WIND AND SOUND

日々雑感 季節の風と音… by TAKAMI

「生徒」か「生徒さん」か

2012-07-07 | アーティスト魂






自分の音楽教室に通ってきてくれてる人たちのことを、「生徒」というか「生徒さん」というか?


以前、私は当然「生徒」だろう…と思っていました。

他の先生の生徒さんは、「お弟子さん」とか「生徒さん」。
これは、その先生に対する敬語のようなものです。

じゃあ、自分の生徒に対しては??

自分の息子のことを「息子さん」なんて言わないよね。
ソレとほぼ同じなのかなと思います。
これは、師弟の技術的に当然な上下関係をキッチリ表しているのではと思ってきました。


しかし…

今私は、私のところにレッスンに来る人たちのことを「生徒さん」と、言ったり書いたりしています。
これは、間違いなのだろうか???

「私の弟子」「私の生徒」…ってことで、特に「私のお弟子さん」なんて言い方は殆どしないだろな~~
…と思っていたら、これが、結構「お弟子さんに頂いたのよ」なんていう感じで、自然に仰るお花やお琴の先生とかいらっしゃるし、、


キッチリ理由はないんだけど、いつのまにか、私よりも年上の方をレッスンしたり、大人のレッスンをすることが増えてきました。(現在は私より年上の方はいませんが)
それでなんとなく、日常の中で、「今日はこれから生徒さんが来るから…」とか、
話の中でそんなふうに、言うことがよくあり、目上の方だけ「生徒さん」でキッズは「生徒」って区別もいつのまにかしなくなり、全員「生徒さん」となってしまいました。


…ここで、「生徒」と書かず「生徒さん」と書くようになったのはいつだろうかと、
またまた検索してみた。暇やね~~(^_^;)
やはり、東京時代は「生徒」と書いてることもあり。

いつも当ブログを読んで下さっている、コメンテイターまゆこちゃんは、「フラミンゴ」のピアニストで、ピアノの先生なのですが、
ご自分のブログでは、生徒さんのことはキッチリ「生徒」と書いていらっしゃいます。

私は、このきっぱりとした、先生らしいところがとても好きです。

いろんなスタンスの「先生」がいて、信念をもって自分の持っている音楽や技術を伝えていくのに、「間違い」なんてないと思う。

生徒が先生を選べばよいのです。

私が高校生の頃、私を音大のピアノ科に行かせたかった、教育ママの母に対して、
「私はやっぱりどうしても歌がやりたい、声楽が習いたい」と言いました。
いや、もっとずっと前から言ってたっけ。でも高校になって、やっと念願の「声楽」を習わせてもらえることになりましたが、
先生を選ぶ選択肢はありませんでした。

これまでずっとピアノを習ってきた先生は実は声楽出身なので、当然その先生に習う。
「師弟関係」とは、そんな感じ。
そして、1度入門すれば、「この先生とは合わない」といって別の先生に替わることはあり得ないという風潮でした。
大学でもそうでした。

なので、大学はまずは「師匠」を選んでから受験するという風潮がありました。
これが当時一般的だったかどうかは私にはわかりません。
受験前に大学の先生にレッスンを受ければ受験に有利ということは全くないけれど、合格した後には、その師匠の門下に入ることは保証されます。






でっ、私が毎月レッスンに通い、お世話になった先生は、某芸大声楽科の主任教授でありました。
主任教授だからではなく、「発声」の系統が同じだからです。
ここの大学には落ちましたが、落ちてもそのまま、レッスンには通い続けました。

柴田睦陸(しばた むつむ)先生です。通称「ムッちゃん♪」 

天国でなにをおいてもお会いして、お礼を申し上げたい方です。
「音楽を教える」ということのなんたるかを示してくださった方なのです。

「生徒が先生を選ぶべきなのだ」

柴田師が私に仰った忘れられない言葉です。
なんだか当たり前のことなのだろうけど、「師弟関係」の厳しい不文律のようなのがある世界のなかで、高校生の私に、この言葉は異国の爽やかな風のようでした。
ご自分の「誇り」は、自然体でいて、生徒に慕われ師匠と選ばれることなのです。
ご自分の肩書きに擦り寄ってくる人たちをものともせず。


