ピカビア通信

アート、食べ物、音楽、映画、写真などについての雑記。

セセリチョウ

2008年10月14日 | 生き物 自然


実は、10月9日から、ここの画像は密かにシリーズ
となっていた。
が、誰もそんなことには関心がない、と思うし、気付
く人もいないだろう。
動機が、手持ちの写真がなくなりつつあるというネガ
ティブなものなのだから、やってる本人すら後付のよ
うな気分である。

一応どういうシリーズなのか説明すると、蝶の写真で
あることは判ると思うが(中には蛾に見える人もいる
だろう)、その蝶の中でも「セセリチョウ」という蝶
の写真だけを並べたのだ。
つまり、「セセリチョウシリーズ」だったのだ。
見ての通り、この「セセリチョウ」というのは、一言
で言えば地味。
しかも、蛾と区別できないし、どれも同じように見え
る。
要するに華やかさのない蝶なのだ。
蝶の中では間違いなく人気薄の蝶だろう。
悪いことに、「イチモンジセセリ」などは、稲の害虫
ですらある。
害虫扱いを受ける蝶というのも珍しい。
そんなこともあり、マイナーなイメージを免れないの
が「セセリチョウ」であると言える。

しかし、こういうのはどの世界にも共通することだが、
始めは華やかなものに惹かれるのだが、徐々に渋めの
ものの微妙な変化の方が面白く感じるようになるもの
だ。
つまり、そういうものに魅力を感じるようになるとい
う変化が生まれるのだ。
それが蝶の世界では「セセリチョウ」なのだ。
最初は、派手な「九谷焼」に目を奪われるのが、「鼠
志野」の方がよくなるのと同じである。
或いは、「蘭」よりは、普通に野に咲く可憐な花のほ
うが好きになるのと同じである。
勿論、世の中にはそうならない人も多い。
骨董の世界であれば、いつまでたっても金ぴかな縁起
物のようなものしか集めない人がその代表である。
と、無理やり結びつけたが、この理屈も強ち間違いで
はないと思う。

とは言え、その「セセリチョウ」を本格的に狙いだし
たのは実は今年からなのだ。
正直に言うと、それまでは今ひとつ同定できない種類
が三四種あったのだ。
やっと、何とか判るようになって、晴れてお披露目と
なった次第である。
どうでもいいとは思うが、10月9日からの「セセリ
チョウ」の名前は、「スジグロチャバネセセリ」「ヘ
リグロチャバネセセリ」「ヘリグロチャバネセセリの
集団」「アカセセリ」「ヒメキマダラセセリ」そして
本日は「オオチャバネセセリ」というラインナップで
ある。
コメント

秋の一句

2008年10月13日 | 生き物 自然


スノッブなM氏の知人に、わざわざ野球を見に上京する
オジさんさんがいる。
根っからの巨人ファンで、片道二時間半、「特急あずさ」
に乗って行くその熱意には感心する(本当はよくやる
よ、と半ば呆れているのだが)。
今年は、また特に盛り上がったらしく、頻度もそれに
比例して増えたそうだ。
こういう人に支えられているから、プロ野球の人気は
根強いのだと思う。
こういうのを、細胞の中にまで野球が染みついている
というのだろう。
「正岡子規」の真の後継者は、こうやって全国に存在
しているのである。

<栗ひろい、アーチを思う、白い雲>

というわけで、「ヤゴ3号」は、その後姿が見えない。
「滝壺ビオトープ」の全体の八割は、浮き草と、アオミ
ドロの絨毯に覆われ見えない、
つまり、残り二割が、観察できる範囲なので、そこに
いないと存在そのものを確認できないのだ。
殆どは見えない、と言った方がいいかもしれない。
その二割の部分は、渚状ともいえる土の部分と、砂の
部分で出来ている。
後はもともとのセメントの壁だ。
そのセメントの部分にドロを纏って潜んでいる時は、
シルエットが「ヤゴ」の形なので確認できる。
しかし、土や砂にもぐっていた場合はお手上げである。

