温泉は入浴するだけでなく、飲用により健康増進効果がもたらされることは皆さまご存じの通り。温泉は得てしてミネラル分が多いことから、ヨーロッパでは温泉を「飲む野菜」と表現することもあるそうです。拙ブログではチェコのカルロヴィ・ヴァリにある飲泉場を取り上げたことがありますが(その記事は
こちら)、当地では飲泉が街を代表する文化として確立しており、非常に立派な飲泉場が街の中心部に設けられています。
さて日本でも細々ながら、古から飲泉の文化や習慣が根付いているわけですが、今回湯めぐりしている大分市には昔ながらの湯治場的な鉱泉があり、いまなお飲泉による湯治が実践されていますので、どんな鉱泉なのか体験するべく行ってみることにしました。
大分市街から国道442号を西進し、沿道の景色が市街地から山間部へと移ろおうとする辺りで、国道から細い道に入ってゆくと、その先にあるのが今回訪ねる塚野鉱泉です。当地には「山水荘」など2~3軒の旅館が営業しているらしく、泊まりながらじっくり湯治することもできるのですが、今回は泊まらずに外湯へ立ち寄り入浴させていただくことにしました。上画像に写っている建物が「山水荘」なのですが、今回はこの建物の目の前を歩いて通過します。
歩道を進んだ突き当たりにあるのが「塚野霊泉」。実に渋い佇まいであり、単なる鉱泉井とは異なる、不思議な空気感が横溢しています。正直なところ薄暗くて気味が悪いので、「アタシって霊感が強いの」と自称するような人だったら、「あ、いるよ。白い光が見えた」なんて嘯いちゃうのでしょうけど、そのあたりに関して鈍感極まりない私は何も感じることなく、「こんなしっかりした建物が組まれているのね。それだけ多くの方々に頼られているのね」と感心するばかりでした。
建物の前には妙見菩薩の石仏、そして「礦泉」と彫られた明治17年の石碑が並んでいます。この鉱泉の歴史はさほど古くなく、明治16年に地元の方々によって発見され、その翌年(つまり明治17年)、地元有志の尽力により大分県から浴用と飲用の許可が下りたんだとか。ということは、ここにある石碑は県から許可が下りたことを記念して彫られたものと推測されます。
建物の中はこんな感じ。霊感や物の怪などを一切信じない私でも、石灯篭や石祠を目にするとさすがに神妙な心持になり、失礼なことはしちゃいけないな、と自分を戒めながら源泉に近づきました。
「源泉」と彫られた場所を覗き込むと、たしかに内部では無色透明の鉱泉が湧いており、鉱泉とともに上がってくる炭酸ガスを吸い込んで軽く咽てしまいました。鉱泉を持ち帰る際には、上述の「山水荘」で所定の料金を支払うのですが、軽く飲泉を試す程度なら無料でOK。実際に汲んで飲んでみますと、少々ぬるく、塩味とカルシウムらしい硬い味、出汁味、金気味、そしてはっきりとした炭酸味とシュワシュワ感が口の中に広がりました。端的に表現すれば炭酸ガスを多く含む塩化土類泉であり、同じく大分県の長湯温泉や七里田温泉、あるいは北海道の濁川温泉、福島県会津の只見川流域、長野県や岐阜県の御嶽山周辺、兵庫県有馬温泉、山陰の三瓶山周辺、鹿児島県霧島の天降川流域などなど、同じタイプの鉱泉・温泉は全国各地に点在していますので、さほど特別に珍しい泉質というわけでも無いでしょう。さらに言えば、冒頭で触れたチェコのカルロヴィ・ヴァリも完全にこの手の泉質です。従いまして、全国の温泉を巡っているマニアさんがこちらの鉱泉を口にしたところで、確かに不味いけど塩化土類泉らしい味だ、という感想を抱いてすぐに同類の他の温泉と比較しちゃうかと思います。でもネットでこちらを訪ねて飲泉した方の旅行記を拝見しますと、ひどく不味い、なかなか飲めない等々、鉱泉の嚥下に大層難儀なさっているようです。慣れているマニアとそうではない一般の方では感覚に大きな違いがあるようですが、一般の方が抱く「飲みにくい。まずい」という感覚は、後述する鉱泉の効能に大きな影響を及ぼしているのではないかと独りで勝手に推測しております。
