ピカビア通信

アート、食べ物、音楽、映画、写真などについての雑記。

自然の池

2009年05月14日 | 生き物 自然


レコードで聴いて以来のマイルスの「Miles in the
 sky」だが、聴くたびに、ジャズは55年から75年まで
かと思ってしまう。
完全なる趣味の問題だが。

前回「ヒメギフ」を撮って二週間後の蓼科。
天気は良いが、風はやや肌寒い。
それでも一頭「ヒメギフ」がいた。
歩いていた足元に止まっていたらしく、突然飛び出
した。
直ぐに地面に止まり、早速撮ろうとしたが、もたもた
やっているうちに飛び去ってしまった。
もたもたの内容は、ピントを合わせようとしても合わ
なかったという事情。
ズームにして撮ろうとすると、たまにこういうことが
ある。
物凄い明るい場所でも起こるし、今回のような日陰で
も起こるということなのか。
いずれにしろ、こういう場面に遭遇すると、カメラに
対して一瞬、イラっとする。
まあ、今年は一回すでにばっちり撮っているので、こ
れが唯一のチャンスというわけではなかったから問題
はないのだが。

その後、「ヒメギフ」生息地の範囲内にある、ある池
を覗く。
この池は、以前湿地帯であったものが、この二三年流
入する水が増え池と化したもの。
今では水草も豊富で、水は澄み、なかなかきれいな池
の佇まいで、何かいそうな雰囲気を湛えている。
こういう自然の形の池そのものが少なくなりつつある
時代、密かに注目しているのだ。
しかもこんな近場で。
これも、立派なビオトープだ。

ヤゴが一杯いることは間違いない。
いたるところでがさがさ動く。
そして「ゲンゴロウ」もいる。
種類は不明。
観察にはもってこいの池だが、問題はこのままの状態
で保存されるかということ。
どうも、たまたま出来た池というのが実際のところで、
開発などで一瞬にしてなくなる可能性が高い。
このロケーションからすと、開発というより整備か。
こういうものの価値を認める人間が増えることが望ま
れることだが、なかなかね。



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マイルス.レッドガーランド

2009年05月12日 | 音楽


最近は、ちょっとジャズ気分。
何だか周期的に、気分はロックだったりクラシックだっ
たりジャズだったりと繰り返す。
結局これも、アマゾンの思う壺なのだが、お薦め小品
などというのをついつい見ちゃうからいけないのだ。
で、今回はマイルス.デイビスとレッド.ガーランド。
レッド.ガーランドは、この前のジュニア.マンスと
いい、要するにこの頃のオーソドックスなジャズピア
ノが好きだからという理由。
まだCDは買ってないが、トミー.フラナガンなんての
もその仲間となる。
ソニー.クラークも。

マイルスに関しては違う。
自分のジャズ体験の原点であるから、ちょっと特別で
ある。
元々ロックのみで(しかもプログレ)、初めてジャズ系
に接したのがマイルスだったのだ。
その記念すべき最初のアルバムが、今回買った「Miles
in the Sky」である。
全くの予備知識が無く、そのジャケットだでが選んだ
のだ。
当時は、前述のレッド.ガーランドのような如何にもジャ
ズというジャズには全く興味がなかった(当然名前も
知らないが)どころか好きではなかった。
しかしその「Miles in the Sky」のジャケットには、
ジャズ臭というものが一切無かったのだ。
今から見ると、ちょっと時代を感じさせるサイケっぽい
デザインだが、当時はこちらの心をぐっと掴んだのだ。
プログレに通じる何かを感じたのだろう。

わくわくしながら聴いたそれは、確かにイメージする
ジャズではなかった。
マイルスがその後切り拓いた、真のフュージョンの先
駆け的アルバムであることを知ったのは、ずっと後の
ことだった。
そこを原点に、以降のフュージョンアルバム(マイル
スとウェザーリポートだけだが)を聴き、一通り体験
すると、今度は遡ることになったのだ。
そして遡ったところから、他のジャズも聴くようになっ
た。
こんなロック(プログレ)経由ジャズなので、勿論ジャ
ズ喫茶で難しい顔をして自分の世界に浸る、という本
格派とは無縁であるし、未だに曲名すらよく覚えてい
ないという屈折派である。