今のところ観察日誌は続けている。
「ヒメダカ」は、また少なくなったような気がする。
これも、見える範囲のカウントなので、正確かどうか
は判らない。
少なくなると、補充要員をまた投入しようかという気
になるから困ったものである。
ビオトープなので、なるべく手をかけたくないのだが、
どうも「ヤゴ」の餌が足りなくなるような気がするの
だ。
となると、また「ヒメダカ」か。
しかし今回よく解ったが、あまり魚は好きではない。
見ててもあまり愛着がわかないのだ。
そこで、違う何かがいいと思いいろいろ検討した結果
浮上したのが「ミナミヌマエビ」という淡水性のエビ。
普通に繁殖するらしいし、小さいし(2センチほどら
しい)、餌は藻でいいらしいし、家の「滝壺ビオトープ」
には合っている。
ところが、近所の「ホームセンター」には、「ヤマトヌマ
エビ」というのは売っているが「ミナミヌマエビ」は
売ってなかった。   
さてどうしようか、というのが今現在の状況である。
コメント

サントモール

2008年10月12日 | 食べ物


先日、「マンステル」をお安く買ったスーパーに、今
回は、シェーブルの「サントモール」が同じく値引き
価格で販売されていた。
ほぼ三割引きといったところだ。
早速購入。
賞味期限切れのシェーブルであっても、多分問題ない
だろう。
熟成が進んで、更に美味くなっている可能性のほうが
高いと見た。
これは前回も言ったことだ。
しかし、これは条件付きである。
保存状態がそれなりに良いという。
保存状態が悪ければ、賞味期限過ぎに関わらず味的に
はよくないのがチーズである。
専門店であれば、管理が行き届いているので問題ない
が、スーパーの場合、結構ひどいものがあるというの
は、紛れもない事実であるから。
確かに、むき出しのケースでは温度管理も難しい。
それに、いろんな人の手で弄ばれる。
ひどいものに当ったのは、過去、四五回はある。
買うなら信頼の置ける専門店、これが基本であるが、
田舎の場合そういうわけにも行かない。
しかし、田舎は田舎で購入者がいないので、今回のよ
うな値引きの僥倖の確率も高くなる。
そしてそこには、味的なリスクが伴うということいで
ある。
田舎だったから良いのか悪いのか。

そして、その売り場には、「サントモール」以外に「ス
ティルトン」も値引き販売されていた。
三大ブルーチーズの一つ、あの食べ物不毛の地イギ
リスで、例外的に美味いものの「スティルトン」だ。
食指がぐぐっと動いた。
殆ど購入という気分で手に取った。
そしてじっくり観察。
その「スティルトン」は、量り売りのラップした物で
はなく、予めほぼ定量でビニールパックされた工場制
のもののようだ。
青カビの入り具合を見ると、今ひとつ手作り製のもの
と違い、物足りない。
それとチーズそのものの肌色。
熟成が進んだ「スティルトン」は、褐色に近い色にな
る。
これは、いやに黄色でしかも薄い色。
更に決定的なのは、ちょっと水気が出ている。
これはかなりの確立で、というか100パーセント良
くない状態である。
変な酸味が出ている可能性が強い。
「ゴルゴンゾーラ」によく見られる現象だ。
やばいやばい、とあわてて元に戻した。
コメント

ノーベル賞

2008年10月11日 | Weblog


「イグノーベル賞」も日本人が受賞したり、今年は「ノー
ベル賞」の当たり年といった態である。
最後の「特異年」にならなければいいが。
日本の国力を考えた場合、「ノーベル賞」受賞と言う
のは、かなり意味のあることだろう。
少なくとも科学技術立国を標榜するなら。
比較してもしょうがないが、オリンピックの金メダル
などなくても良いが、「ノーベル賞」はほしい。
しかし、研究者がアメリカにいるという事実は、考えな
くてはならないことだろう。
如何に、日本の研究環境が悪いかを表わしているわけ
だから。

