、深圳の地下鉄で羅湖か福田口岸のボーダー(香港との境界)まで乗り継いじゃえば、もう香港へたどり着けたも同然。乗り換えの手間はかかりますが、春節や国慶節などの大混雑シーズンじゃなければ、このルートで確実に鉄道で広州~香港間を移動できるはずです。でも、そのあたりの事情がわからなかったり、漢字が読めない人には、そうした柔軟な対応は難しいでしょうね。ホスピタリティーの概念がない中国国鉄の職員にそうした説明を期待するのはお門違いですし…。


 
チケット売り場前から伸びる長いエスカレーターで上層階へ上がり、右手へ折れると待合ホールです。香港は中国に返還されているとはいえ一国二制度であり、国境を越えるのと同じ感覚でボーダーを越えなければなりませんから、乗車に際しては国際列車と同じ手続きを踏みます(ただし大陸も香港も中国国内ですから、「国際」とは称さず「城際」と称しています)。出発時刻の45分前から手荷物検査およびパスポートコントロールが開始されますので、それまでにこの待合ホールへ集まっておく必要があります(出発時刻10分前にはゲートがクローズされちゃいます)。


  
上画像は手荷物検査やパスポートコントロールを通過した後の待合ホールです。免税店やカフェなどいくつかの店舗もあり、それなりに時間は潰せますが、カフェの値段設定がアホみたいに高くて軽く腹が立ちました。余談ですが、このホールにいる客は、パスポート上では既に中国から出国していますが、まだ香港の入境手続を受けていませんので、国際的にはどこの国(地域)にも入っていない宙ぶらりんな状態にいます。

私が乗るのは15:38発のZ825「九広通」列車。私を含むZ825列車の乗客はこのホールで、乗車が開始されるのを待っていたわけですが、出発時刻が近づいてもホームへ下りる階段のゲートが開く気配が見られず、駅員に聞いても「まだ」とつっけんどんに突き返されるだけ。やがて出発時刻が過ぎてしまい、その20~30分後には待合ホール内がロープで二つに分けられ、我々は待合ホールに取り残されたまま、後発列車の乗客が先にホームへ誘導され乗車しはじめました。なぜ前後の順番が逆転するんだ? 一体何が起きているんだ!? 俺たちは香港に行けるのか?

後で事情が判明したのですが、広州~香港の直通列車は、中国国鉄と香港MTRがお互いに車両を用意しあう相互乗り入れスタイルで運行されています。私が乗るべきZ825列車は「九広通」"Ktt"という名称が付けられている香港MTR所属の車両で、ごく一般的な客車である中国国鉄の車両よりも綺麗で豪華、しかも2階建てという特殊な構造の車両なのですが、1編成しかない虎の子であり、万一の事態が発生すると他の車両で代替が利かなくなってしまうのです。今回はその1編成しかない虎の子が1時間ほど遅延して広州に到着したため、折り返しの準備が間に合わず、既に車両の準備ができていた中国国鉄の車両で運行される後発列車の乗車が先行されたわけです。


 
出発予定時刻の45分後に、遅れていた列車の準備がようやく整ったらしく、ゲートが開いてホームへの入場が許され、乗車が開始されました。整列嫌いな大陸人だけでなく、英国仕込みのマナーを守る香港人や他国からの客もいますので、ここでは皆さんちゃんと列をつくって順番にゲートを通過していました。


 
 
香港MTR所属の「九広通」"Ktt"は、オール2階建でステンレス製。ホームに入線している香港行列車の行先表示には「紅磡(ホンハム)」と記されていますが、紅磡とは九龍半島の先っちょにある香港側の終着駅です(香港をご存知の方なら言うまでもないほど有名な駅ですよね)。座席クラスは1等車と特等車の2クラス制。今回はちょっと奮発して特等車を利用してみることにしました。ちなみに特等車の料金は230香港ドル(※)で、中国の交通機関にしてはかなり高い金額設定です。特等車である4号車のドア前では、アテンダントがチケットを確認していました。アテンダントは香港人ですから、表情が柔和で接客もちゃんとしており、安心できます。
(※)私が乗車した2015年5月時点の料金です。本年(2015年)7月15日より値上げされ、現在の特等車は250香港ドル(約3,900円)、一等車は210香港ドル(約3,200円)となっています。