そんな歴史の中でのアマゾンである。
レコードしかないところで目にすれば、どうしても聴
きたくなってしまう。
それが人情というものだろう。
かくして、なし崩し的にCDが増えていくのである。
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私設ビオトープ普及委員会

2009年05月11日 | 生き物 自然


いきなり30度近くまで上がると、流石に頭がぼうっと
する。
それにしても寒暖差が激しい。
メダカが産卵するのは、水温が25度c以上ということ
なので、この程度ではまだまだなのだが、「滝壺ビオ
トープ」の生き延びた三匹のヒメダカは、ちゃんとオ
スメスの組み合わせになっているのかそちらの方が
心配だ。
確率的には四分の三か。
形態の違いで見分ければ良いのだが、水槽と違って横
から観察できないので、よく見えないのだ。
背びれの形に違いがあるらしいのだが。
ルーペを使って一度試みてみるか。
その結果によっては新たなヒメダカの投入もありうる。
今のところ、水質は保たれているからいけそうな気は
する。

平塚在住の友人が、登山帰りに寄った。
西穂高とか言ってたような言ってなかったような。
話はビオトープについてとなった。
彼の家には広大と言っても良い庭がある。
何せ小さいとは言えプールもあるくらいだから。
そこで、一角をビオトープにすることを勧めた。
以前、熱帯魚は飼ってたらしいのだが(如何にもの趣
味であるが)、それはあまりに世話が面倒で止めたら
しい。
いずれにしろ、生き物に興味がない訳ではないという
ことだ。
最近は、登山が趣味なのだから自然に対して益々関心
は強くなっている筈、と推測される。

盛んに、世話が大変ではないかと、その部分が特に気
になるようだ。
しかし、ビオトープのコンセプトというのは、自然任
せというものだから、飼うのとは根本的に違うと説明
する。
水槽の場合はペットであるが、ビオトープの場合は飽
くまでも自然の中の生き物である。
最低限の手入れはするが、基本はほったらかし。
何が出るのか分からない、そのシナリオ無しの世界の
面白さを力説したが、本人も少しその気になったよう
である。
単なる、水溜りでもいいのだから、是非とも実現して
もらいたい。
土地はいくらでもあるのだから。
それに、横は川だし、トンボ環境は言うこと無しだ。

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サッカー.祭りの空間

2009年05月10日 | サッカー


それにしても「大分トリニータ」は勝てない。
前年好成績で、翌年急降下というのはたまにあること
で、戦力が変わってないのに何故かそうなるのだ。
ちょっとしたきっかけで歯車が狂いだすのだが、一旦
そうなると中々回復できないのも事実だ。
大方は、ショック療法として監督交代なのだが、シャ
ムスカの今までの貢献度と、その後の選手の動揺を考
えると難しい判断となる。
大分には頑張ってもらいたいのだが。

隣の準地元「ヴァンフォーレ甲府」は結構頑張ってい
る。
良いブラジル人でも入れたのか。
J2だと入場料も安いし、見る方としては都合が良い。
嘗てあった芝生席では、寝転がっての観戦も可能だっ
たが今は整備されてそれも過去のもの。
好みとしては、ちょっとうらぶれた雰囲気があるくら
いが良いのだが、あまりそういうのが強くなると一般
的なスポーツに対するイメージを殺いでしまう。
競輪場に近付いてしまうのだ。
所謂ディープ感というやつだ。
イメージを大事にするには、やはり健全を押し出すの
が常道なのだろう。

ゲロゲロ少年Y、この場合サッカー少年Yは、独特のサッ
カーに対する思いがあるらしい。
曰く、サッカー場は神聖でなくてはならない。
彼にとっては、競技が崇高な儀式であるらしい。
だから、小さい子供が観戦せず走り回っているのが赦
せない。
挙句に、係員に注意すらする。
係員は、おかしなクレーマーと思ったことだろう。
実際ちょっとおかしいので、知ってる人間はまた始まっ
たかで済むが、いきなりそんなことを言われる係員も
良い迷惑だ。
こちらからすると、絶えず声を張り上げているサポー
ターの方がうるさいのだが。
それに、神聖とか言いながら自分はビールをグイグイ
だ。
彼にとってはお神酒か?

