ピカビア通信

アート、食べ物、音楽、映画、写真などについての雑記。

ヒメダカ

2008年09月13日 | 生き物 自然


そういえば、誰かが、「金正日」はすでに去年死んで
いたなどと言っていたのを思い出した。
テレビ用には、影武者を使っていた。
ということも、強ち嘘とも言い切れないのが「北朝鮮」。
何が起こっても不思議ではない。
権力闘争でガタガタになれば、周りの国に大迷惑だし、
いればいたで問題だしと、結局問題児であることには
変わりないから困ってしまう。
この先どうなることやら。
「アフガニスタン」は、「タリバン」の勢いが増して
きてるし、一体いつになったら安定するのだろう。
一ついえるのは、「アメリカ」の力はもう万能ではな
いということで、日本もアメリカにくっ付いていれば
済むという時代ではない。

自民党総裁選の茶番も、世界情勢を見ると、まるで不
思議の国の出来事のようだ。
童話の世界だったら良かったのに。
それだったら、俗物親父という役も成立すると思う。
残念でした。

そんな世の中の出来事とは関係ない小宇宙、「滝壺ビ
オトープ」に関してだが、ついに我慢が出来なく、新
たな住人を足してしまった。
このところ、「ツブゲンゴロウ」は、「絨毯状アオミ
ドロ」の中に隠れてしまって、なかなか見えるところ
に出てこない。
だから、観察してても、今ひとつ楽しくないのだ。
「ヤゴ」はいるのだが、基本的にじっとしているので
これも変化に乏しい。
基本コンセプトは「ほったらかし」なのだが、遂に禁
じ手を使ってしまった。

新たに入れたのは「メダカ」。
本来は、近くの川で取ってくれば、なのだが、今では
「メダカ」は希少種。
昔はどこにもいたのが、こんな田舎でもみつからない。
そこで仕方なく買うことになる。
近くのホームセンター(ツブゲンゴロウはこの近くの
田圃にいる)で、「ヒメダカ」という観賞用の「メダカ」
を十匹280円で買う。
今は「メダカ」を買う時代なのだ。
ここで気を付けなくてならないのは、この手の人工的
に繁殖させた生物を、絶対自然界に放たないというこ
とである。
この点に関してはまず大丈夫だ。
万が一、鯉の池に入っても餌になるだけだし。

ここで上手いこと繁殖すれば、ヤゴにとっては餌に事
欠かないし、藻も食べてくれれば、適度な「滝壺ビオ
トープ」メインテナンスにもなるしと都合の良い予測
をたてているのだが、果たして上手く行くだろうか。
初日は、ヤゴが一生懸命「ヒメダカ」を狙って食べよ
うとするのだが、なかなか捕獲には至らないという、
早速動きのある情景を見せてくれた。


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もちもろこし

2008年09月12日 | 食べ物


犬の「ゆうすけ」のいた蕎麦屋は(昨日の)、「蕎麦倶
楽部 佐々木」という、名前からして主人の趣味或い
は思想を感じさせる蕎麦屋だが、ありがちな、押し付
けがましい暴走的な店ではなく、むしろゆったり寛げ
そうな店である。
肴に「赤ホヤの塩辛」などというのもあり、夜は特に
そういう雰囲気になりそうだ。
なにしろ、入り口に「ゆうすけ」もいるし。

話は変わり「とうもろこし」について。
今人気の「とうもろこし」は、生でも食べられる「ピュ
アホワイト」というもの。
甘さは相当らしいが、「ピーターコーン」ですら甘す
ぎると感じる人間にとっては、論外の「とうもろこし」
である。
そこまで甘くする必要がどこになるのかと思うのだが、
世の中の嗜好、志向は「甘さ追求」であるので、こうい
う状況になってしまう。
「ハニーバンタム」が出た時点で、すでに方向は決まっ
た。
それにしても思うのは、「とうもろこし」は果物か?
ということである。
感触は悪いし、風味は乏しく、ただ甘いだけの今時の
「とうもろこし」を見るたびに、義憤に近い感情すら
生まれる。
これで良いのか。