 
 
私が指定された座席は見晴らしの良い2階席。座席配置は2+1列で、短足の私はスペースを思いっきりもて遊ばしちゃうほど、シート幅やシートピッチにゆとりがあります。ただ、窓の間隔と座席のシートピッチが合っていないため、席によっては窓のピラーの前に当たって、車窓が見にくい箇所もありました。また座席の向きは固定されているため、指定された席によっては進行方向と逆を向き続けなければなりません。さらには、本来は車内でWifiサービスが実施されているはずなのですが、この時はサービスが停止されていました。
ちなみにこの車両は日本の近畿車輛製です。大阪・徳庵の地で生産された"Made in JAPAN"の車両なのであります。


 
各座席には大きなテーブルが用意されており、出発時にはアテンダントによっておしぼり・水・クラッカー(ボソボソで不味い)が配られます。デザインが洗練されているワトソンのボトルドウォーターを目にすると、いよいよダサい大陸からまともな香港へ移るんだという実感が湧いてきます。
この日の特等車は拍子抜けするほどガラガラ。これだったら前売りチケットを買う必要はなかったかも。でもこの前日はすべての列車が満席だったわけですから、日によって混雑の度合いが全然違うんですね。当初指定されていた席は窓のピラーが邪魔で車窓を眺めにくかったので、出発後に空いている席へ勝手に移動しちゃいました。


 
シートポケットには車内誌や車内サービスメニューなど、小冊子の類がいくつも入っていました。車内誌では大阪と京都の桜についての特集が組まれていました。


 
中華圏の文化は光沢を好みますから、デッキ部分などを中心に、車内はとにかくギッラギラのピッカピカ。所要時間約2時間の長距離列車ですから、車内にはちゃんとトイレも完備されています。


●広州東を出発
 
定刻より約50分遅れて広州東駅を出発。


 
途中幾筋もの川を越えたのですが、国内ニュースで取り上げられるほど連日の豪雨の影響を受け、どの川も川幅いっぱいに泥水が奔流していました。場所によっては完全に浸水している畑があるほど。


 
広州~香港の直通列車は、国際列車とほぼ同様の特殊な扱いを受ける列車であるため、途中停車駅は東莞のみ。東莞駅ホームの電光掲示には46分遅れであることが表示されていました。


 
香港広州間は中国でも屈指の経済活動が活発なエリアであり、人の移動も膨大です。そんな膨大な輸送需要に対応すべく、広州香港直通列車が走る線路と中国国鉄の高速鉄道(広深港高速鉄道)は複々線になっており、途中で何回か高速鉄道「和諧号」と並走するシーンが見られました。「和諧号」の方が断然速いのですが、お互いマックススピードで抜きつ抜かれつを繰り返しており、いずれにも多くの旅客が乗っているのですから、中国のダイナミズムを実感せずにはいられません。


 
車窓から田園風景が消え、その代わりに集合住宅が増えて、ビルが林立しはじめると…


 
大都会の深圳駅に停車です。停車といってもこの駅で旅客の乗降はできません。乗務員交代やダイヤ調整など諸々の事情があるらしく、ここでは15分ほど停車しました。


 
隣のホームに停まっている列車は、四川省の成都東駅行き長距離列車。私が眺めていると、ちょうど乗車が開始されたらしく、硬臥(庶民向けの2等寝台)と思しき車内へ続々と乗客が入り込んできました。果たしてここから何時間かかることやら。長旅、お疲れ様です。


 
深圳での15分間の停車後、列車は少しずつのっそりと動き始め、低速で大陸と香港のボーダーとなっている川を越えました。
ようやく香港です。喧騒と競争と利己主義とカオスで満ち溢れている大陸側とオサラバ。全身全霊がものすごい安心感で包まれました。