個人的には、今の縁日の雰囲気を充実させ(祭りの世
界のようなものだから)、例えば屋台も世界の味を
用意してほしい。
ケバブとかファラフェル、フィッシュアンドチップス
なんかあったら言うこと無しだ。
カレーにナンも良い。
「焼きそば」「たこ焼き」だけじゃあね。
野球は演歌だからいいが、サッカーはインターナショナ
ルなのだから。
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町の未来

2009年05月09日 | Weblog


現在、当地の有効求人倍数は0.5ほど。
自動車関係も多いということなので、納得の数字であ
るが、今のところ上向く気配はない。
中心企業のエプソンも良くないし、この先どうなるか
誰も分からない。
全く死んでますよ、と言うのは銀行の行員さん。
場外馬券場でも造れば良いんですよ、と半ば自棄気味
な発言も。
出来れば場外車券場の方が、と言いたいところだが、
そういう問題ではない。
確かに、即効性はあるだろうが、パチンコ屋がいっぱ
いできるようなもので、町全体のことを考えたら荒廃
に向かう要素になる。
間違っても、文化レベルが上がることは無い。

目先の利益を求めると、長期的には町が駄目になる。
そうやって、どこの町も駄目になってきて今の状況
がある。
目先の利益とは別に、長期的視点、展望が必要なのだ
が、中々そこまで持っている指導者はいない。
康夫ちゃんに期待したのは、正にその点であったのだ
が、今や、旧来の自治省上がりの知事だ。
全く期待は出来ない。
リニアの路線を無理やり曲げるように要望することが
その仕事なのだろう。
未だに、「新しい路線イコール発展」という発想から
抜け出せない。
建築関係とのズブズブ関係がある限りは、そこは不変
ということか。

指導者に期待が出来ないのは、今に始まったことでは
ないから、そもそも期待することが間違っている。
町の形は住人によって形成されるのだから、住んでる
人間自身の問題と考えるべきだろう。
しょぼい所には、それなりの住人が多いと考えた方が
良いということだ。

と、行員さんの、この辺の人間は本当性格が良くない
ですよねという一言で、そういう結論が導き出された
のだった。
ある春の昼下がりのことでした。
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ヤゴの同定

2009年05月08日 | 生き物 自然


台風の影響か、ここ三日不安定な天気である。
今朝も晴れていたのだが、いつしか外は雨模様。
そのお陰で、「滝壺ビオトープ」の水は満杯状態。
酸素がたっぷりなのか、こういう時は「ヒメダカ」は
元気だ。
そんな中、いつものように夜の観察をしていると、一
匹見慣れないヤゴを発見した。

一応、種類としては「オオシオカラトンボ」「ミヤマ
サナエ」「タカネトンボ」の三種を住人として認定
しているのだが、ここに来て「ミヤマサナエ」に関し
ては自信がなくなりつつある。
そもそもの認定理由は、「ミヤマサナエ」の成虫が、こ
のビオトープで黄色スズメバチに捕獲されたという事
実があって、それらしきヤゴもいたからなのだが、そ
れが本当に「ミヤマサナエ」のヤゴだったのかは今と
なっては判らないのだ。
以後、それらしいヤゴを見てないし、「オオシオカラ
トンボ」のヤゴだったようにも思えてくる。

「タカネトンボ」に関しては、間違いなくそのヤゴで
あったのだが、それも去年の秋一回見ただけだ。
隠れている方が多いことを考えれば、密かに落ち葉の
影で息を潜めている可能性も高いが、今現在いるかど
うかは確認してないから断言は出来ない。