個人的には、幸い、自家製のもろこし「もちもろこし」
という在来種があるから、今時のを食べることなく済
んだ。
断然「もちもろこし」の方が美味いのに、何故今時の
甘いだけのもろこしに走るのか。
これは、「もちもろこし」を食べるたびに感じる。
答えは簡単、甘さが少ないから。
採りたてを食べると、「もちもろこし」も充分甘さは
ある(適度な)。
ところが、時間がたつと一気に甘さがなくなるのが野
菜全般で、もろこしも例外ではない。
その点、今時のは甘さが保たれる。
この辺りが大きいのだろう。
しかし、例え甘さがなくなっても選ぶとしたら「もち
もろこし」だ。
もちっとした感触は、甘さより遥かに優先する。

「クロスバンタム」がなくなった今、時代は「もちも
ろこし」なのである(私的には)。
大粒の、白や黄色の中に紫が混じった「もちもろこし」
視覚的にも相当楽しい。
人によっては気味が悪いとなるかもしれないが、兎に
角、「もちもろこし」の復権は、日本人の味覚劣化を阻
止するため、或いは日本の食文化の衰退阻止にも必要
なことなのである(と大袈裟に言いたい気持ちがある
のは事実)。



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クロツバメシジミ.蕎麦

2008年09月11日 | 食べ物


買い物があり松本方面へ。
その後「クロツバメシジミ」のいる河原に行く。
これで、四回目だ。
五月ごろから十月まで発生を繰り返すので、この間に
行けば大体いつでも見られるのだ。
天気は、これでもかの快晴。
河原だから、直射日光をもろに浴びる。
暑い。
食草の「ツメレンゲ」が生えている土手は草刈されてい
たが、生えてる部分だけは避けているので、一応配慮
はされているようだ。
ちょっと一安心。
「ミヤマシジミ」の新鮮な個体も多いし、それは良い
のだが、捨てられたゴミ袋も多い。
河原にゴミ袋、なんだか決まりごとのようなものとなっ
てしまった。
一瞬、回収しようかと思ったが、あまりに多くめげた。

他の蝶では、いるのではないかと当たりをつけた「ウ
ラギンシジミ」も、予想通りいて、順調にことは運び、
河原を後にして市内に向かう。
「クリヨー.ド.ヴァン」でまったりしようと思ったの
だ。
が、店はまだ開いてない。
時間は12時半辺り。
ったく、と思い、どうしようかと思案。
そうだ、このところ話題の(個人的な空間限定で)蕎
麦屋に行こう。
ということで、車を有料駐車場に停め歩いて向かう。
初めて行くところで、その周辺もあまりよく知らない
のだが、大体の位置は確認している。
すんなり店に到着。
店の前には、「チャウチャウ」のような毛になってい
る、結構歳のいった「レトリーバー」が寝そべっている。
おとなしい犬で、面倒くさそうに相手をしてくれる。
暫くその「ゆうすけ」(後で名前を聞いたが、これで
よかったか?)と戯れ店内に入る。

意外に空いていた。
調度、第一陣が去った後のようである。
カウンターもありここだったら入りやすい。
クラシックが流れ、店内には「サイトウキネン」の写
真が飾られている。
老舗の蕎麦屋の雰囲気とは大分違う。
メニューの蕎麦は一種類のみ。
一茶庵系の基準で言えば、セイロのみ。
県内産の蕎麦であるのだが、産地まで表示してある。
その時により変わるようだ。
デザートが付いた、ランチセットなどもあるが、結局
「盛りの大」(千円)にした。
必ず、小鉢が付く。

蕎麦は、7:93蕎麦ということだ。
つまり、つなぎ7の蕎麦。
細めに、きれいに揃った蕎麦で、感触は十割蕎麦の感
触。
二八蕎麦のような、こりっとした感触ではなく、塑性
を感じさせるような感触の蕎麦だ。
蕎麦の味は濃い。
ただ、今の時期だから香りはそんなに無い。
個人的には、二八蕎麦のこしが好きだが、これはこれ
で良いのでは。
蕎麦湯を飲み干し、店を後にする。
勿論「ゆうすけ」への挨拶は忘れない。