一般的に言って、予算が少ない。
といって、こういう部分に市場原理を持ち込むのはや
めてほしい。
直接如何に役立つかだけが、価値ではないのだから。
10の役に立たない研究の中から、1の役に立つもの
が出れば良いというのが、その手の世界なのだから。
出す側としては、単に惰性でやっていると見えるもの
もあるだろう。
しかし、研究費を貰う立場からすると、説得材料とし
てその価値を説明しなくてはならない。
その為のエネルギーは結構大変なのでは、と思う。
多分、偉そうな役人相手に説得工作をしないとならな
いのだろう。
兎に角、決定権を持った役人は、偉くなってしまうか
ら。

予算に関しては、素朴に、議員の数を減らした分を回
せばいいと思うし、防衛費からだって回せるだろうし、
いくらでも捻出できる。
基礎研究というのは、地道なものなのだから、恒久的
なバックアップが必要である。
後は、マスコミの一時的な狂騒で終わらせない、理科
系に対する評価の向上である。
スポーツでお祭り騒ぎしたがるマスコミと、それに踊
らされる視聴者というのは、理科系離れを助長する、
と思う。
マスコミに登場する(テレビだが)人間で、私は数学
が苦手でと言わなかった人間を見たことがない。
殆どが文系なので、当然と言えば当然だが、そういう
言葉しか聞いてないと、それが常識と思ってしまう、
思えてしまうのがテレビの恐さだ。
その上、「理科系=オタク」というイメージまでも与
える。
「理科系の復権」には、こういう土壌を改良すること
も必要なのでは、と思う。

「ノーベル賞」関連でもう一つ。
「文学賞」というのがあるが(過去日本人も二人受賞
している)、これって必要なのかといつも思う。
理科系と違って、客観的に評価するのも難しいし、過
去の受賞者を見ても今一つぴんと来ない。
今回は「ルクレジオ」。
一時人気があったフランス人の作家だ。
「村上春樹」も候補に挙がってたらしいが、たとえ「村
上春樹」が受賞したとしても、特別な思いはないし、
一体何がと思うだけである。
何故、こういう賞があるのか不思議でしょうがない。
コメント

UAE.カレーバイキング

2008年10月10日 | サッカー


昨日のUAEだったら、3-0で勝っても不思議では
ない。
結果は1-1という、何とも言いようがない引き分け。
それにしても、「大久保」(今回はMF)も「香川」
(一点は入れたが)も、あれを決めなきゃ何を決める
んだ、というあまりにお粗末なシュートであった。
先発の「大久保」と「玉田」を比べると、運動量が多
い分、まだ「玉田」の方が良いという気になってくる。
二人とも、ゴール前で勝負してシュートという、肝心
なところでの強さ恐さがないので、FWとしては物足
らないのだが、同じ程度の決定力だったら(Jリーグ
では大久保も得点してるが、重要な試合での決定力
が)玉田の方が使えるということになる。
唯一、「興梠」だけは可能性を感じた。
日本代表は、果たして進歩しているのだろうか。
この点に関しては、保留。

ついこの前も、初めての現地系カレー屋(インド人、
或いはその周辺の国の人らしき人間が調理している
カレー屋)に行ったのだが、今は殆どがランチタイ
ムはバイキングである。
しかも、大体800円から1000円の間の価格。
標準的には、カレーが三種、「ナン」「ライス」が
食べ放題。
それに、漬物代わりのちょっとした野菜も用意され
ている。
非常にお得である。
が、高校生でもないと、そんなに食べられるわけで
もない。
「ナン」一枚に、ちょっとライスを食べれば、もう
お腹は一杯である。
カレーのお代わりなど、最初の一回盛りで、もう殆
どいらない。
沢山食べたいという人には言うことないだろうが、
そうではない人にとっては、このバイキングという
のは必ずしもありがたくはない。