ということで、現在確認できるのは「オオシオカラト
ンボ」と、同定できない違う種類のトンボ。
卵で越冬して、この春孵ったトンボだ。
そして今回の新顔なのだが、これは違う種類であるこ
とは間違いない。
何故かというと形がまるっきり違うから。
他のヤゴと違い胴長なのだ。
ヤゴで越冬した個体で大きさは2.5センチ以上。
図鑑で調べてみると「サラサヤンマ」というのが臭い。
生息環境(水溜りでちょっと暗いところ)からも条件
的には合っているし、形は一番それに近い。
ただ、「サラサヤンマ」などというトンボ、今までこ
の辺にいること自体全く知らなかった。
気にもしてなかったので気付かないということはある
が(名前を知ったのは去年)、住宅地の庭の一角に果
たして出没するものだろうか。
ここがちょっと疑問であるのだが、兎に角三種類以上
のヤゴが今現在「滝壺ビオトープ」にいることだけは
間違いない。
羽化が益々楽しみである。
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ツルフジバカマ.ナポリタン

2009年05月07日 | Weblog


雨の中、「ツルフジバカマ」を畑の土手に移植する。
「クサフジ」と似ているので、それが本当に「ツルフ
ジバカマ」であるかは、今ひとつ自信は無い。
葉の数が違うのだが、それが何枚だったか忘れてしまっ
ていた。
後は、「ツルフジバカマ」であることと定着すること
を祈るばかりだ。

連休最後の日であったが、高速大渋滞とかいろいろニュ
ースはあったが、全く違う世界の出来事のように感じ
る。
そういうところに行かないので当たり前といえば当た
り前なのだが、わざわざ混雑するところに行く感覚は
多分一生分からないだろう。
昼飯に入ったレストランには、平日よりは人が多いと
思ったが、天気もあり混雑というのには程遠かった。

そのレストランだが、普段ならまず入らないだろうと
いう類の店で、所謂洋食的なものを出す、普通のレス
トランだ。
何故入ったかというと、たまたま出かけたところに(ツ
ルフジバカマで)近かったというのと、たまにはこう
いうレストランもという気分になったからだ。
遥か昔に一回入ったことがあったが、味的には全く普
通であったことは覚えている。
その時は、誰かがオムレツが美味いなどと言って、試
しに入ってみたのだ。

で、久しぶりに入ったその店は、すっかり変わってい
た、と言いたいところだが、前回どうだったのか全く
覚えていないので何ともいえない。
ただ、きれいになったのは間違い無さそうだ。
雰囲気が、サービスエリアのレストランのような感じ
になっていたので。
で、メニューを見ると、結構高めだ。
これは、ファミリーレストランとの比較での話で、こ
んなもんかと言えばこんなもんかもしれない。
結局「ナポリタン」を頼む。
店で頼むのなんて、何十年ぶりかの話だ。
下手に高いものは頼まない方が良いと思っての選択
だったが、それでも、簡単なサラダ飲み物がついて
1000円はする。

たまに無性に食べたくなる「ナポリタン」だが、どう
もその味はすでに幻と化した感がある。
記憶の総体としての「ナポリタン」で、そこには郷愁
も交じり、具体的にこれだというものではなくなって
いるようだ。
昔の中華蕎麦は美味かった、と同じ類のものになって
しまったのかもしれない。
で、今回の「ナポリタン」だが、これが前回と変わら
ず全く普通の味の「ナポリタン」であった。
自分で作った方が余程美味いかもしれない。
これで1000円はちょっと高いな、というのが正直なと
ころであった。

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グラントリノ

2009年05月06日 | 映画


メンズデーを利用して「グラントリノ」を観にいく。
今回は地元の映画館なので楽なはずだったのだが、道
を間違え夜の町を彷徨するはめに。
地元と言っても、隣の市となると道がよく分かってな
いないのだ。
しかし、何とか開始時間には間に合った。
一応ここもシネコンであるが、松本のシネコンに比べ
ると一段とローカル色が増す。
こじんまりとした、教室のような部屋での観賞だ。
前回はもっと広いところで貸切だったが、今回も同じ
くレイトショウであったがそこそこ入っていた。
連休というのもあるのだろう。