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蕎麦屋物語

2008年09月09日 | Weblog


久しぶりの「更級」。
何故、久しぶりかというと、夏の間殆ど早仕舞いをし
ていたからだ。
あまりに連日なので、主人が倒れたのか、と思ったく
らいだ。
そして後で聞くと、この夏は例年に比べても異常に忙
しかったということであった。
要するに、昼だけでその日の用意した蕎麦が終わり早
仕舞いということになったわけだ。
それなら、昼過ぎに打てばいいではないかということ
にもなりそうだが、すでに朝というか、夜中というか
3時ごろから作業しているので、それこそ若くない体
は悲鳴を揚げて倒れてしまうという事態を招く恐れが
ある。

それにしても今夏の異常な忙しさの理由だが、どうや
らそれはネットにあるようだという結論に達した。
そう思う理由の第一は、客層の変化。
元々お盆を中心に急がしいいシーズンではあるが、今
年は20代の若者が目立ったということである。
旅行客が中心なのだが、例年ならば家族連れとかおば
さんグループとかそういう層が中心だが、今年はその
辺が明らかに違った。
ネット情報によって行動する層は、やはり若者中心で
あろう。
ということで先の結論を導き出したわけだが、情報の
影響力というのは今更ながら凄い。

しかし、ほんらいならばこの忙しいシーズンは、蕎麦
にとっては一番よくないシーズンで、むしろ避けたい
シーズンなのだ。
昔は、夏場に蕎麦屋にいくことも結構多かったが、今
は意識的避ける。
多分、美味しさを求める人は同じ行動をとると思うが、
情報に左右される人はもうその情報優先なので、行く
と決まったら絶対行かないと満足できない。
一つの情報によって生まれた物語は、旅行先で評判の
店に行ってきたで完結するのだ。
そしてそこには、様々な付随した小さな物語があった
ほうがよりよい。
だから、並ぶという行為も全く苦にならず、それも一
つの物語を彩る要素となるのだ。

と、彼らの行動は一つのお決まりのパターンとなるの
だが、もう一つおまけもあった。
最後に自分のブログで報告。
ここまでで完結か。
これは、私自身同じような部分もある。
初めてのところに行くと(店に限らず)ついついネタ
を探してしまう自分がいるのだ。
義務ではなく好きでやっているので、それも面白さの
一つなのだが、結構それを元に勝手に物語を作ったり
しているので、同じ穴の狢かと思えないこともない。
店の料理の写真は絶対撮らないという大きな違いがあ
るが(情報としての価値はないということになるが)、
好き勝手に言うという部分は全く同じ。
むしろ膨らませ加減は私のほうが多い。
ということは、あまり彼らのことも批判できないか。
自分では違うと思っても、ブロガーと一括りしたら同
じようなものか。
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オセン米

2008年09月08日 | 生き物 自然


「汚染米」といわれると、新しいタイプの「無洗米」で
も発売されたのかと思った。
儲けている会社というのは、基本的にズルをしている
会社であるので、叩けば埃は出てくる。
自然に埃が落ち着くのを待っている、息を潜めた人達
の姿が見える。

ところで「鯉の池の部分ビオトープ」(300平方セン
チの)だが、そこは、三十年もの間に付いた5センチ
ほどの藻が、まるでジャイアントケルプ(ラッコが生
息しているところにある海草)のように森を形成して
いて、水生昆虫の住処にはうってつけの環境だ。
鯉の吸引力にも対抗できるくらいに、しっかりと壁の
コンクリートに付着している。
だから、いろんな昆虫が住み着くことは予想が出来た。
前回、4種ほどの「カゲロウ」だか「カワゲラ」の幼
虫を確認したのだが、数がどのくらいいるかは見当が
付かなかった。
そこで、じっくり観察することにした。
一見、その藻の森しか見えないのだが、割り箸で掻き
分けると、いるはいるは、何だか数ミリの虫が一杯い
る。
よく、カゲロウの大量発生というのがあるが(大発生
して橋などに群がって前が見えなくなるくらいの)、
この30平方センチの「部分ビオトープ」を見ただけ
でそのメカニズムが理解できた。
繁殖力の強さは折り紙つきなのだろう。
「滝壺ビオトープ」に入れれば、多分「ヤゴ」が大喜
びだと思うが、基本コンセプトは自然のままなので、
やりたい気持ちをぐっと抑え、ここは我慢我慢。
しかし、いずれやっちゃうかな。

