手帳なわたし

手帳オタクな私。若い時からその時々の生活のスタイルに合わせて手帳を選び、使い方を工夫してきました。私の今の究極をご紹介。

手帳の持っている哲学~「ひとこと」の存在~

2014-01-14 | 手帳・雑感



手帳って、奥が深いです。
紙の質、紙の色、線の色や太さ、罫線の種類や引き方、手帳のサイズ、文字の多少、そこに書かれている文章など、選択していくのに、幾多のポイントがあります。

どの手帳も、見ているだけでは「絵に描いた餅」で、妄想が広がるばかり。実際使ってみて、ようやくその手帳との相性が分かるというもの。

わたしが婦人之友社「主婦日記」を初めて意識したのは、ずいぶん昔。わたしの知り合いの牧師夫人がいつも手元に置いておられたのを目にして、「これは何?」と思った時でした。その頃は独身で、自分が使うことになるとは思ってもみませんでした。むしろ、その方のご主人の牧師が使っておられる手帳のほうに興味がありました。

その後、婦人之友社の他のものをいろいろ使っている間に、手帳も気になり、初めて買ったのが2000年を過ぎた頃。子供を産んで、2、3年が経った頃。シンプルなスタイルに戸惑い、何度も使うのをやめようと思いました。それでも、その時やめなかったのは、究極的に考えれば、羽仁もと子さんの言葉が好きだったから。

ほんのちょっと紹介↓
      


他の手帳にも、いろいろな方々の文章が載せられています。ピンと来るもの、あまり好きじゃないな~と思うもの。いろいろあります。好き嫌いはひとそれぞれ。わたしには、羽仁さんの言葉はインパクトがありました。

明治時代に生きた女性。日本で最初の職業婦人のひとり。当時、女性として最先端を生きた方が、人としての生き方、家庭の大切さ、家庭をおさめる主婦の存在の大きさ、家庭と社会とのつながりなどについて書いた文章は、今でも社会を導く言葉として響いてきます。古くて新しい、普遍の言葉。そんな言葉に惹かれたから、わたしはこの手帳を使うのをやめなかったのでしょう。

明らかにはっきりとした主義主張がある手帳。そうだからこそ、好き嫌いもはっきりするのでしょうね。







コメント
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