「イグノーベル賞」も日本人が受賞したり、今年は「ノー
ベル賞」の当たり年といった態である。
最後の「特異年」にならなければいいが。
日本の国力を考えた場合、「ノーベル賞」受賞と言う
のは、かなり意味のあることだろう。
少なくとも科学技術立国を標榜するなら。
比較してもしょうがないが、オリンピックの金メダル
などなくても良いが、「ノーベル賞」はほしい。
しかし、研究者がアメリカにいるという事実は、考えな
くてはならないことだろう。
如何に、日本の研究環境が悪いかを表わしているわけ
だから。
一般的に言って、予算が少ない。
といって、こういう部分に市場原理を持ち込むのはや
めてほしい。
直接如何に役立つかだけが、価値ではないのだから。
10の役に立たない研究の中から、1の役に立つもの
が出れば良いというのが、その手の世界なのだから。
出す側としては、単に惰性でやっていると見えるもの
もあるだろう。
しかし、研究費を貰う立場からすると、説得材料とし
てその価値を説明しなくてはならない。
その為のエネルギーは結構大変なのでは、と思う。
多分、偉そうな役人相手に説得工作をしないとならな
いのだろう。
兎に角、決定権を持った役人は、偉くなってしまうか
ら。
予算に関しては、素朴に、議員の数を減らした分を回
せばいいと思うし、防衛費からだって回せるだろうし、
いくらでも捻出できる。
基礎研究というのは、地道なものなのだから、恒久的
なバックアップが必要である。
後は、マスコミの一時的な狂騒で終わらせない、理科
系に対する評価の向上である。
スポーツでお祭り騒ぎしたがるマスコミと、それに踊
らされる視聴者というのは、理科系離れを助長する、
と思う。
マスコミに登場する(テレビだが)人間で、私は数学
が苦手でと言わなかった人間を見たことがない。
殆どが文系なので、当然と言えば当然だが、そういう
言葉しか聞いてないと、それが常識と思ってしまう、
思えてしまうのがテレビの恐さだ。
その上、「理科系=オタク」というイメージまでも与
える。
「理科系の復権」には、こういう土壌を改良すること
も必要なのでは、と思う。
「ノーベル賞」関連でもう一つ。
「文学賞」というのがあるが(過去日本人も二人受賞
している)、これって必要なのかといつも思う。
理科系と違って、客観的に評価するのも難しいし、過
去の受賞者を見ても今一つぴんと来ない。
今回は「ルクレジオ」。
一時人気があったフランス人の作家だ。
「村上春樹」も候補に挙がってたらしいが、たとえ「村
上春樹」が受賞したとしても、特別な思いはないし、
一体何がと思うだけである。
何故、こういう賞があるのか不思議でしょうがない。