 
香港側では数分おきの高頻度運行が行われているMTR東鉄線(旧KCR)の先行電車をひたすら追いかけるだけなので、超ノロノロ運転です。東京で例えるならば、山手線や京浜東北線のダイヤの間に、長距離特急を割り込ませるような感じかな。でも先行列車を追い抜くためなのか、なぜか私が乗っている直通列車は、途中で東鉄線の火炭駅ではなく、支線の馬場駅を経由しました。とにかく鈍足な列車から香港郊外の街並みを眺めます。


●香港到着後、旅最後の食事を
 
定刻より1時間以上も遅れた18:42にようやく香港九龍の紅磡(ホンハム)駅に到着しました。ホームからエスカレーターで上層階へ上がり、そこで入境審査(いわゆるイミグレ)を受けます。


 
紅磡駅の構内には手荷物預かりがありますので(上画像で「行李寄存」と表示されているカウンター)、ここに大きな荷物を預け、帰国する飛行機が出発するまで、香港を簡単に散策です。私は香港へ何度も来ていますから、地図などは見ず、記憶に任せて適当にお散歩します。


 

科学的見地で捉えれば香港の空気はかなり汚染されていますけど、社会的な雰囲気で見れば、大陸とは空気が全く違い、先進地域らしい安寧と秩序と清らかさが感じられます。やっぱり自由経済圏の方が良いですね。持参していたオクトパスカード(東京のSuicaみたいなもの)が使えなくなっていたので、駅の窓口で機能復活の手続きをしてもらったのですが、英語はちゃんと通じるし、お客さんと向き合って説明してくれるし、お金を払えば「ありがとう」と笑顔で挨拶をしてくれる。そんな当たり前なことが、大陸という無愛想でカオスの地から渡ってきた私にとっては、この上なく有難いもてなしに感じられました。
駅前では法輪功の排斥を香港政府に訴えかけるデモが行われていました。おそらく大陸寄りの人間によるものでしょう。デモができるのは自由な社会があってこそ。尤も私は法輪功を支持するつもりは全くありませんが、大陸寄りの声が大きくなるような状況にはなってほしくありません。香港には香港のままでいて欲しく、共産党の唯々諾々になって欲しくはありません。それゆえ昨年(2014年)の雨傘運動の挫折はとても無念でした。たしかに紅磡駅を降りた私は、先進地域らしい自由で開放な空気を感じて嬉しくなりました。しかし、台湾はまだ大陸と一定の距離を取り続けられるかと思いますが、香港はやがて大陸に呑み込まれてゆく運命なのかと思うと、素直にその開放感を楽しんで良いのか、複雑な気分に苛まれます。


 
 
紅磡駅からブラブラ歩いて彌敦道(ネイザンロード)へ出て、私のお気に入りのお店でこの旅最後の食事を楽しみます。あまりにベタな店ゆえ、お恥ずかしいのでどの店かは詳らかにしませんが、ここのエビチャーハンが私の大好物なのです。これを食べるためにわざわざ香港へ立ち寄ったといっても過言ではないほどです。


 
食後は適当に買い物をしながら、尖沙咀で夜景をボンヤリ眺めます。相変わらずここはものすごい数の観光客で溢れかえっていますが、私は岸壁からちょっと離れたところで、この景色を楽しみました。いかにも香港らしいこの夜景は、目の前で汚く澱むビクトリアハーバーから漂う、いかにも水質の悪そうな潮の臭さを嗅いでこそ価値があるのだと、私は香港へ来る度、その信念を強くしています。スターフェリーに乗って、あの潮の悪臭に包まれないと、なんだか香港に来た気分になれません。


●香港エクスプレス(LCC)の羽田行で帰国
 
一旦紅磡駅へ戻り、預けていた大きな荷物を返してもらってから、MTRと機場快線を乗り継いで空港第2ターミナルへ。この第2ターミナルは主にLCCなどが使っているのですが、日本のLCCターミナルが鼻糞に思えるほど、とっても広くて立派です。



今回はLCC「香港エクスプレス」で帰国します。LCCなのに羽田へ行ってくれる便利な便です。真夜中に出発して、羽田へ早朝に着くという、いかにも安い便にありがちな時間帯なのですが、羽田ならそのまま都内(渋谷区)の会社へ出勤できるので、むしろ私にとっては願ったり叶ったり。チェックインカウンターでは、キザで尖ったオシャレを好む香港の若者たちが、日本旅行へ向かうべく、大挙をなして列に並んでいました。旅行先に我が国を選んでくれたことに対し、一国民として心より感謝歓迎申し上げます。


