25日(日)は、父の一周忌の法要でした。
集まったのは親族約20人。
お寺で法要のあと、お墓参りをして、それからお食事会。
この日は、抜けるような晴天で、ぽかぽかと陽射しもあたたかく、風もなく、のどかな小春日和でした。
瀬戸内海を一望できる高台のホテルの和室で皆でお膳を囲みました。
父の遺影を床の間に飾って。
会食のお開きには父が好きだったお茶が租供養に、ヒロコさんのメッセージとともに配られました。
隅々まで、父のパートナー、ヒロコさんの想いがこもっていて、私の気持ちはあの1年前の父の看取りと、葬儀のときに瞬時に引き戻されました。
ヒロコさんは、法要や、会食の挨拶のたびに、涙ぐんで声をつまらせていました。
私は娘だから、父を見送るのは悲しかったけれど、これが「順序」なのだと、受け継ぐとか、引き継ぐ…という立場でいて、これから頑張るよ、、と思えるけれど、(弟も同じだと思う)
ヒロコさんは、「もぎ取っていかれた」立場なんだ…
だから、今でも、1年前と全く変らず、悲しみも、父への想いも、そのまま…
法要の行事がおわったあと、ヒロコさんから個人的にご挨拶の長いメールをいただきました。
明るく振舞っているけれど、ほんとは今でも寂しいし悲しい…というものでした。
そして、いつも、今でも、その時々で、先生の声が聞こえてきます…と、、、
「先生(父)の声」なんて、我儘や文句が大半じゃないのぉ~~…と思うけど、
私も、父の病室で、我儘をたくさん言われたし、眉間に皺を寄せて「いらん」…などと、文句をたくさん言われてきた…それでも、あの子供みたいな表情がすごく懐かしい。
でも、父とヒロコさんの間には、子供たちに対する小言や我儘とは違う、特別な「ことば」がたくさんあっただろうな。
人生のパートナーであるとともに「ダンス」のパートナーだったんだもの。
私には、その深い意味がものすごくよくわかる。
父の菩提寺
少し前に、同窓生のお友達の仏具店で買ったお香、父へのお供えではなく、ヒロコさんにと、贈りました。
父の仏前で、父と2人の時間をゆっくり過ごしてくれたらいいなあ…と、、
ヒロコさんは、そのお香の香りに包まれながらメールを下さったのです。
私は仏教の死後の「極楽浄土」とか、「涅槃」とかの世界のことについてはあまり知識がありません。
でも、ヒロコさんと父は、住む世界が違ってしまっても、こんなに心が通い合っている…ということのほうが、知識よりもなによりも「確信」なのです。
再び会えることを、お互いに強く願い求めているのだから、その願いは、必ず叶うと。
この世でともに過ごしたつれあいと、次の世でもずっと一緒にいたいと思えるとは、本当に幸せな人生だなあ…
でも、ヒロコさんも、まだこれから父が逝った歳まであと20年以上もあるのだし、
父を心にいだきながら、この世での幸せを積み重ねてほしいです。
そうは思いながらも、最も大切な人をもぎ取られた片割れのこの世の幸せとはなんなのか、わかりません。
その大切な人から貰ったものを、今度は他の人へ与えるようなことなのかもしれないし…
それ位しか思い浮かびません。
「命」のことは、何にもまして、いくら考えてもわからないもの。
確信できるのは、父の「命」は、いまもあるということです。
どこで何をしているかわからない。宗教じみた薀蓄??はどうでもいい。
「天国の窓を開けて、ありがとうと言っているのが聞こえる」
…と、ヒロコさんからのメールに書かれていました。
「おとーさーん♪」…と、天国にアンテナを向ければ、いつでも交信できる…ホントにそう感じます。