「チェンジリング」と立て続けのような公開のイースト
ウッド「グラントリノ」であるが、これも前作に続き
評判がやけに良い。
それにしても、ここに来てのイーストウッド評価は、
ちょっと良すぎではないかとイーストウッド好きから
しても思うことである。
実際どうだったのか。
結論から言うと、確かに良い映画ではある。
「チェンジリング」に比べると、物語としてはすっきり
して、時代性もある。
そして、「文化を越えたコミュニケーション」というテー
マもはっきりしている。
小品的佳作というのがぴったりだが、「センチメンタ
ルアドベンチャー」よりは劣るか、が個人的評価であ
る。

親子の信頼関係を築けなかった主人公が、周りからも
偏屈な人間として疎んじられる。
しかし実際は、偏屈ではあるが、相手に対する思いや
りという基本を大事にする人間。
キリスト教的原理主義者のような保守派ではないが、
一個の人間としての倫理観の持ち主である。
これは正に「ペイルライダー」でもある。
但し人種的偏見は強い。
それは、今までそういう人間と接してこなかったこと
に拠るものだ。
保守的なアメリカの田舎町に暮らした故のことである。
そんな彼が、否応無しに違う文化の持ち主の違う人種
の人間と関わることになる。
いろんな人種の人間が、実際アメリカの田舎に普通に
存在している現実が背景にあるのは間違いない。

ここから、ラオス難民の少数民族の第二世代の少年を
中心とした彼らとの関わりが始まるのだが、職の無い
彼らがギャンググループを形成し、在来グループの黒
人と勢力を争うとかいうのなら容易に想像できるが、
そうなると単なる仁義なき戦いとなってしまう。
映画は、そのラオスギャンググループと対峙する主人
公と、同じラオスグループから主人公が守ろうとする
少年との交流を軸に話は進む。
同じ人種同士の衝突というのも、その現実的問題の根
深さを物語っている。
最後に、決着をつけるのだが、ここが「ペイルライダー」
のような西部劇とは違った。
むしろ「センチメンタルアドベンチャー」のテイスト
に近いのである。
要するに泣けるのであるが。
観てれば、ある程度想像はつくが、今回は完全にオチ
的なものなので観てのお楽しみである。
それにしてもイーストウッド、上手すぎである。



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コウモリ

2009年05月05日 | 生き物 自然


駐車場になにやら黒い物体が落ちていた。
一辺が三センチほどのひし形だ。
紙くずかと思い近付くと、それには毛が。
鼠にしては、形が。
よくよく見るとそれは、コウモリであった。
死骸なのだが、何故ここに。
寄生虫にでもやられて超音波のセンサーが狂って激
突したか。
クジラが海岸に乗り上げる原因もそのように言われて
いるが、果たして真相は。
もしこの先、このようなことが頻発したら、間違いな
く何かの異変の前触れだということになるのだが。

取りあえず種類は何か知りたいところだ。
しかし、流石に死体を開いて観察する気にはならない。
結構絶滅危惧種もいるようだが、ここは普通種の「キ
クガシラコウモリ」或いは「コキクガシラコウモリ」
ということにしておこう(今調べてそういう種類がい
るのが分かった)。
最近よく飛んでるのを見るが、以前より全体の数は増
えているような気がする。
単に気のせいかもしれないが、ついでに今年はツバメ
の数は少ないように思える。
更に、スズメも減っている。

スズメに関しては確かなことらしく、全体で、嘗ての
三分のくらいになっているということだ。
たまたまゲロゲロ少年Yと話してるときこの話題とな
り、Yはそれを実感していると言った。
家の庭にいつもいたスズメが、いつしか全く見えなく
なったという事実で。
原因は、巣作りのための良い場所が少なくなったとい
うことらしいのだ。
つまり、家の軒先などが嘗てのような木造だと隙間も
あって適していたのだが、今の家の造りはスズメの巣
にとっては都合よくないということなのだ。
この周辺ではスズメの代わりにカワラヒワが多くなっ
た。
後ヒヨドリ。
気がついたら、スズメも絶滅危惧種になってたりして。
コメント (2)