一番の問題は、カレーそのものが作り置きになるの
で、最後の方だとどんどん煮詰まって味も変わると
いうこと。
それと、三種あっても、好みに合うのは一種類しか
ないのが普通である。
結果、それほど美味しいとも思わないものを、単に
お得であるという満足感で埋め合わせて、最終的に
は満足であるという、半ば無理やりに思い込ませた
状態にするのである。
ああ美味しかったではなく、ああお得であったとい
う満足感だ。
結局何を言いたいかというと、個人的には、ランチ
バイキングではなく、単品の「ナン」付きというラ
ンチの方がありがたいということである。
今回のカレー屋でも、サイドメニューに「シシカバブ」
があったので頼んだが、やはり作りたてであるので
それは美味しかった。
現地系カレーは、作り立てに勝るものはないのだ。

コメント

ヤゴの世界

2008年10月09日 | 生き物 自然


この前書いたとおりに、「滝壺ビオトープ日誌」をつ
けているのだが(何が見えたか記録しているだけ)、
確かに日々見える「ヤゴ」の数には変化がある。
その理由としては、移動した、或いは単にドロにまぎ
れて見えなかったというのが考えられる。
一応、大きさも記録していているので、記録上はそん
なところでも変化が付けられる。
例えば、2ミリが一匹とか書くと、その固体の存在が
認識され、以前より親しみが湧いてくる。
感情移入というのはこういうところから始まるのだろ
う。
これが進むと、名前をつけたりするのではないか。
しかし、「何とかちゃん」などということになると、
流石にちょっと付いてはいけない。
犬などのペットに、ちゃんをつけるその気持ちは解ら
ないではないが(個人的にはちゃん付けは好きではな
い)、昆虫にちゃんを付け始めたら、それはもう危険
領域なのかもしれない。
ついでに、ペットなどを(虫も含めて)「この子」と
呼ぶのにも非常に抵抗がある。
付けるなら、1号2号というのが良い。

それで、我が「ヤゴ1号」(何だか日本軍の暗号みた
いではないか)は、本日脱皮したてらしく、体色が白
く一際目立っていた。
その横には、脱いだ皮がしわしわの状態で沈んでいる。
これで体長は7ミリほどになった。
「ヤゴ3号」は、水際のドロに隠れていた。
これはもう少し大きく、1センチ強。
見た目は判らず、うっすらと輪郭らしきものが認めら
れ、思わず割り箸の先で突っつくと(どうしても止め
られない)、最初は反応がなくしつこくやっている内
に動き出し、そのまま上陸してしまった。
ここでまた突っつくのは流石に気が引け、そのままに
しておいたが、停止した状態で動く気配がない。

「ヤゴ」によって、この小さな「滝壺ビオトープ」に
限っても生息場所の違いがあるが、これは種類の違い
によるものなのだろうか。
同じような姿なので、見た目では区別が付かない。
今のところ、「ヤゴ4号」は違う種類であることは判っ
ている。
明らかなフォルムの違い、丸みがあるのだ。
後は、全く判らないのが現時点でのヤゴ状況。

因みに1号2号の数字は、単に発見順で、大きさを表
わすものではない。
実際、「ヤゴ2号」は二ミリほど。
しかも、違う「ヤゴ」が2号になる可能性もある。
要するに適当に付けているのだ。
まあ、その程度の緩さが調度良いのではないだろうか。
コメント

イマジン

2008年10月07日 | 音楽


本日、実に久しぶりの「ツブゲンゴロウ」の姿を拝見。
ちゃんと生きていたことにほっとする。
一ヶ月以上は見てなかったと思う。
これからは、「滝壺ビオトープ日誌」でもつけて(ブロ
グ上のとは違う、ちゃんとした記録)、きっちりその
変化を記録したほうが良さそうだ。
印象ばかりでは、その後の改善の役に立たない。
きちんとしたデータがあったほうが良いだろう。
しかし、未だ嘗て、日記に限らず記録というもので、
一年以上どころか三ヶ月以上続いた例がない。
だから、全く自信は無い。