本家の「滝壺ビオトープ」は、土の土手部分を補修す
るため、田圃の土をちょっと貰う。
雨で、どうしても崩れる部分が出るので、より強固に
しようと思うと、細かい田圃の土でしっかりとした土
壁のようにする必要があるのだ。
これで、5回目の田圃訪問だ。
すでに水を引いた田圃には、かつての「ツブゲンゴロウ」
の姿は当然のことない。
こういう時、彼らは一体どこに消えたのか、非常に気
になる。
まあしかし、この田圃のオーナーには感謝である(一
回も会ったことないが)。
まさか、こんなところにこのような「勝手にファン」
がいるとは思ってもいないだろう。
来年も、農薬無し(低農薬)でお願いします。
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バーレーン.お好み焼き

2008年09月07日 | サッカー


「日本対バーレーン戦」、後半10分辺りから見出した。
その時点で日本が2-0とリードしていて、0-0く
らいかなと予想していたので、意外にも楽勝パターン
かと、気楽に見る。
その後「中村憲剛」のミドルシュートが決まり3-0、
いよいよ楽勝パターンである。
ところが、最後の五分間で2点入れられ(一つは完全
なミスによるオウンゴール)3-2。
一気に緊迫感。
解説の「松木」のビビリ様が伝わってくる。
試合としては俄然面白くなってきた。
以前なら見てられないとなるところだが、今回の日本
代表に関しては、そこまで思い入れがないせいか、割
と淡々と見られる。
これは不思議な現象で、しかも同じように感じている
人間が多いらしいのだ。
人気に直結することなので、その点を心配するサッカー
関係者もいるのだが、それは代表の試合内容による結
果であると思うので、考えるべきは代表のチーム作り
の方向性などであろう。

結局、そのまま3-2で日本の勝利。
3-0であろうが3-2であろうが1-0であろうが、
重要なのは勝ち点3を取ること。
結果からすれば、満点である。
しかし、今ひとつ嬉しさが足らないのは困ったものであ
る。
サッカー少年Yに、エネルギーを注入してもらわない
と駄目かな。
昨日、ホームセンターに行ったついでに「お好み焼き」
など買って、ビールと一緒に食べて、結果それが殆ど
夕飯代わりなどというしょぼいことになったのが良く
なかったか。

「お好み焼き」つながりで、個人的には「お好み焼き」
「たこ焼き」「餃子」に関しては絶対的にビールがほ
しくなる。
あと、本格的ではない「ピザ」の場合も。
要するに冷凍物でも充分というか、この場合は質は
あまり関係ないし、それを求めない。
飽くまでもビールとの相性の問題だ。
だから当然のこと、美味しいものを食べたという満足
感はない。
その代わり、ビールが美味しかったということにはな
る。
もっと言えば、ビールの味も関係なく、そこにあるの
は、自分の中のお決まりを実行した満足感だけなのか
もしれない。

実際、昨日食べた「お好み焼き」も、大して美味しい
とも思わなかったが(過去の体験上も特に美味しいと
思ったことはないが)、食べたくはなるのである。
屋台などでは特にそう思う。
屋台の誘惑というのは間違いなくある。
「たこ焼き」に関しても同じだ(どちらかというと、
たこ焼きの方が美味しいと思うことが多い)。
日常的な食べ物であるが、屋台で食べると非日常的な
要素が加わり魅力が増す、ということはありそうだ。
だから、家に帰って食べると、その魔力もなくなり、
結果、大して美味しくもないということになってしま
うのだ。
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ファラフェル.カゲロウ

2008年09月06日 | Weblog


この前、久しぶりに「ファラフェル」が食べたくなり
作った。
もう完全に作り方はマスターし、しかも味付けも好み
の味に近くなり、所謂自家薬籠中の物となったのだが、
これも「好事魔多し」というべきか、使った油を漏斗
を使って移し変えるとき、油の鍋の取っ手がくるっと
回転し、油がどどっとこぼれてしまった。
最悪である。
油がこぼれて良いのは、フローリングの油がきれたと
きその油代わりとして調度良かったなあ、と思えると
きだけである(もしそういう状況があればの話)。
兎に角始末に悪い。
問題は鍋の取っ手だが、元々構造的欠陥のある取っ手
で、直ぐにねじが緩んでしまうのだ。
それは解っていたのだが、つい油だけに油断した(上
手い!)。