鉱泉場の壁には寄進者の名札がズラリと並んでいました。つまり鉱泉を飲み続けることで実際に効果を得られた方がたくさんいらっしゃるのです。たしかに私が物見遊山でここを訪ねた時も、両手にタンクを持った中高年の夫婦が続々とやってきては、柄杓で鉱泉を汲んで持ち帰っていました。医学がどれだけ進歩しても、こうした鉱泉を頼みの綱にする方がいかに多いか、よくわかります。
私が鉱泉を飲んだり写真を撮ったりしていると、鉱泉場の中にあるベンチにで所在無げに座っているお爺さんが私に声をかけ、鉱泉の効能についていろいろと話してくださいました。上画像にも箇条書きにされた鉱泉の効能が写っていますが、どうやら飲むことで消化器系の疾病に何らの効果をもたらすようです。お爺さん曰く、そこに書いてある効能書きが嘘じゃないよ、飲泉を続けて胃カメラを飲んだら病気が治っていた人がいるとか、鉱泉を沸かしたお風呂に入ったらコウノトリが飛んできた(子宝に恵まれた)奥さんがいるとか、とにかくお爺さんは具体例を一つ一つ挙げながら効能を強調していました。そんなに凄いのかぁ…。
さて飲泉を体験したところで、その鉱泉を沸かしたお風呂に入ってみましょう。こちらの浴舎は「山水荘」の外湯という位置づけのようです。
この浴舎は常時無人であるため、利用の際には出入口の前に置かれている料金箱に所定の湯銭を納めます。
棚しかない至って質素な脱衣室を抜けて浴室へ。訪ねたのは12月の寒い日だったため浴室内は湯気で曇っており、見難い画像となっております。ごめんなさい。
浴室も実用本位で洗い場と浴槽1つがあるだけという大変シンプルな造り。草臥れれたタイルが渋い湯治場風情を醸し出しています。
わずか200円のお風呂なのに、なんと洗い場のカランからはボイラーで沸かしたお湯が出てくるのです。これはありがたい。ただし4~5基あるシャワーの間隔は狭いので、利用時はお隣さんと干渉しないよう気を付けましょう。
源泉は20℃未満ですから浴用に際しては加温されます。上画像のコックを開けると加温された鉱泉が勢いよく吐出されました。なおお湯は常時投入するものではなく、普段は締めておいて必要に応じ客が任意でコックを開けてお湯を出す、という使い方をしています。
浴槽は4人サイズで、基本的にはタイル張りですが、縁には木材が採用されています。浴槽の鉱泉は灰色かかったオリーブ色(暗くて薄い緑いろ)に濁っており、塩味や石灰味は源泉と同様なのですが、加温に伴い炭酸ガスは抜けてしまっているので炭酸味は弱めです。カルシウムやマグネシウムが多いためか、湯中では強く引っ掛かる浴感(ギシギシとした感触)が得られます。湯加減は41℃でちょうど良いのですが、食塩の影響か実にパワフルに火照り、湯上りはしばらく汗が止まらず外套要らずでした。私の利用時にもこのお風呂には次々にお客さんがやっきて、皆さん思い思いに湯あみをして体を癒していらっしゃいました。
ところで温泉に関する私の蔵書を読んでいたら、この塚野鉱泉の飲泉湯治に関する興味深い研究を見つけました。
日本温泉科学会編『温泉科学の新展開』(ナカニシヤ出版。2006年8月10日初版発行)の「第10章 温泉の医療人類学的研究(広島県立広島大学教授 沖田一彦著)」にて、塚野鉱泉の湯治客や旅館経営者等に対して行った聞き取り調査や各種調査に基づき、当地ではどのような湯治が行われ、どのような効能が人口に膾炙され、湯治客は何を期待しどのような効果を得、いかなる感想を抱いたのか、といったことが述べられています。すべてを紹介するととんでもなく長くなるので、思いっきり端折って要約しますと、次のようになります。
まず湯治客はみなさん、口コミなどによって「消化器系の疾病に効能がある」との情報を得て、方々からここにやってきます。そして宿に滞在しながら不味い鉱泉を我慢して一定量以上飲泉しつづけます。すると、どの湯治客にも下痢が起こります。排泄物が無色になるまで飲泉を繰り返すんだそうです。とにかくここでは飲泉して下痢を起こすことが肝要のようです。つまり飲泉が引き起こす下痢によって体内の宿便や毒素が除去され、これによって病気回復や健康増進につながるのだ、と考えられているようです。現代風に表現するなら「デトックス」でしょうね。そして「デトックス」を繰り返した結果、潰瘍が治ったり腫瘍が消えたりするんだとか。