柔道の石井は、格闘家になるらしい。
日本柔道会にとっては残念だろうが、というより、オリ
ンピック協会が、メダル候補生がいなくなったことと
いう点でのみ、残念に思うか。
柔道協会の人間は、石井のことを、好き勝手なことを
言うので快く思っていない(かもしれない)。
しかし、金メダルを取った実績があるから、そう強く
も言えず不満が募っていた。
すっぱりやめれば、もう関係ないから、これから一気
に批判が出てくることだろう。
「道」の部分はすでに有名無実なのだから、このよう
な、理念と実態が乖離したことによる問題は、次から
次と出てくることだろう。
石井に関しては、確かにプロ格闘家のほうが向いてい
ると思う。

久しぶりの「ギャオ」。
ジョン.レノンの「イマジン」というドキュメント映画
をやっている。
「ギャオ」も、間を空けると見たいものがぽつぽつと
出てくる。
今回の「イマジン」もそういう例。
面白かったのは、「オノヨーコ」の出現によって、メン
バーに亀裂が入った頃の話。
いきなり、メンバーでもない人間が、大きな顔をして
録音スタジオに来たりしたら、殆どの人間は気分悪い
だろう。
完全にそういう立場の「オノヨーコ」は、当時散々マス
コミから叩かれた。
その中でも「ジョン.レノン」が一番腹立たしかった
記事は、「オノヨーコ」はブスであるというものだっ
た。
本人はそんなことはないと思っていたらしいが、しか
し、残念ながら、この点に関して否定する日本人も少
ないのでは、と思う(多分、当時は東洋のわけの分か
らない女、と差別的な要素もあったかと思うが)。
飽くまでも、当時は、という話だ。
どちらにしろ、ジョン.レノンの曲が今でも変わりな
く良いということには関係ない話だ。
「A DAY IN THE LIFE」は、今でも、やっぱり良
い。

コメント

マンステル

2008年10月06日 | 食べ物


昨日の、「ジェフ千葉」の「深井」のゴールは見事だっ
た。
FWらしいゴールで、日本代表のFWにも、こういう
のを見せてほしいものである。
それにしても「深井」、「鹿島」の頃にもちょっと期
待してみていたのだが、その後さっぱりで、やっと開
花したということなのか。
「田中達也」と同じで、才能はあるのだが、小柄で怪
我に泣かされるという宿命を持っているところが残念
である。

数多あるスーパーの中で、唯一本格的なチーズを揃え
ているスーパーに、「マンステル」のお値打ち品が売
られていた。
四割引くらいか。
要するに、賞味期限が今日で切れるというくらいのぎ
りぎり商品ということだが、これが買うほうとしては
むしろありがたい。
安いのは言うまでもないが、それよりチーズに関して
は、賞味期限を過ぎた方が良い状態と言えるものが多
いのだ。
つまり、チーズの食べごろは、賞味期限切れ以降と言っ
ても良いくらいなのだ。
尤も、これは好みの問題も絡んでくる。
熟成した味が嫌いな人にはこれは当らない。

で、「マンステル」に関してだが、熟成前は中身も固め
でしっかりしていて、臭いも(ウォッシュタイプなの
で)それ程は強くない。
これが熟成してくると、中身はとろっとして、臭いも
微かに「アンモニア臭」も混じり強烈になってくる。
知らないと、単に腐っていると片付けられそうな臭い
である。
しかし、臭いに反して味はまろやかで、旨味充分なの
がこの状態の時なのである。
つまり、食べごろであるのだ。
今回の「マンステル」は、正にそれだった。
個人的には、もっと進んでもいいくらいだった。
ちょっとした掘り出し物を見つけた感覚である。
ただ、冷蔵庫に入れると、どんなに密封しても臭いが
漂うのが唯一の欠点である。