その「ファラフェル」だが、「ピタパン」があれば挟
んでより本格的なものにするのだが、いろいろやって
みたが「ピタパン」以外は今ひとつである。
食パンは、余計な味があり(油脂とか)それが邪魔。
「バゲット」は、皮が固くてサンドにすると合わない。
が、味的には「バゲット」が余計なものがない分他の
パンより良い。
そこで、結局、「ファラフェル」をおかずにして「バゲッ
ト」というところに落ち着いた。
但し「バゲット」は、全粒粉の「バゲット」である。
殆ど「Tomo」のバゲット限定だが、本当、こうい
うときには助かる。
後、どんな場合に助かるかというと、チーズを食べる
時と「ジャンボンサンドイッチ」などのバゲットサン
ドを食べる時だ。
ここがなかったら、どうしただろうと考える(その時
はその時で代替品を見つけ何とかなるものであるが)。

話は変わり、今朝の「滝壺ビオトープ」ではなく「鯉の
池」に関してだが、「オオシオカラトンボ」の生まれ
たてのようなメスがいたのはいいとして、「ギンヤンマ」
が池ノ上でホバリングしたというのも珍しいが、それで
もなく、池の端にちょっと大き目の石を置いて、その
石と端の間に鯉の及ばない領域を作ったのだが(10セ
ンチx30センチ)、そこに小さな幼虫が何匹もいた
のだ。
安全なところを察知して自然に繁殖する、まさに自然
界の法則だ。
見たたところ、「カゲロウ」か「カワゲラ」の幼虫の
ようである。
確認した限りでは4種ほどいる。
ほんの300平方センチほどだが、そこだけビオトー
プ化してきた(予定通りだが)。
これでまた、楽しみが増えてしまった。
コメント

映画の適齢期

2008年09月05日 | 映画


高校生相手に映画の話をしたら、どっと疲れてしまっ
た。
あの年頃に好きなジャンルといえば、非常に偏って、
ホラーとかアクション物とか、いずれにしろ映画の中
の極極一部で、自分達の見た狭い世界のものしか知ら
ない。
知識の絶対量が少ないのだ。
そして、自分の好きなものが絶対と思い込む傾向にあ
る。
だから、当然相対化できないし、監督の名前なども知
らないから、新しい映画を説明しようにもしようがな
い。
タイプ別に言っても、そのタイプが解らないのだから
もうお手上げである。
そんな状態であった。
それ以前に、何故高校生相手にそんな話をしなくては
ならない状況になったのか、の方が不思議だが、どう
いうわけかそういうことになってしまったのだ。

高校生の一タイプとしての勉強嫌い、しかし映画とか
小説には興味がある。
カルト系と言われるジャンルは好きだが、それだけで
に染まるのは抵抗がある。
その点では、視線が外に向いている。
国語は得意。
数学は駄目。
そんな高校生だ。
映画の知識はないに等しいから、「ゴダール」と言っ
てもそれって誰の世界だ。
小説では一度、殆ど冗談だったのだが、バタイユの
「眼球譚」は読んだ方がいいよと言ったことがある。
そしたら本当に読んだらしい。
自分で勧めたのだが、これってどうなんだと思う。
高校生にバタイユ。
大学生だって殆ど知らない。
勿論社会人だって殆ど知らないだろう。
良かったのか悪かったのか。

で、映画だが、「眼球譚」の眼球つながりで「アンダ
ルシアの犬」が良いよとも言ったのだが、そんなこと
は多分忘れていると思っていたら覚えていて、まだ観
たい気があるらしい。
「眼球譚」よりは憚られる部分も少ないので(多分)
結局貸してやることになった。
どうも、そういう映画もB級と一緒くたに考えている
節があったので(スプラッターとかホラーと)、違い
を理解させるために、作家性の強い映画も一緒に貸し
てやることにした。
世の中にはいろんな映画があると。
それがストローブ=ユイレの「アメリカ階級関係」と
ロブ=グリエの「グラディーヴァ.マラケシュの裸婦」
だ。
大事なコレクションであるので、絶対無くさないよう
にと念を押し。
しかし、高校生にこんな映画をという思いは最後まで
拭えなかった。
コメント

