衆議院が解散しましたねー、、、、
私は、政治や、時事系の記事は、思うところあり敢えて書かずにやってきた。
震災や原発についても、自分自身(Takとのやりとりも含め)の問題としてだけを書いてきた。
今回もそういうスタンスなのですが、、、、
私が国政の世界に関わっていたのは、もう15年も前のことか…と驚き、しみじみします。
(私は、ある時期、永田町の議員会館でとある衆議院議員の秘書業務をしていました)
それ以後総選挙のたびに、いろんな候補者の主張に真摯に耳を傾けてきた。
あの15年前から、日本は良くなっていっているだろうか?その兆しはあるのだろうか?
選挙のたびに「争点」があり、それは概してパフォーマンス的で、有権者は、興味のある人、ない人、それなりに振り回され、盛り上がってもきた。
しかし、、、、
今回の解散は、、、あまりにも虚しい…。
(以上素材提供一実のお城)
96年、私が携わった最初の総選挙(第41回)、私は、国の借金はこれだけで、それは国民1人あたりに換算するとこれだけになる…というような資料を読み、
当時3%だった消費税を増税しなくても、「これら」を整理して「ココのところ」を削ればなんとかなるのだという、候補者の論理を演説用に3分にまとめて、
公示前に、候補者不在の、政党の街宣車を、団地などに停めて、スピーカーから流す原稿を作った。
原稿を読むのは、学生ボランティアなどなど。当時30代だった若き候補者の周囲には、未来に希望を抱く若い人たちがたくさん集まっていた。
団地や駅前で、彼らは、その原稿を心をこめて読んで訴えた。
その当時の「国の借金」は、あれから僅か15年で、倍になって、今年度1000兆円を超える見通しに、、、
あの時、候補者が語っていた論理はなんだったのだ?
彼が嘘をついていたとは思わない。
候補者は、「追い風を受けて」の初当選以来、順風で、実力も伴い大臣にもなったが、先の選挙では逆風で落選。
このたびは、起死回生の立候補をなさるようで、私は心の底で応援しています。
総選挙や、統一地方選、私はいつも嘗て親しくしていた仲間やスタッフのことが、当然のことながら、気になり、心で応援しているのです。
いろんな表面的な政治的、主張の違いはあっても、彼らは根本的にはいい人なのだ、、、、
しかし当然「いい人」だけでは政治はできない。
あなたは、国の借金が15年で2倍になったことに、責任を感じていますか。
私の息子や、あなたの子ども達の重荷が2倍になったことに。
「あなた」とは、すべての政治家であり、その人を選んだり、選ばなかった有権者であります。私自身も含まれます。
これから生まれてくる子供は、生まれながらにして1000万もの借金を負っている。
(高齢者も含め国民ざっくり1人あたりなので、実質はもっとずっと多い)
自分の借金を請け負わせるために子供を生む親はあまりいないと思う。
自分が作った借金は、自分が死んだらそれで終わりにしたいってもんだ。だから、個人的な負の財産は相続放棄できる。死んだらゼロだ。
でも、国が抱えている負の財産は放棄はできない。
将来に明るい展望のない社会で、明るい気持ちで子供を産むなんてムリだ。
子供を愛する親は、当然次世代のことを考えるけれど、そのまた次世代のことは考えるだろうか?
私は3世代も5世代も先の、自分の子孫や世界のことを今ある自分の生活と同じレベルでは考えられない、浅ましい人間であります。
ましてや1000年先のことなんて。
自分と、自分の意識の届く範囲の人々の「幸せ」を願う。あまねく世界のとわの平安を願うことが私にはできるんだろうか。
あなたにはできますか。
気持ちはあります。いつも祈るときはまずソレです。祈るにはなんの犠牲も伴わないから。
きっと、神仏に手をあわせるとき、誰もが「世界の平和」を祈ることだろう。
しかし私は、本当に自分や自分の子供を大きく犠牲にしてこの世にまだ生まれてもいない人たちのことを祈り願うほど強くも清くもない。
私にできる少しの犠牲?は、この先進国にに生きる中でのギリギリの生活(元い、これは自ら招いていることなので、犠牲とはいえない)、無駄遣いをしないこと、節電や節水、資源ゴミの分別、その程度だ。
「苦痛」を伴わず感謝の心でできることといったら、たったその程度なのだ。
今の日本は、一部の物欲や名誉欲に縛られている人以外は、殆どそういう善良な人たちで構成されていて、それでも、自分と、その子供の世代では解決できないほどの重荷を負っている。。
生まれながらにして背負う国の借金だけでなく、原発の負の遺産は、これはもう真剣に考え始めたら気が狂う。対峙したくない。…のが正直な気持ち。
震災後初めての総選挙であるにもかかわらず、「原発選挙」にならないのは何故か。
それは、政治家、経済界側の都合だからだ。
現実の問題はあまりにも重く、だからだかなんだか、宗教系、スピリチュアル系、いたるところから「次のステージ」へ向かうためのメッセージが発信され、
この世が即天国…のような個人に対する変化、救いの波動を広げていこうという風潮もあり。
「自分が変れば、世界は変る」
ほんとうに、できることならそうなってほしい。そう思う、心から。
物欲を今よりも少しマイナスにして、精神性を少し高めれば、世界はよくなっていく…とは理に叶った考え方だ。
(提唱者の方がたがいっているのは、そういう意味ではなさそうだけど)
しかしそのような提唱者の中には何万円ものセミナーを開講したり、鉱物を加工したものを、高価で売っている輩もあり、全く混沌として、そんなところに先は見えない。
…そんな中での解散、総選挙。
立つ人は、この国の現状、ホントのことを知らないわけがない。精査しているはずなのだ。
軽率で思慮のないよほどの人でなければ、どれほどこの国が切羽詰ったところに追い込まれているかは、わかっているはず。
その「真実」に、きらきらした言葉のパウダーをまぶして、自分へ、わが党への票をとにかく集めようというのだろうか。
放射性物質で汚染されまくった生地を、あらん限りの経験と調味料で美味しく焼き上げ、美しくデコレーションした作品に投票するような選挙のように、私は感じてしまう。
自分はどうなってもいい、100年後、1000年後に向かって、だんだん良くなっていくために
…と思って立つ人、投票する人がいるだろうか。いると信じたい。
これまでの選挙で、いちばん虚しい投票になるような気がするけれど、
どうせそうなら、1000年後の日本に向けての構想を持っている人に投票したい。