食べ方としては、アルザス地方のチーズなので、ジャ
ガイモと合わせるというのを聞いたことがあるが、そ
れはまだ試したことがない。
パンと一緒に食べるだけで充分美味いから。
あと、「クミン」をかけて食べるというのも聞いたこ
とがある。
これは今回試した。
しかし、別に不味いわけではないが、美味くなるとも
思えない。
感じたのは、「マンステル」の癖を和らげる効果があ
るということだった。
「マンステル」がちょっと食べやすくなるということ
だが、元々好きな人にとっては効果がないものだった。


コメント

アップルパイ

2008年10月05日 | 食べ物


この前、家のパソコンのコードが突然外れ、電源が切
れてしまった。
その後何も変化がないのだが、今のパソコンはこの程
度では何ともないのだろろうか。
そのとき開いていたソフトも異常なしだし、まあ何は
ともあれ良かった。
一方、普段使っているノートパソコンは、最近、フリー
ズに近い症状が出るようになってきた。
XPも、使い込んでいると、こういう事態は避けられ
ないということか。
昔のように、電源を切るという「強制終了出動」には
至らないが。
そういえば、前のパソコンなんて、一日に一回強制終
了なんていうのも珍しくなかった。
それに比べれば、進歩したものである。

ところで「アップルパイ」だ。
今は調度「紅玉」のシーズンで、ここらのスーパーで
も普通に売っている。
この点は地域性だ。
いつからか、アップルパイには紅玉と言われるように
なった。
生で食べても、今ひとつ歯応えが悪く、香りと酸味が
強いので、煮たり焼いたりするのに最適。
故に、アップルパイには紅玉が良い、というのは確か
にあるのだが、紅玉でなくてはというものでもない。
これは、完全に好みの問題で、酸味が好きではないと
いう人には紅玉は適さない。
他のりんごでも充分美味いものだ。
問題は、というほどの問題ではないが、紅玉がブランド
化して、まるで「大間のマグロ」のように言われるの
がちょっと違うのでは、と思うのである。
素材の違いを楽しむとか、その程度の余裕がほしい。
それと、いくら素材が良くても、缶詰のりんごが美味
しくないという事実からも判るように、重要なのは味
付けなのである。
と、紅玉紅玉とうるさい人がいたので、思った次第だ。

この周辺にも、りんご園はいっぱいあり、地元産りん
ごも豊富である。
聞くところによると、りんごは消毒しないとそれこそ
虫だらけで商品価値が全くなくなってしまうらしい。
よく、現場で皮ごとガブッといく中継などをやってい
るが、少なくとも、食べる時は皮は確実に剥いた方が
いい。
間違いなく消毒液まみれのはずだから。
無農薬は、りんご農園にとってはまだまだ先のことの
ようだ。
コメント

アンティークな木の箱

2008年10月04日 | Weblog


それにしても、「清原」とか「朝青龍」とか、子供っぽ
さを「威嚇」という行為で表現し、それがそのまま人
気に直結するというのは、「亀田人気」の構造と同じ
なのだが、それを「純粋」「男らしい」と捉える人が
いかに多いかということであろう。
「祭りの主役」のキャラクターの典型だ。
こういうのを大衆人気というのだろうか。
しかし、特番でやるほどのものかと素朴な疑問を感じ
てしまうのだが、大衆人気があるということであるな
ら、テレビ局は飛びつく。
TBSも、本当、しょうもない番組ばかりを作り続け
る局になったものである。