蓼科散歩

2008年09月04日 | Weblog


天気が悪くなるかと思ったら、晴れ間は広がりどんど
ん暑くなり、ちょっとした残暑の一日だった。
まず、鯉の池のクリーナーの掃除。
今回は、詰まってしょぼしょぼなってきたわけではな
いのだが(三週過ぎても勢いはある程度ある、今回は
頑張っている)、水の汚れが目立ってきたのでやるこ
とにしたのだ。
汚れでずっしり重いという状態ではなかったが、それ
でも結構フィルターは汚れている。
そのヘドロに混じって、5ミリくらいの変な虫がうじ
ょうじょ蠢いていた。
あの「フナムシ」のような「ミズムシ」ではない。
何だか判らない。
が、関係なくジャブジャブ洗う。
ついでに、数匹、「滝壺ビオトープ」に投入。
「ヤゴ」の餌に調度いいと思ったのだ。
そして、作業を終え池の底を見ると、何か黒い影が。
目を凝らすと、それは「鮒」であった。
何と、以前「滝壺ビオトープ」から移したあの「鮒」
の稚魚が生き残っていたのだ。
よく鯉に食べられずに。
大きさは、当時の3倍ほど。
しぶといやつだ。
もうこの大きさになれば、食べられることも無いだろ
う。

一連の作業で、ちょっと腰が、という状態だったが、
あまりに天気が良いので「山散歩」することにした。
今回は、久しぶりに「蓼科」にする。
蓼科コースは、春に何回か来ただけだ。
蓼科にもいくつかコースがあるのだが(個人的に決め
た)、今回は一番楽な平坦コースにする。
このコースは、殆ど起伏はなく、車は通行禁止だがア
スファルトという歩きやすい道。
往復4キロくらいか。

と、その前に腹ごしらえ。
そのコースからも近いカレーの「ナタラジ」に行く。
流石にシーズンも終わり静かである。
「ほうれん草のカレー」を頼む。
ランチセットで、ナンとサラダ付き。
ナンは、先週のネパールカレー屋の凄いのを食べたば
かりなので、その美味しさが際立つ。
この店でもそうだが、作る人間によって随分出来が違
うのだが、インド系は特にその傾向が強い。
しかし、やはり味的にはここが一番スパイシーで良い。
その中でも一番コクがあるのがこの「ほうれん草のカ
レー」(と言っても、全部食べたわけではなく、現時
点での個人的な経験ではという注釈付き)。
インド風カッテージチーズの豆腐のようなものが具で、
自然食系でも十分お腹は一杯になるし、当然満足感も
ある。

店を後にしてコースに出る。
秋の虫の季節である。
蝶は種類もぐっと減り、この時期に見られるものは限
られる。
その代わり、「バッタ系」の天国である。
しかし、そっちの方はあまり詳しくないので種類は判
らない。
そんないろんな秋の虫などを観察しながら歩いている
と、奇妙な光景を目にした。
蛾の幼虫(シャクガの一種だと思う)がぶら下がって
いて、そのポップな模様にひきつけられ写真でも撮ろ
うと思い近付く。
動かないので不審に思い、手で突付く。
それでも動かないのでおかしいなと、糸を辿って枝の
先を見ると、でかい5センチ以上の「キリギリス」の
ような虫が(ヤブキリか?)、じっとその幼虫をにら
んでいた。
つまり、幼虫を食べようと待ち構えている時だったの
だ。
その決定的瞬間(というほどではないがそれに近い)
が今日の写真。
そこだけ時間が止まっていた。
コメント

辞任.24

2008年09月02日 | Weblog


福田さんの突然の辞任。
安倍ちゃんよりは良いと思うが、指導力のなさが致命
的だったということか。
一人麻生さんがほくそえむという構図だろうが、誰が
やっても同じというのは、大方の人が感じていること
だと思う。
つまり、問題は今の自民党の体質で、その限界がとう
に見えているということなのだ。
延命措置だけでは、どうにもならない。
決して、民主党がすばらしいということでもないと思
うが、今までの体質を切るためには、一旦全てを解体
した方がいい。
それと、ミーハー人気で麻生さんということらしいが、
これでは小泉人気と同じで、実質何も良くならないと
いうことは目に見えている。
仕掛け人がいての今回のことだろうが、どうも見え透
いている。
それに、麻生さんというのは、あまりに教養がかけて
いる(過去の首相にあったかというのは別問題)。
そこが反福田的で人気がある点であるのだろうが、あ
れで良いのか、というのは素朴に思うことである。
単なる大衆人気である。