セーヌ川にトンボを見る

2009年05月04日 | Weblog


久しぶりに、イナターネットエクプローラーを開いた
ら、何もページが表示されない。
何故だ。
数週間開いてなかったのがいけなかったのか。
確かに、今はモジラのお世話になっているので、必要
ないといえば必要ないのだが、拗ねて開かないように
しているわけでもないだろうに。
必要ないといったが、正確には無料動画を見るときに
は必要だ。
今回も、その為に開けようとしたのだった。
原因はよく分からないが、仕方ないので、エクスプロー
ラー8を新たにダウンロードした。
これで、普通に見られるようになった。
それにしても、何故だ。

フローベール「感情教育」に、「川は鏡のように平ら
で、大きな昆虫が静かに水面を滑っていた」という表
現があった。
この場合の昆虫って一体なんだろうか。
実に気になる。
川は、セーヌ川で、場所はパリではない田舎の下流域。
水面を滑るというのは、実際の水面を滑るということか。
それだったら、アメンボウぐらいしか思いつかない。
しかも、わざわざ大きな昆虫というとなると、アメン
ボウではそこまでは大きくないし。
他に滑るような昆虫はいたか。
水面近くを泳いでいたということなら、ゲンゴロウで
も良いが、決して滑るようには泳がない。
水面下ではなく水面でもなく、水面の上ということに
なると、トンボというのが一番考えられる。
滑るようにという表現も、滑空している様であれば違
和感はない。
となるとギンヤンマとかオニヤンマなどのヤンマ系で
あろう。
セーヌ川は大きな川だから、オニヤンマよりはギンヤ
ンマの可能性が高い、と思うが、フランスのトンボだ
から当然違う種類と考えるのが自然だ。

「セーヌ川にトンボを見る」フローベールを訪ねて。
こんなツアー、ありそうでなかった。
いや、あるわけないな。



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連休中日

2009年05月03日 | Weblog


観光客の入り込みが凄い、と昨日誰かが言っていたが
本当にそうなのか。
何だか、いつもの休日のように静かに感じるが、そう
いう集まる場所にいないからそう感じるだけなのか、
「更科」の主人に聞いてみればその辺のことは分かる
はず。
最近は、観光客のバロメーターだから。

忌野清志郎は58歳か。
若い。
特別聴いてはいないが、何故か「どうしたんだヘヘー
イベイビー」という歌詞だけはよく出てくる。
知らずに口ずさんでるときがあるから、余程浸透して
いるのだろう。
自転車好きでもあったし、だからどうしたというわけ
ではないが、早すぎる死である。

ブレッソン「田舎司祭の日記」は、他の作品に比べる
と、遥かに普通の映画の体裁を整えている。
場面は、時間に沿って展開するし、唐突に飛ぶことも
無い。
田舎司祭の独白が(日記を読む)、映画の進行役となり
(こういう映画はよくある)、物語に戸惑うことは無
い。
これと、「ブローニュの森の貴婦人たち」の二本は、
ブレッソン入門には最適かもしれない、と思った。
が、別に入門するとかしないとかいう対象でもない。
道場ではあるまいし、唯、ちょっと興味のある人には、
その辺から攻めるのが良いのではないかと思った次
第だ。
コメント

感情教育

2009年05月02日 | 芸術


布袋様の投入効果か、ここにきて「滝壺ビオトープ」の
水質は一気に改善されてきた。
透明度も上がり、臭いも収まってきた。
一体どういうメカニズムが働いたのか、何はともあれ
めでたしめでたしである。
これで、三匹となった「ヒメダカ」も大丈夫だと思う(呆
気なくヤゴの餌になる可能性はあるが)。
こうなると、また何か他の生き物を入れたくなるが、
ここは我慢。
余計なことはしないのが一番である。
折角の平衡状態なのだから。

フローベールの「感情教育」は、上を読み終わったと
ころ。
この手の小説につきものの、名前と人物が一致するま
でに時間がかかるというのは、今回も経験。
しかも、この小説、その人物の名前が突然愛称になっ
たり本来の名前(多分)になったり、職業で呼んだり、
実に紛らわしい。
この点では、かなり混乱する小説と言えるかもしれな
い。
一瞬、今のは誰だ、と思うようなことが多々あるのだ。
しかも時代は、1800年代のフランス。
貴族の社交的生活様式が、日本人の感覚からすると分
かり辛いというのもあり、結構読むのは大変と思われ
る。
プルーストはフローベールを高く評価していたらしい
が、何となくその辺は理解できる。
特別なことが起きるわけでもない世界を、ぐだぐだ執
拗に描くというのは、両者に共通している部分でもあ
る。
日本人の作家であれば志賀直哉か。

