「わたし、思うんですよ。生活において、自分たちの居場所を整える、家事。次の世代を育ててゆく、子育て。そして、先の世代の死をしっかりと看取るという意味での、介護。これをしないでいい人間というのは、本来、子どもだけじゃないでしょうか? もちろん生活を支えるために稼ぐことは必要だし、とても大変なことです。でもそれはまだ、居場所を整える家事の半分を担っているだけであって、子育てと介護は、また別です。仕事だけして、よしとするのは、子供が外で遊びに精を出し、家に帰ると全部母親にまかせていた頃と、似たところがあるんじゃないでしょうか。本当に大人がやるべき、大切で大変な仕事は、さらに子育てと介護を加えたものだと思います。でも、誰もが大人なわけじゃありません。第一、わたしたちの世界の中心に、本当の大人がどのくらいいますでしょう…。わたし自身、父への介護が不充分だった悔いが、この仕事に進むきっかけで、とてもまだ大人とはいえません。むしろ立派な大人のほうが、少ないだろうと思います。だからこそ、幼い者同士、協力して助け合うことが必要なんじゃないでしょうか。希望もそこにある気がしています。個々に自立を急がせることが、かえって多くの人を、幼さのなかに引きこもらせているように感じてなりませんもの」
天童荒太著 「永遠の仔」より
以前、「ケア・ハラスメント」という記事を書いたときに、ほんの少しこの文章について触れました。当時、東京で暮らしていて、手元に本がなかったので、うろ覚えて中途半端なことを書きました。
読んだのは、Takを産んで、実家で産褥の日々を過ごしていた時だったと思います。この文章は、心の奥深くに浸透していき、後に高松に帰ってくることを真剣に考えることの基盤ともなったものです。
「人間性のバランス」ということを書こうとしたら、もう、これで何も付け加えることもない、というほどです。
ここでいう「子育て」っていうのは、「自分の子供を産んで育てる」ということに限ったことではなくて、「地域社会の中で、子育てや子供の教育に参画すること」でもあるし、「介護」も全く同じだと思います。
「仕事」の内容や収入で人間の価値を測ったり、分類したりする社会こそが、あまりにも狭くて、近視眼的なように思います。
ある女性。
独身でワンルームマンション一人暮らし。数年付き合っているカレシあり。お互いの仕事の都合で結婚のメドが立たず。
親は高齢。
仕事はデキる。話をきくたびに昇格しています。
この人、何年も一人暮らしをしていながら、市で細かく決められているゴミの分別方法を知らない。選挙にはいったことがない。料理をしない。掃除や片付けもあまりしないらしく、部屋には誰も入れない。
洗濯は週一度、実家に持っていって、親にして貰い、畳んでもらって紙袋に入った状態で受け取る。ついでに実家で食事をするけれど、料理の手伝い、あと片付けはしない。
でも、職業柄、化粧は完璧、部屋から1歩外に出るときは、頭から爪先まで、隙のない装い。
周囲は、「いずれ結婚して、主婦になったら、ちゃんとやるだろう」と思って、何も言わないようだし、本人もそう思っているようです。
「今わたしのやるべきことは仕事。それが、楽しいし、不満はない」
まあ、不満ということで強いていえば、早く結婚できたらいいけど、まっ、今はムリなのよん」っていうことでしょうか。
そして、同世代の幼馴染みが、3人ぐらい子供を産んで、すっかり「いなかのおばさん」になっているので、もう全く世界が違って接点が何もない、でも、彼女は自分の仕事に誇りを持っていて、無収入で、自分のやりたいことができない主婦よりも、自力で生活して、好きなことができるし、オシャレな自分にプライドを持っているようです。
これだけ書くと、なんじゃ~その女!?って思うでしょうけど、この人、結構思いやりがあって、気立てのいい人で、私は好きです。
こういう人、男女限らず、たくさんいるのではないでしょうか?