 
さすが国際都市香港。23時を跨いでも、空港内は大賑わい。



LCCゆえか、ボーディングブリッジは使わせてもらえず、バスで離れ小島の搭乗口まで連れて行かれました。501番という搭乗口番号が、いかにターミナルの端っこにあるかを示していますね。ざっと見た感じで搭乗率は7~8割といったところ。LCCですがシートピッチはレガシーキャリアのエコノミーとほぼ変わらず、乗り心地に特に不満はありませんでした。



翌朝、無事に羽田へ到着。到着後に気付いたのですが、機材は「香港エクスプレス」ではなく、グループ会社の「香港航空」のものでした(塗装は親会社の「海南空港」とほとんど同じ)。実はチェックイン時に予約していた座席が変更され、出発が30分遅れ、しかもギリギリまで搭乗口が決まらなかったのですが、もしかしたら機材のやり繰りに何らかの問題が発生し、代替のきくグループ会社の機材を使ったのかもしれませんね。

さて、次回からは拙ブログの本来の趣旨である、日本国内の温泉のネタに戻ります。
長い間、温泉とは無関係の旅行記にお付き合いくださり、誠にありがとうございました。

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福建・広東の旅 その11 従化温泉から広州へ(7年前を振り返りつつ)

2015年10月22日 | 中国
前回記事の続きです。

●従化温泉から広州へ
 
従化温泉での湯めぐりを諦めた私は、宿に戻って荷物をまとめてチェックアウトを済ませて、広州・香港経由で帰国の途へ就くことにしました。まずは「温泉路」のバス停から従化バスターミナル行の路線バスに乗り込みます。停留所にはアバウトな時刻案内が掲示されており、これによれば街中(ターミナル)発の温泉行は6:30~20:30、温泉発の街中行は7:00~21:00の間に15分間隔で運行されるとのこと。なお運賃は3元先払い。


 
従化バスターミナル行(路線番号4番)に乗車。バス車内は右or下画像のような感じ。ごく普通の路線バスです。


 

約40分の乗車で従化バスターミナルに到着しました。前日ターミナル前で市民を睥睨していた特警の装甲車は姿を消していましたが、その代わりターミナル前の広場では何かのイベントが開催中。でも雨だからか人影はそんなに多い模様。ターミナルの前ではバイクタクシーの大群が、傘をさしながら客を捕まえるのに必死の様子でした。


 
さて、ここから広州の天河バスターミナルへ向かうバスに乗り換えます。チケット窓口は方面や路線系統別に分けられていますので、その区分に従って列に並びチケットを購入します。近年の中国各地の駅やバスターミナル等では、各窓口前に柵を立てて物理的に列を作らせることにより、割り込みや横入りなどを防ぐような措置がとられていますが、このターミナルにおいても然りであり、おかげさまで横入りに腹をたてることなく、並んだ通りに順番が回ってきました。


 
簡易的な手荷物チェックを受けて待合室へ。ホール内では企業広告と同じ面積を共産党のスローガン掲示に充てています。後で改めて触れますが、このターミナルでは、「軍人為我保国防 我為軍人作奉献」とか「軍政軍民心連心 共創双擁模範城」など、軍民が一体になって云々という内容のスローガンが多いみたい。


 
券面に印字された6番乗車口には既に列ができており、その列はどんどん後ろへ長くなってゆくのですが、出発予定時刻が近づいてもゲートが開く気配はなく、しかもその6番ゲートを担当していた係員は、長い列ができているこちら(天河行)を措いておき、他の行先のバスの改札を始めてしまうものだから、天河行の行列はザワつきはじめ、やがて係員とのケンカ腰の応答が繰り広げられ、押し問答の末にようやくゲートが開かれると、結局列は崩れて割り込みが横行し、我先に乗車しようとする客が殺到して、係員によるチケット確認(改札)は機能不全に陥りました。この国では何をするにも本当に疲れます。世界第2位の経済大国になろうとも、所詮中国は中国。庶民の生活は相変わらずなのでした。