主人公に共感出来るか出来ないかという、表面的な捉
え方だと全く詰まらない小説かと思うが、或いは、わ
くわくする物語という意味でもそうだろう。
しかし、「失われた時を求めて」でも同じことがいえ
るのだが、時代、国、人間が違っても、普遍的な世界
が自ずから立ち上がるという点では、をそれらの小
説に共通することで、またそれは優れている証拠でも
あろう。
いうなれば、「小津安二郎」「ホウ.シャオシェン」
「エリック.ロメール」の世界である。
今回は特にその映画的なものを意識したのだが、それ
は単純に、最近観たロメールの「グレースと公爵」が
影響していたのかもしれない。


コメント

田園散歩

2009年05月01日 | 生き物 自然


昨日の続き

「クリヨー ド ヴァン」でYと別れ、「クロツバメシ
ジミ」の河原まで行くことにする。
今年も無事に発生しているか、一回は確認したい。
ローカル列車に乗り目的地で降り、河原沿いに歩く。
日差しはあるが、気温はやはり低めで、しかも風が強
いのでそれほど暖かさを感じることは出来ない。
歩いて汗ばむことは無い。
果たして何箇所かの「ツメレンゲ」の群生地には、ち
らほら「クロツバメシジミ」が飛んでいた。
無事を確認し、いつもなら、ここでUターンして、駅に
戻るところなのだが、今回は線路に沿って田園地帯を
松本方面に向かって歩くことにした。

すでに河原を遡ってきたので、上流よりの橋を向こう
岸に渡り、松本方面を目指す。
ここですでに、4キロほど歩いたことになる。
ますます風は強くなり、寒いくらいだ。
そう言えば、カフェのテラスでも、日が翳ったら寒く、
少々我慢してたのだった。
遮るものが無い川の土手は、予想以上だ。
しかも、反対側は「ツメレンゲ」などの生育する環境
ではないようだ。
つまり、あまり見るべき物が無いのだ。
向い側なのだが、随分違うものである

やっと、土手から田園地帯に入った。
田圃は、ちょうど田植え前の水を張った状態。
何かいるかと目を凝らすが、今の田んぼというのは、
昔と違ってアメンボ以外生き物の姿を見ることが殆ど
無い。
以前だった、「ゲンゴロウ」「タガメ」などが当たり
前の如くいたのだが。
今、それらのものを目撃することがあったら、それは
殆ど奇跡に近い。
この場合の「ゲンゴロウ」は「ナミゲンゴロウ」とい
う、昔いた普通の縁が黄色の三センチほどの「ゲンゴ
ロウ」のことで、「滝壺ビオトープ」の五ミリほどの
「ツブゲンゴロウ」のことではない。

そんな中の一つの田圃に、一匹見慣れないものが泳い
でいた。
久しぶりなので、何だか未知の生物の如く思われた二
センチほどの昆虫は、「コオイムシ」だった。
一応いることはいるんだ。
田圃によっては、低農薬などのところもあるのだろう。
全体に広がれば良いのだが、虫のために労働量を増や
せとは言えないよな。

この時点で、足に異変が。
ちょっと、靴擦れの感触が。
それに疲れてきたぞ。
一番近い駅に行こうと思ったが、場所が分からない。
何せ、大体の方向だけで適当に歩いて来たから。
取りあえず線路に向かって歩く。
そんな時、ちらちらと青黒いシジミ蝶が。
春型の「トラフシジミ」だった。
これは思わぬ出会い。
しかも、直ぐ止まるのでじっくり撮ることが出来た。
収穫収穫と気分もよく歩を進め、ちょうど農作業をし
ていた叔父さんに駅の場所を聞く。
最寄の駅は、そこから四五百メートルだった。

その後、マピオンで全体の距離を測ったら、八キロく
らいのウォーキングであった。
シーズン始めでは、このくらいでも結構きつかった。
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