いや、私だって、種類は違うけれど、相当偏った人生をやってきたと思います。
人に「アンタ、ちょっとソレ、ヘンじゃないの?」っていえるほど真っ当な道を歩いてきていません、、、
ワンルームマンションとコンビニがあれば、快適な!?一人暮らしができる社会。
部屋にはPCとDVDがあって…自分だけの世界を極めるには、最高??
今どきのワカモノが一人暮らしをするとなったら、手を拱いて受け入れる住居はフツーにこんな感じなんだよね。
ろくなキッチンもなく、段ボール箱のような小さな備え付け冷蔵庫、安物のフローリング、狭いユニットバス&トイレ。
ビジネスホテルのシングルルームってカンジ…
これが時代のニーズなんでしょうかね?
ワンルームマンションとコンビニ
これこそが人間としてのバランスを崩す生活の元凶のような気がするのですが、どうでしょうか?
人間関係にストレスを溜めて帰ってきて、ワンルームマンションで、コンビニ弁当を食べながら、DVDを観たり、ネットサーフィンしたり、人や季節と遮断された空間で、バーチャルな世界に浸る、、
長い独身生活、そういうライフスタイルの男女がある日結婚するって、、、どおよ?
(う~ん、それはやっぱ、離婚が増えるのもうなずけるってもんだ…とお考えになりましたか? 私は、そーでなくても離婚してるので、なにも語れない立場なもんで)
住居って、食事って、重要よ、ライフスタイルを決めるのよ。人生を決めるのよ。
私は、大学で一人暮らしを始めてから、何度も引っ越しをしてきましたが、絶対条件は、「キッチン」(ってか、台所)が使いやすいってことでした。ガスコンロが1個のヤツしか置けないってのは論外。次に、お友達が数人きてもOKなスペースをつくれる間取り。なので、ワンルームは全く眼中にありませんでした。
偏った人生ではあったと思いますが、「生活」を大事にしたいという思いは常にありました。
でもね、思いはあっても、日本の社会はなんだかそれを受け入れてくれる方向にいってないような気がするんですけど、いかがでしょうか?
住居も、仕事も、報道や情報も、流通しているいろんなモノも、すべてがです。
人の欲望さえも操作している…
私の、音楽ともだちで、ネパール、エディンバラ、ウガンダ…と、海外でご自分の専門分野の研究に従事されているまっきーが、最近のご自身のブログの記事に、いずれ、日本人として、日本で、自国に貢献できる仕事がしたいというようなことを書いていらっしゃいました。
研究の記事の合間に書かれるご家族の話題を読んでると、このご家族が彼の出発点であり、帰ってくるところ、日本で仕事がしたいという思いも、それと同じなのでは…と、健全な、清清しさのようなものを感じました。エラソでごめんなさい。でも、すごく共感しました。原点を忘れずにいること、バランスを保つことを心掛けることの大切さを改めて感じたのでした。
エラソなこと言ってる割には、私、最近「食事をつくる」ことをめっちゃ手抜きしてるかも。
食生活のバランスも、人間性のバランスに通じると信じる私。
お味噌汁だけは作るんですが、「あんかけ」系、煮物系、作ってないよな~~
「お酢」も減らなくなったしな~~
なんでだろう?と、考えてみると、朝のお弁当作りに、エネルギーを注いでいるぶん、夕飯が手抜きになってるんだな。
まあ、それならよしとしよう。9月になれば、通常に戻るわ。
お弁当、まだ1度も冷食を使ってません。別に自慢なワケじゃないけど、少し前にTVでやっていた、日本の大手冷食の、中国工場を取材している番組を観て、なんだかうすら寒~くなって、(全くネガティヴな番組じゃなく、むしろその逆だったのですが)ハンバーグもミートボールもフライものも、朝起きてから作る日々。
でも、これに関しては、「苦労してる」って意識は全くなかったけど、やっぱ、夕飯の手抜きってとこにシワ寄せが、、、(^_^;) これもある意味「偏り」ですわ~。