 
約1時間で広州・天河バスターミナルに到着です。このバスターミナルについては、先日の記事で取り上げておりますので、ここでの細かな叙述は避けておきます。


●広州の地下鉄
 
天河バスターミナルは地下鉄駅と接続しているので、市内各地へのアクセスも良好。券売機でトークンを購入して自動改札を通るのですが、タッチパネル(画面上で路線→駅名→人数の順に選択)の反応が悪かったり、使える紙幣の種類が限定されていたりと、券売機は使い勝手が悪いため、有人窓口に並ぶ人の方がはるかに多い状況です。私個人としては広州の地下鉄に乗るのは7年ぶりなので、勝手が慣れずにちょっと戸惑いました。


  
ホームドアが完備されたホームはとっても綺麗で、その見た目は香港MTRを彷彿とさせます。でも乗車の際のマナーは相変わらずめちゃくちゃで、電車が駅に着く度、下車客と乗車客で押し合いへし合いが繰り返されます。同じ中華系でもマナーを守る台湾や香港とは大違い。



駅構内には日本を取り上げたこんな広告も。やっぱり日本=アニメやゲームといったイメージが強いのかな。


●広州市内の共産党スローガンコレクション 2015
中国は都会でも田舎でもとにかく共産党のスローガンだらけ。「マナーを守りましょう」「みんな団結しましょう」「衛生に気をつけよう」といった社会生活に関するものから、「共産党万歳」や「強い軍を作って誇らしい国にするぞ」といった政治思想丸出しで先軍的なものまで、いろんな種類のものが街中に溢れかえっており、スローガンと無縁の生活を送っている日本人旅行者にとって、見慣れないうちはちょっと怖さを覚えるのですが、共産党が苦手な私ですら、何度も中国を訪れているうちに、こうしたスローガンを見ないと中国を旅している気分になれないのですから、実に不思議なものです。ただ、最近はスローガンにもちょっとした変化が見られるようになりましたので、広州市内で見かけたものをここでいくつか取り上げてみます。

 
まず、上画像は広州従化区のバスターミナルに掲示されていたもの。これは従来からのオーソドックスなデザインで、敬礼する軍人の姿とともに「軍政軍民団結 築起鋼鉄長城」(軍民が団結して鉄壁の長城を構築しよう)や「軍人為我保国防 我為軍人作奉献」(軍人は国を守り、私は軍人に貢献する)などという先軍主義丸出しの恐ろしい内容ですが、この手の軍礼賛ものは中国のどの街でもごくごく当たり前に見られるおなじみの光景ですので、驚くに値しません。


 
またターミナル前に建つビルの一番上には「擁軍優属 擁政愛民 軍民共建双擁模範城」という語句がでかでかと並んでいました。「人民解放軍を擁護し、軍属たちを優遇し、民を愛する政治を擁して、軍民が一体となってすばらしい街を築きましょう」という意味なのでしょう。「双擁」とは、「軍は民を守るかわり、民は軍を支持して軍属を優遇し、お互いに(双方向で)擁護し合いましょうという」という意味で、軍関係者の権利を守る際によく用いられる用語のひとつであり、ここに限らず各地で頻繁にみられますが、とにかく従化バスターミナルのまわりは、軍民一体を強調するスローガンだらけ。
また、ターミナル入口には習近平政権が唱える社会主義核心的価値、すわなち国家目標の「富強、民主、文明、和諧」、社会構築理念の「自由、平等、公正、法治」、道徳規範の「愛国、敬業、誠信、友善」、これらの計12語句がデカデカと掲示されていました(右or下画像)。でもすっかり色褪せていましたけどね(笑)。

スローガンやマナー喚起といった類は、嘆かわしい現状を変えたいからこそ唱えるものであり、たとえば「ここで立小便するな」と書かれている場所では、実際に立小便の被害が発生しているからこそ、そのような注意喚起が行われるわけです。「スピード落として安全運転」という交通標語が掲示されている箇所では、実際に速度超過による事故が発生しているのかもしれません。ということは、この従化では、ターミナルを徹底的に包囲して訴えなきゃいけないほど、軍と人民の心が乖離しちゃっているのかな。



上画像は路線バス車内先頭の運転席上部に掲示されているもので「団結一心搞"三打"以人為本促和諧」と記されています。「三打」とは広東省で繰り広げられている「三打両建」という運動を意味しており、みんな団結して「悪行為・虚偽行為・賄賂行為」という3つの行為を撲滅して和諧社会を促進しましょう、といったような意味なのでしょう。でも中国社会から虚偽とか賄賂を無くすることなんてできるのかなぁ?