しかしながら医学的見地によればこのような原理はかなり疑わしい・・・。なぜなら、医学的な宿便とは便秘と同義語であり、便秘そのものは大腸癌との関連が指摘されているものの、そもそも「『腸に何年もへばりつき』『毒素を出す』ような宿便は、医学的には存在しない」からです。たしかにこの鉱泉を飲むことで下痢が引き起こされますが、これは鉱泉に含まれるミネラル(Na+, Mg++)や炭酸ガスによるもので、どんな健康な人でも大量摂取すれば下痢をしてしまうのは当然の原理。私も以前に
「ゲロルシュタイナー」を毎日大量に飲んでいた時があり、ほぼ毎日お腹を下していましたが、これと同じような理屈なのでしょう。
では、医学が進んだ現代社会でなぜ鉱泉の効能を信じる人がいるのか。その問いに対してこの研究では「人間が重い病気のような過去に経験したことのない事象に直面したとき、その不安を解消するために(中略)イメージや期待から作り出された仮設に基づいて行動を起こす」「そのようなイメージは(中略)客観的な知識(科学的な知識)に基づいて形成されたイメージよりもはるかに優位であり、より大きなリアリティーを形成させる」と述べています。つまり、初めから「治る」と期待して湯治場に赴くことでまず転地効果が得られ、言い伝えに従い不味くて飲みにくい飲泉を続け、下痢を起こし毒素の元凶と信じ込む「宿便」を排出することで視覚的・感覚的なリアリティーを獲得する。こうした行動によって、飲泉以外の理由で病気が回復したとしても、飲泉によって効果があったんだ、霊験あらたかなんだ、と確信するに至るようです。他の湯治場では「湯あたり」を経ることで効能が得られるという共通認識がありますが、これも同様ですね。つまりどんな先端医療であっても取り去ることができない患者の不安感を、一定の苦しいプロセスを経過しながら目に見える分かりやすい現象で納得させているのが湯治なのかもしれません。もはや宗教に近いものがあるように思います。しかしながら自己治癒力を高めるには患者自らの精神状態を向上させるのが良いわけですし、プラシーボ効果も無視できない力があるのですから、現代医学の不足点を補う意味で、湯治療法というのは意味があるのかもしれません。そもそも飲泉自体の効能は広く認められていることであり、当地における民間療法のような劇的な効能は期待できないものの、適切な量を適切に飲むことで健康増進に一定の効果が得られることは間違いないようです。かく言う私も、体調不良が続いたら、群馬県草津温泉に出かけてお風呂をハシゴしています。こうすることで実際に体調が回復するのですが、これも一種の思い込み効果なのかもしれません。信じる者は救われるという一つの真理を、この塚野鉱泉で実感しました。
含二酸化炭素-ナトリウム-塩化物・炭酸水素塩冷鉱泉
15.7℃ pH6.2 4.7L/min(自噴) 溶存物質10.988g/kg 成分総計12.158g/kg
Na+:2940.0mg(76.77mval%), Ca++:235.0mg(7.04mval%), Mg++:282.0mg(13.93mval%), Sr++:12.0mg,Fe++:5.4mg,
Cl-:4090.0mg(69.34mval%), HCO3-:3110.0mg(30.63mval%),
H2SiO3:115.0mg, HBO2:110.0mg, CO2:1170.0mg
(平成15年2月7日)
山水荘
大分県大分市大字廻栖野21番地
097-541-0008
外湯7:00~11:00、13:00~20:00 年中無休
200円
備品類無し
鉱泉持ち帰りは2リットル200円(山水荘にて支払い)
私の好み:★★+0.5