しかし、せっかくだからお弁当の記録も残しておけばよかったな~~~
結局冒頭の文章に戻るんですけど、
「家事、子育て、介護」。作者は、「仕事とは家事の半分を担っているだけだ」とまで言っています。私も賛成です。
天童さんが、高齢者施設の施設長の女性に語らせたこの台詞の中の「大人」というのは、「バランスのとれた人間性」ということと同義語なのだと思います。そういう人は少ない。だからこそ、幼い者同士が、自分の偏りを自覚して、補いあって、協力し合っていくことが大切だし、そこがコミュニケーションであり、希望であると思うのです。
天童荒太著 「永遠の仔」より
以前、「ケア・ハラスメント」という記事を書いたときに、ほんの少しこの文章について触れました。当時、東京で暮らしていて、手元に本がなかったので、うろ覚えて中途半端なことを書きました。
読んだのは、Takを産んで、実家で産褥の日々を過ごしていた時だったと思います。この文章は、心の奥深くに浸透していき、後に高松に帰ってくることを真剣に考えることの基盤ともなったものです。
「人間性のバランス」ということを書こうとしたら、もう、これで何も付け加えることもない、というほどです。
ここでいう「子育て」っていうのは、「自分の子供を産んで育てる」ということに限ったことではなくて、「地域社会の中で、子育てや子供の教育に参画すること」でもあるし、「介護」も全く同じだと思います。
「仕事」の内容や収入で人間の価値を測ったり、分類したりする社会こそが、あまりにも狭くて、近視眼的なように思います。
ある女性。
独身でワンルームマンション一人暮らし。数年付き合っているカレシあり。お互いの仕事の都合で結婚のメドが立たず。
親は高齢。
仕事はデキる。話をきくたびに昇格しています。
この人、何年も一人暮らしをしていながら、市で細かく決められているゴミの分別方法を知らない。選挙にはいったことがない。料理をしない。掃除や片付けもあまりしないらしく、部屋には誰も入れない。
洗濯は週一度、実家に持っていって、親にして貰い、畳んでもらって紙袋に入った状態で受け取る。ついでに実家で食事をするけれど、料理の手伝い、あと片付けはしない。
でも、職業柄、化粧は完璧、部屋から1歩外に出るときは、頭から爪先まで、隙のない装い。
周囲は、「いずれ結婚して、主婦になったら、ちゃんとやるだろう」と思って、何も言わないようだし、本人もそう思っているようです。
「今わたしのやるべきことは仕事。それが、楽しいし、不満はない」
まあ、不満ということで強いていえば、早く結婚できたらいいけど、まっ、今はムリなのよん」っていうことでしょうか。
そして、同世代の幼馴染みが、3人ぐらい子供を産んで、すっかり「いなかのおばさん」になっているので、もう全く世界が違って接点が何もない、でも、彼女は自分の仕事に誇りを持っていて、無収入で、自分のやりたいことができない主婦よりも、自力で生活して、好きなことができるし、オシャレな自分にプライドを持っているようです。
これだけ書くと、なんじゃ~その女!?って思うでしょうけど、この人、結構思いやりがあって、気立てのいい人で、私は好きです。
こういう人、男女限らず、たくさんいるのではないでしょうか?
いや、私だって、種類は違うけれど、相当偏った人生をやってきたと思います。
人に「アンタ、ちょっとソレ、ヘンじゃないの?」っていえるほど真っ当な道を歩いてきていません、、、
ワンルームマンションとコンビニがあれば、快適な!?一人暮らしができる社会。
部屋にはPCとDVDがあって…自分だけの世界を極めるには、最高??
今どきのワカモノが一人暮らしをするとなったら、手を拱いて受け入れる住居はフツーにこんな感じなんだよね。
ろくなキッチンもなく、段ボール箱のような小さな備え付け冷蔵庫、安物のフローリング、狭いユニットバス&トイレ。
ビジネスホテルのシングルルームってカンジ…
これが時代のニーズなんでしょうかね?