 
 
こちらは地下鉄の駅構内で見られたもの。中国景気減退の影響か、はたまた共産党の強い方針なのか、従来は企業広告を掲出していたと思しき広告スペースも、この時は党のアピール(イメージ向上)やスローガンで埋め尽くされていました。ただ従来タイプの、いかにも共産主義らしく握りこぶしを突き上げて「団結だ」とか「愛国だ」なんて表現するヤボなデザインではなく、一見するとそれとは気づかないような洗練されたデザインのものが増えているんですね。漢字が読め無い人には、まさかこの広告が共産党のスローガンだなんて気付かないでしょう。


 
上画像はいずれも私が広州地下鉄の駅ホームで撮ったもの。オレンジ色枠の左(上)画像は2008年、枠無しの右(下)画像は今年(2015年)です。7年という年月差で比較してみましょう。2008年(オレンジ色枠)の時には街じゅうに企業の広告が溢れており、この駅ではキムタクのギャツビー(マンダムの男性用整髪料)がいくつも並んでいましたし、異業種他社も競って出稿していたため、党のスローガンが入るこむ余地はありませんでしたが、今年は企業広告と同じくらいに共産党アピール(黄色い矢印で差しているもの)広告が多く、7年の間に政権が変わって社会の空気感も変わったんだなぁと、しみじみとした思いに耽けてしまいました。


 
数回前の記事でも同じ画像を取り上げましたが、習近平が猛プッシュしているのが「中国の夢」。早い話が中華帝国の復活。広州のみならず北京でも上海でも、中国国内至るところこの「中国の夢」だらけ。中国中央テレビ(CCTV)でもこの赤い女の子のお人形をアニメーションにしたCMがウンザリするほど繰り返し流されていました。
無知な私の勝手な見解ですが、現政権になって明らかにスローガンの類や絶対量が増えているような気がします。

このほか、画像は撮れませんでしたが、「生男生女一様好」(男児が産まれるのも女児が産まれるのも等しく喜ばしいことだ)といった、一人っ子政策の弊害を端的に示すような標語も、いまだにデカデカと街中で掲示されていました。中国では伝統的に男児が重んじられますから、一人っ子政策において女児が産まれると(あるいは女児であることがわかると)、堕胎や間引き、人身売買が行われたり、黒孩子(無戸籍の子供)になったりして、大きな社会問題となっています。一人っ子政策に関しては、田舎に行けばもっと露骨な表現のスローガンが見られますが、大都市の広州市内ですらその手の文言が躍っているということは、いまだに悲しく嘆かわしい行為が普通に行われているんですね。そんな社会なのに「夢」を唱えるだなんて、不出来なブラックジョークにしか思えません。


●(おまけ)2008年の広州・三元里地区におけるスローガン
上述で2008年の広州の画像をアップする際、当時に撮った画像のフォルダを漁っていたら、ちょっと面白いものを見つけたので、今までの話の流れとは全然関係ないのですが、ここでちょっとご紹介させていただきます。
広州駅の裏手に位置する広州市白雲区の三元里地区は、かつて香港にあった九龍城を彷彿とさせるカオスなスラム的エリアとして知られており、薬物・博打・エロ床屋(売春)が横行していた広州屈指の無法地帯として悪名高き場所でありました。日頃は温泉巡りを趣味とする私も、以前は海外旅行先の各地の怪しいエリアに潜入することを隠れた楽しみにしていたことがあり、危険を顧みずにわざわざそういう街を探索しておりました(最近はもうやってません)。


 
 
