今回は長崎市の北部の方はご存じない方も多いでしょうが、
南部では有名な?といってもローカルな場所です。
長崎市南部にある深堀町。
かつて城下町だった形跡は長い時間の中で、消えていきました。
わずかな名残がここにあります。
武家屋敷跡です。(長崎さるくのコースにもなっています)
案内板がありますのでご覧ください。(写真をクリック)
最初の、50メートル以上もある長い塀の写真は東屋敷のみの部分です。
でかいのです。中屋敷、西屋敷跡はもう残っていません。住宅地として
たくさんの家が建っています。
この東屋敷だけは当時より現在まで、ずっと1戸の住宅となって子孫の方
が受け継いでいるのです。
特徴として、この門構えは「薬院門」というのだそうです。
また石垣積みの塀は「野積み」「野面積み」と言われ、
敵が攻めてきたら、壊して石を落して戦うことが出来る構造だそうです。
さて、ここまでで終われば探索とは言えません。“長崎さるく”と
同じになってしまいます。
さすれば、普段は入れない中へ入っていきますぞー!
つづく
南部では有名な?といってもローカルな場所です。
長崎市南部にある深堀町。
かつて城下町だった形跡は長い時間の中で、消えていきました。
わずかな名残がここにあります。
武家屋敷跡です。(長崎さるくのコースにもなっています)
案内板がありますのでご覧ください。(写真をクリック)
最初の、50メートル以上もある長い塀の写真は東屋敷のみの部分です。
でかいのです。中屋敷、西屋敷跡はもう残っていません。住宅地として
たくさんの家が建っています。
この東屋敷だけは当時より現在まで、ずっと1戸の住宅となって子孫の方
が受け継いでいるのです。
特徴として、この門構えは「薬院門」というのだそうです。
また石垣積みの塀は「野積み」「野面積み」と言われ、
敵が攻めてきたら、壊して石を落して戦うことが出来る構造だそうです。
さて、ここまでで終われば探索とは言えません。“長崎さるく”と
同じになってしまいます。
さすれば、普段は入れない中へ入っていきますぞー!
つづく