ワンルームマンションとコンビニ
これこそが人間としてのバランスを崩す生活の元凶のような気がするのですが、どうでしょうか?
人間関係にストレスを溜めて帰ってきて、ワンルームマンションで、コンビニ弁当を食べながら、DVDを観たり、ネットサーフィンしたり、人や季節と遮断された空間で、バーチャルな世界に浸る、、
長い独身生活、そういうライフスタイルの男女がある日結婚するって、、、どおよ?
(う~ん、それはやっぱ、離婚が増えるのもうなずけるってもんだ…とお考えになりましたか? 私は、そーでなくても離婚してるので、なにも語れない立場なもんで)
住居って、食事って、重要よ、ライフスタイルを決めるのよ。人生を決めるのよ。
私は、大学で一人暮らしを始めてから、何度も引っ越しをしてきましたが、絶対条件は、「キッチン」(ってか、台所)が使いやすいってことでした。ガスコンロが1個のヤツしか置けないってのは論外。次に、お友達が数人きてもOKなスペースをつくれる間取り。なので、ワンルームは全く眼中にありませんでした。
偏った人生ではあったと思いますが、「生活」を大事にしたいという思いは常にありました。
でもね、思いはあっても、日本の社会はなんだかそれを受け入れてくれる方向にいってないような気がするんですけど、いかがでしょうか?
住居も、仕事も、報道や情報も、流通しているいろんなモノも、すべてがです。
人の欲望さえも操作している…
私の、音楽ともだちで、ネパール、エディンバラ、ウガンダ…と、海外でご自分の専門分野の研究に従事されているまっきーが、最近のご自身のブログの記事に、いずれ、日本人として、日本で、自国に貢献できる仕事がしたいというようなことを書いていらっしゃいました。
研究の記事の合間に書かれるご家族の話題を読んでると、このご家族が彼の出発点であり、帰ってくるところ、日本で仕事がしたいという思いも、それと同じなのでは…と、健全な、清清しさのようなものを感じました。エラソでごめんなさい。でも、すごく共感しました。原点を忘れずにいること、バランスを保つことを心掛けることの大切さを改めて感じたのでした。
エラソなこと言ってる割には、私、最近「食事をつくる」ことをめっちゃ手抜きしてるかも。
食生活のバランスも、人間性のバランスに通じると信じる私。
お味噌汁だけは作るんですが、「あんかけ」系、煮物系、作ってないよな~~
「お酢」も減らなくなったしな~~
なんでだろう?と、考えてみると、朝のお弁当作りに、エネルギーを注いでいるぶん、夕飯が手抜きになってるんだな。
まあ、それならよしとしよう。9月になれば、通常に戻るわ。
お弁当、まだ1度も冷食を使ってません。別に自慢なワケじゃないけど、少し前にTVでやっていた、日本の大手冷食の、中国工場を取材している番組を観て、なんだかうすら寒~くなって、(全くネガティヴな番組じゃなく、むしろその逆だったのですが)ハンバーグもミートボールもフライものも、朝起きてから作る日々。
でも、これに関しては、「苦労してる」って意識は全くなかったけど、やっぱ、夕飯の手抜きってとこにシワ寄せが、、、(^_^;) これもある意味「偏り」ですわ~。
しかし、せっかくだからお弁当の記録も残しておけばよかったな~~~
結局冒頭の文章に戻るんですけど、
「家事、子育て、介護」。作者は、「仕事とは家事の半分を担っているだけだ」とまで言っています。私も賛成です。
天童さんが、高齢者施設の施設長の女性に語らせたこの台詞の中の「大人」というのは、「バランスのとれた人間性」ということと同義語なのだと思います。そういう人は少ない。だからこそ、幼い者同士が、自分の偏りを自覚して、補いあって、協力し合っていくことが大切だし、そこがコミュニケーションであり、希望であると思うのです。