T君が、アンティークな木箱をくれた。
30x23x30の直方体の箱だが、結構しっかりし
た作りで、神社で何か保存する時に使う箱にも見える
し、人形でも入れていた箱にも見えるし、いずれにし
ろ蓋もしっかりしていて捨てるには惜しいものだ。
T君に、塗って使えばと言ったのだが、本人は要らな
いというので貰ってきたわけだ。
とうことで、こちらで、とりあえず塗って何かに使う
ことにした。
時代は、戦前か。
決して価値があるというほどのものではないが、今時
こういう木の箱はまず無いので、今となっては貴重で
ある。

で、いざ塗る段になると、ペンキを用意して、その前
に汚れた箱を洗わないといけないしと、それなりに手
間が必要となる。
DIYが好きな人にとっては朝飯前のことだが、普段
あまりそういうことをしてないと、実際取り掛かるま
でに時間を要する。
そしていざやりだすと、ちょっとイメージと違うなど
ということになって、ペンキの塗りなおし、或いはわ
ざとはげてるように見せる細工などをし始めたりと、
時間をとられるのは必至。
要するに、エネルギーの問題だ。
やる気のエネルギーの。
暫くは、眺めて完成品を想像するだけかな。
コメント

KENDO

2008年10月03日 | Weblog


剣道六段のS君と、今の剣道がおかれている状況につ
いて話をした。
全くその世界は知らないので、いろいろ聞いたのだが、
面白い話がいくつかあった。
まず、世界大会というものが四年に一度行われている
という事実。
こんなことでさえ、殆どの日本人は知らないのではな
いだろうか。
柔道なら、スポーツ新聞の一面に載ることはあるが、
剣道はまず載らない。
というか、過去に一度もないのでは。
そして、前回、日本は団体戦に負けて、連勝は十二連
覇だかで途絶えたという。
日本の剣道会ではこれ以上無い大きな出来ごとが、一
般日本人の知らないところで密かに起こっていたのだ。
更に面白いのは、準決勝で負けたらしいのだが、その
相手がアメリカで、しかも主将は、S君が嘗て相手を
したことがあったという事実。
そして何と、S君はそのアメリカ人に(日系らしい)勝っ
てしまったらしい。
圧倒的な勝利だった、とS君は言った。
S君曰く、「代表とか言ってもそんなに差があるもの
ではないのが剣道である」、ということらしい。
「彼は相当ショックを受けていたから、そこから必死に
練習したのではないか、それで日本に勝ってしまった。
つまり、俺が負けていたなら、日本が世界大会で負
けるなどということにはならなかったと思う」、と推理
していた。
それで、S君に、世界大会の彼は本当に強かったのか
と聞いてみると、ここがちょっと問題で、他の日本発
祥の競技と同じ構図が見られたのだ。

S君に言わせると、当てるのが上手い、ということで
あった。
ニュアンス的には、柔道で言うポイントを取るのが上
手いという意味のようだ。
つまり、一本できれいに決める柔道ではなく、兎に角
1ポイントでも上回れば勝ちは勝ちという、勝敗のみ
を考えたやり方ということであるようだ。
それは、柔道と同じように、国際化とともに内容が変
質してきたということであった。
それで、そんなに世界では剣道って人気あるのか聞い
てみた。
S君に言わせると、相当人気らしい。
この点に関しては、何を基準にするかで解釈はいろい
ろだろうが。
会長は日本人だが、その他の理事は全部ヨーロッパな
りその他の外人ということで、徐々に日本の発言権が
弱まっているので、ルールもそれに応じて変えられる
傾向にあるということだが、これも全く「JUDO」
が歩んだ道と同じではないか。
「剣道」も国際化して「KENDO」という別物にな
ろうとしている。