また別の話ですが、大学時代に、こんなことがありました。

私の友人(男性)が、当時の師匠といろんな点で合わず、特に「発声」について、これまで積み重ねてきたことを全部壊して、1からやり直しを求められるような指導をされる師匠のもとで、
自分の歌はこれでは伸びないと感じて、私の師匠の門下に入りたいと願い出ました。
彼の師匠は女性、私の師匠は男性でした。
私の師匠は、友人の申し出に対し、「わかった、あなたの先生と話をしてみましょう」と言われた。
ところが、友人の師匠は、条件を出されました。

「先生のところの同学年の女の子を1人ください(2人だったかも?)。交換しましょう。」

私の師匠のところに、同学年の女子は私を含め3人いました。
師匠は、誰も交換で差し出すわけにはいかないと、この申し出は断わりました。
なので、友人は、私たちの師匠のところに転籍?はできませんでした。
当時の、私たちの師匠は助教授、友人の師匠は教授でした。
力関係というのもあったのかも…。

私たちの師匠は、平野忠彦先生。「ボンちゃん♪」です。
柴田先生には、「発声」や「師」というものについてたくさんのことを学びましたが、
平野先生からは、「音楽」そのものについて、4年間たっぷりと学びました。

この経験が私の「音楽講師」としての基盤となったことは、本当に恵まれていると思います。




こんな、いろんなドラマのような出来事の中で私たちは「オペラ」を歌い、大学生活を過ごし、
社会人になって、それぞれ音楽の世界に今もいる人、いない人…


今の私は、ミュージシャンでもあるけれど、音楽講師でもあり、しかし、それだけで息子を育てていくことは到底できないので、
「テレオペ」「クリーニング」「うどん」「スーパー」とアルバイトを渡り歩くボヘミアンであります(^_^;)


こんな私のところにレッスンに来てくださる方たちは、やっぱ私にとっては「選んでくれてありがとう」的な感じなのであります。







岡山県出身の柴田睦陸先生は、「僕は岡山の山出しザルなんだ」とよく仰ってました。
自分はもともと何も持っていない。
だから、何も失って惜しいものや困るものもない。
…そういうスタンスでいらっしゃったと感じます。
「芸大主任教授」の肩書きに擦り寄ってくる人たちが、レッスン料の封筒の中に入れてる金額は、(先生は、ご自分のレッスン料は生徒が決めればよいと仰っていました)
中身も確認せず、そのまま執事だか、お手伝いの方に渡されていたと聞いたことも。
先生は、とある一部上場の、名前を聞けば誰でも知ってる会社のお嬢様と音楽を通じて出会ってご結婚され、婿養子に入られたのです。
けれども、会社とは全く関係なく、オペラ歌手として、音楽の師として最後まで現役で生きて、生涯を閉じられました。

この先生との出会いは、私の「音楽講師」としての生き方の原点と思います。


そして、今は、息子に親が育てられるのと同じように、生徒さんたちが私を育ててくれているのだなーと、感じます。
お客様に、店員が育てられるのも同じこと…

だから、やっぱり私にとっては「生徒さん」です。
でも、息子は「息子さん」じゃないから… こんな言葉の問題は、それほど重要なことでもないのですけどね(^_^;)



長々と駄文にお付き合いくださり、ありがとうございます。



ついでに、過去の記事を読み返していて感じたのですが、
ブログ始めた頃は、かなり自由にラフに書いてて、今読み返してもおもしろいわ~~
コレが自分の書いたものかと、ミョ~に感心したりするし(^_^;)
最近は、なかなかホンネが言えなかったりすることが多く、考え込むと記事のアップが滞る…

でもそれは、あちらこちらに気を使っているからなんてことじゃなく、実は自分の風当たりを気にしてのことなのだと…

このあたりでそろそろ私も、次の脱皮をする時期なのではないだろーか、、、、

…と感じまして、八方美人系、嫌われたくない、いい人と思われたい、批判がコワイ…みたいなのが絶対あるよね私、ソレってダメじゃん。
もっとダイレクトに、言いたいことは責任持って言うブログにしたいなと思う今日この頃。

日々、小ネタはいっぱいあるのよ。
放っとくと、今回のように大長編になっちゃうので、画像ナシでもなるべく短くまとめて、アップの回数を増やすとか、いろいろ考慮中。

どうぞこれからも宜しくお願いいたしますm(_ _)m
Comments (14)
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