「いつの間にか手帳を使わなくなった」「手帳に書いていても、見ないでいて、忘れてしまった」という声を聞きます。
わたしも、年に何度か、手帳を開かなくなる、手帳を見失うということがあります。だいたいが忙しくなりすぎることによるのですが、最初から忙しい時期だという受け止めがあると、手帳を使ってその忙しさを乗り切ろうと思うのですが、突然忙しくなったり突拍子もないことが起こったりすると、手帳を横にほっぽってしまい、手帳が本来の意味をなさなくなってしまうのです。
そうなると、わたしの場合、「生活が滑っていくような感覚」に陥ります。地に足がついていない感覚。先に書いた「ていねいに暮らす」ということが全くできなくなる状態。
こういう場合、何気ないことですが、それを乗り切る「こつ」として、意識してやっていることがわたしにはあります。
家や職場にいる場合、テーブル、または机の上を片付けて(最初からきれいな方は必要ないかな)、その上に「手帳」とボールペンだけを置く。そして、手帳を開いたままにするのです。
昔、こんな話を聞いたことがあります。「聖書を読みたいと思うなら、いつもテーブルの上に聖書を開いておいておくのだ」と。
それの手帳版。手帳のウイークリー部分を開いておくのです。すると否応無しに、手帳が目に飛び込んできます。そして、とにかくすぐに覗き込める、書き込める形を作っておくのです。
予期せず急に忙しくなると、なぜだか手帳を開かなくなる、開きたくなくなるわたし。
そういう時、時々は「無理矢理にでも」手帳を開いておく。そして、気持ちを「無理矢理にでも」手帳に向ける。すると、わたしの場合は、自然と手帳に仕事の整理と心の整理を任せられるようになるのです。