私がこの三元里地区を散策した2008年時点では、もう既に大規模な「浄化」が実施されており、いわゆる無法地帯のような怪しい雰囲気はあまり感じられなかったのですが、街じゅうに貼られたあまたの標語が、かつてこの街がどのようなところであったかを物語っていました。そのほとんどが違法薬物の追放を訴えかけるものだったのです。
左上(スマホでは最上段)の画像では、この1枚だけで「創和諧社区 建美好家園」(調和のとれた社会を作って、好ましい家庭を築きましょう)、「政府勧諭市民:不要吸食、注射毒品。違者可被拘留或送労働教養」(違法薬物を吸ったり注射した違反者は労働教養(裁判抜きで拘留する強制収容)に送られるぞ)、「参与禁毒斗争 構建和諧社会」(薬物廃絶闘争に協力して調和のとれた社会を築こう)という3つの標語が写っているのですが、うち2つが毒品、つまり違法薬物撲滅キャンペーンに関するものなのであります。そんなに強調しなきゃいけないほど、この街にはその手のものが蔓延していたのかな。なお、「創和…」の下にはコンドーム自販機(白い小箱)が設置されています。この街は標語のほか、コンドーム自販機が多いことも特徴のひとつであり、ある意味で街の特徴を端的に示しています。
右上(スマホでは上から2番目)の画像にも「毒品一日不絶 禁毒一刻不止」と、麻薬を止めるよう諭す語句が並んでいますし、左下(スマホでは上から3番目)では同じ標語とともに「吸毒害己 害家害国」(薬物で己を害することは、家庭や国家を害することにもなる)という標語も掲示されていました。
極めつけは右下(スマホでは最下段)の画像の標語。「"黄、賭、毒" 毀家、害己、禍国」(エロ・ギャンブル・ドラッグは、家庭を毀損し自分を傷つけ国家をダメにする)という、かつての三元里で横行していた諸悪がてんこ盛りになっていました。余談ですが、隠喩としてエロい事物を色で表現することがありますが、その色は国や言語によって様々。日本語の場合はピンクですが、英語はブルー、そして中国語の場合は黄色です。

ちなみにこの三元里が無法地帯だった理由には、どうやら新疆ウイグル系の存在が関わっているようです。今でこそ中共は、チベット人とともにウイグル人を徹底的に弾圧して世界から非難されていますが、かつては今とは全く逆で、下手に独立運動を刺激しないよう、ウイグル人による多少の悪事は見て見ぬ振りをしており、香港の九龍城みたいに複雑怪奇でごちゃごちゃのカオスであった三元里には、いつの間のやら悪党の居城となってしまったようです。しかし2000年に入るあたりから治安対策が徹底して行われ、私が訪れた2008年の時点では、いわゆる無法地帯的な雰囲気は既に消えて、単なる庶民の下町と化していました。
イギリスのアヘン戦争から日本軍の里見機関に至るまで、中国の近代史はアヘンで散々な目に遭っていますから、その教訓として現在薬物に対する取り締まりがものすごく厳格であることは有名ですが、三元里で横行していた"黄、賭、毒"の中でも、特に"毒"に関する標語が目立っていたのは、そうした国の方針を明確に示したものなのでしょう。

ウイグルに触れたついでの余談ですが、数年前に私が上海の虹口地区を歩いていた時、スリに遭いかけたことがあります。幸いにも途中で不審な気配に気づき、犯人に思いっきり肘鉄を食らわせたので、スリは未遂に終わりましたが、その犯人の顔立ちは明らかにウイグル系であり、しかも中学生くらいの若い男の子でした。間抜けそうな私の風貌がいかにも鴨ネギのように見えたのかもしれません。自分たちの故郷ウイグルは漢民族に占拠されて、仕事を求めて都会へやってきたものの、ろくな職にありつけず、こうして街頭で獲物を狙っていたのでしょうね。犯罪は許されませんが、とはいえ少数民族ゆえの悲しい現実に同情を禁じ得ません。