相変わらず、24時間テレビというのはそれなりに人
気らしいが、筋書きつき感動ドキュメントにはうんざ
りである。
取り上げていること自体は、別に悪いことではなく良
いことであるのだろうが、それを視聴率に利用する製
作側の魂胆がいやらしい。
しかも、その中で完結して、終われば過去のこととい
う消費の対象としか考えてないのに、感動という言葉
で全てを包み込み、思考を停止させる。
オリンピックも同じようなものだが、テレビで感動を
売りにした場合、常に胡散臭さが付きまとう。
取り上げていることは、日常的なもので、お祭りの世
界のことではない。
番組が終わっても、延々と続く日常である。
しかし、こんな番組でもそれがきっかけで意識を変え
たなどという人が一人でもいれば、それはそれで充分
意味がある、ということにもなるのだろうか。
その辺は、どうにも不明である。

マラソンのゴールの瞬間が、視聴率が物凄く良かった
ということだが、本気で見ているのだったら、はっき
り言って日本は終わりである。
人だかりが出来ているのでとりあえず見に行った、程
度の野次馬根性であるのなら救いはあるが。
それと、この視聴率というのは、本当に信用できるも
のなのだろうか。
これも、常に疑問に感じていることである。

コメント

文化の衰退

2008年09月01日 | 食べ物


唯一、まともなピザを提供していた「フォルマッジョ」
が閉店することになった。
八月に入り、ピザを止めた時点で、何かおかしいとは
感じていたが、そういうことだったのか。
これで、ちゃんとした「ナポリピザ」を食べられる店
は、この地方ではなくなったことになる(あえて断言)。

確かに、集客という点では厳しそうであった。
傍目にも、よくやっていると思った。
想像であるが、一番の理由は、地元客が少なかったと
いうことではないか。
はっきり言って、地元レベルではなかったが、そのこ
とがいけなかった。
本当は、それ故価値が高いのだが、経営面では残念な
がらマイナス要素となってしまう。
よく、美味しければ客は来る、とまるで絶対的な条件
の如く言われているが、これは嘘である。
嘘とは言わなくても、その内容には条件が付く。
美味しさのレベルが、ある以上にならないという条件
が。
つまり、不特定多数に受ける味というのは、決して本
格的でもなくいい材料を使うのでもない。
「コンビニ」あたりで受けている味が基準である。
この基準から離れれば離れるほど受けなくなるのだ。

それと店の場合、味以外の要素も関わってくる。
サービスとか、店の人間の印象とか。
一般的に、味にうるさいところは媚が少ない、つまり
愛想があまり良くないという傾向がある。
サービス業として良いことではないが、事実である。
この点は、特に地方では大きなマイナスとなる。
何故かというと、味中心というほど判ってる人間は多
くないので、多数派の印象が絶対的な影響力を持つ。
これは「フォルマッジョ」がそうであったということ
ではなく、一般論として言えることなのだ。

「フォルマッジョ」に関しては、例えば、子供の年齢
制限とか、持ち帰りの「ピザ」は絶対やらないとか、
いくつか目に見えるマイナス要素はあった。
頑固なまでの方針は、良し悪しである。
味に関しても、「マルゲリータ」は水牛のモッツァレラ
がなければ作らないとか、かなり厳しかった。
全体的に、はっきり店主の個性が出た店であったが、
ある味を守るためには、このくらいの厳しさがないと
維持できないという現実がある。
「悪魔の囁き」に対抗するためには止むを得ないのだ。
しかし、始めに戻るが、そういう店は受けない。
結果、流行る店は決まってくる。
個人的には、流行ってる店で良いと思ったのは、殆ど
ない。

「豊かな文化」とは、個性的な店(質の高いものを提
供するという意味で頑固なだけの店という意味ではな
い)も許容するその懐の深さにあると思うが、傾向と
しては、どんどん駄目になっている。
ラーメン屋の隆盛もそれと無関係ではない、と思うが、
少数派の悲哀を感じるだけの今日この頃である。
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