もし「東京オリンピック」が決まれば、正式種目にし
たいという国際剣道連盟(?)の野望もあるらしいが、
この点に関しては、開催地にならないことを祈ろう。
しかし、日本の協会はオリンピックの種目になること
に必ずしも賛成ではないらしい。
それは、「JUDO」を見て、一番大事なものが欠け
ていると感じているからではないかと推測する。
何故「道」と名づけているのか。
スポーツ化したら、結局勝ち負けしかない。
例えば、「JUDO」の石井を考えてみれば良い。
自分の美学に拘ってオリンピックで負ける「井上」よ
り、例えタックルであろうが勝って金メダルの石井の
方が、殆どの日本人は嬉しいし評価するだろう。
結局は勝って何ぼの世界がスポーツである。
敗者の美学など言うのは、後でスポーツライターが物
語にして、そこで初めて物語として感銘を受けるとい
うもので、飽くまでも後付けの世界なのだ。
その時は勝利しかないのが、一般の見方であろう。

スポーツ化したら間違いなくそういうことになる。
「相撲」が、八百長を含めた伝統芸であるのに、変に
国際化して本来の良さまでなくしたのも同じこと。
独自の文化を守るためには、時に鎖国的措置が必要な
のだ。
良さをなくして国際化する必要がどこにあるのか。
金融の世界とは違うのだから、こういう部分は伝統的
なものに固執して全く問題ないと思うのだが。
コメント

マクロビオテック

2008年10月02日 | 食べ物


元フランス料理、現マクロビオテックレストランの、中
ちゃんの店(ル.ムートンブラン)に行く。
完全無農薬の自分の田圃の稲刈りはまだなようで、大
変そうと言うと、東京から助っ人が来るから大丈夫で
あるということであった。
自然農法に興味のある人は、確実に増えてはいるよう
だ。
ただ、皮肉なことに、そういうものに関心があるのは
都会の人間で、実際に農業に関わっている田舎の人間
は、その大変さを知っているのと、楽な方法に慣れて
しまったゆえ、なかなかその気にはならない。
こちらとしては、その田圃の、新たなゲンゴロウでも
貰えれば良い、という中ちゃんにとってはどうでもい
いような理由で応援したい。

この前来たときに盛んに勧めていた、「生麩のかつ」を
今回は注文した。
大豆蛋白をカツレツにしたものである。
スープ付であるが、それは「豆乳ととうもろこしのスー
プ」であった。
大豆の香りととうもろこしの甘味が強く、旨味充分で
味のあるスープだった。
想像しがちな、薄味の旨味もないスープではなく、しっ
かりした主張のある味だ。
こういうところが、流石にフランス料理をやっていた
だけのことはある、と感じる点である。
思想先行のありがちな店とは一線を画すところであろ
う。

そしてメインの「かつ」であるが、りんごソースの、フラン
ス料理で言えば、「エスカロップ」という子牛なんかで
よくある薄切り肉の料理のイメージだ。
或いは、昔懐かしい「ハムかつ」か。
お皿に、いくつかの野菜が添えられ、見た目はフラン
ス料理のようにきれいに盛られているが、野菜は漬物
であったり、胡麻和えであったり和食のそれだ。
そしてライスは、自家製の古代米。
赤米とかその手のやつになるのだろうか。
当然、粘りとかはなく、白米と比べれば美味いという
ものではないが、その分、体のためという情報が埋め
合わせしてくれる、のか?
はっきり言って、この「かつ」も結構美味い。
スープと同じく、しっかり旨味を感じる。
それぞれの野菜も、元々フレンチの頃から美味かった
が、こういう料理になれば尚更。
「かつ」のりんごソースも合ってるし。

嘗てのフランス料理は、本格化すればするほど支持す
る人はいなくなったが、こういう料理だったら、年寄
りは全く抵抗ないし、むしろ好みだろうし、健康志向
の若い主婦にはぴったりだろうし、時代の流れにはあっ
ている。
東京あたりだったら、自然食カフェの人気メニューに
もなりうるもので、ある意味、時代の最先端の料理と
言っても良いかも知れない(褒めすぎか)。
しかし、店の雰囲気はちょっと違う。
この辺が、もう少し何とかならないかと思う点である。
コメント