 
話を三元里に戻します。ひと昔前までの中国と言えば、街に貼り出される壁新聞が風物詩のような存在でしたが、この時の三元里でも壁新聞は健在でした。党の活動報告やら法制の説明やら、人民への告知がズラーッと並んでおります。右(下)画像の壁新聞は、保健衛生に関する壁新聞コーナーで、この時は女性の更年期に関して模造紙いっぱいに手書きによる解説がなされていました。なおその壁新聞の右隅に写っている小箱はコンドームの自販機です。今ではどうだかわかりませんが、当時の三元里エリア内では本当にこの手の自販機があちこちで見られました。

ここで見られた標語・スローガンはいずれも、言葉こそストレートであるものの、いかにもお役所らしいデザイン性のかけらもない実用的な「看板」や「貼り紙」にすぎないものばかりでした。しかし先日(2015年)私が旅をしている際に目にした現在のスローガンは、こうした野暮ったいものではなく、キャッチーでデザイン性も重視しており、語句のみならずビジュアル的な印象を良くして、より深く人民の心理へ入り込もう(操作しよう)とする意図が見え隠れしているように感じられました。


 
ついでですから、当時の三元里の様子も一緒にアップさせていただきます。上画像は商店街の様子。中国の都市部でごく普通に見られる庶民の商店街であり、治安が悪かったエリアだとはとても思えません。ただ道行く人の服装センスが現在とは大違いであり、季節こそ違うものの、皆さん地味な服装ばかりです。今はおしゃれを楽しむ人も増えてきましたから、成長著しい中国において、7年のブランクは相当大きいようです。
街路名には「抗英大街」や「群英大街」など、イギリスに関係する名前が散見されるのですが、これらは、アヘン戦争時にここ三元里の民衆がイギリスに対して蜂起し、イギリス軍を壊滅寸前にまで追い込んだ「三元里事件」の舞台であることを意味しており、イギリスに対抗したことを讃えてストリート名にしているわけです。


 
何本ものガスボンベを自転車で運んだり、青空食堂でコックが振るう中華鍋を熱する燃料が練炭であったり…。いかにも中国らしい光景。


 
三元里にはかつて城壁が築かれていました。共産党の手によってその多くは破壊されてしまいましたが、城門など一部は残されており、私が実際に潜った城門には民国14年(つまり1925年)と記されていました。民国暦ということは、まだ中国大陸が国民党の中華民国によって統治されていた頃に建てられたのでしょう。


 
 
 
城門を潜った先は狭隘で暗い路地が延々と続き、変な臭いと湿り気に満ちた暗い路地は迷路みたいに複雑に入り組んでおり、各通路には電線や配水管などが幾条も秩序なく這わされていました。かつて香港にあったスラム「九龍城」みたいです。でも怪しい気配はあまりなく、日没後には中国ではおなじみのエロ床屋と思しき店も一部に見られたものの、老若男女を問わず皆さんごく普通にこれらの狭隘で暗い通路を歩いていました。また随所に「文明巷」とかかれた路地も多く見られましたし、監視カメラも随所で目を光らせていましたから、エリア内は相当「浄化」が進んでいるようでした。

かつて悪名で名を馳せた三元里は行政の尽力によりすっかり大人しくなり、"黄、賭、毒"は鳴りを潜めたようでしたが、それらに代わって現在の三元里の代名詞となっているのが、バッグを中心にしたアパレルの偽ブランド。最近の三元里に関してネット検索すると、バッグや衣類のショッピング、そして偽ブランドを取り上げたものがほとんどです。当地には巨大なアパレル商業施設ができ、卸売の大きな商圏が形成されて、今ではそれらの商売を目的にしたアフリカ系の人が(不法滞在を含め)多く暮らす地区へと変貌し、現地住民とアフリカ系との間でいろんな軋轢が生まれているんだとか。時代の変遷とともに主人公が変わりましたが、昔も今も三元里は外来者によって謎めいたパワーが生み出され続けているのですね。光陰矢の如しで変貌を続ける広州の街ですから、当時私が見た光景はもう消えてしまったのかもしれません。

つい調子に乗って、話がすっかり今回の旅と関係のない方向へ逸れてしまいました。ごめんなさい。
閑話休題、次回記事からは旅の本題へ戻ります。

次回記事につづく
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