手帳なわたし

手帳オタクな私。若い時からその時々の生活のスタイルに合わせて手帳を選び、使い方を工夫してきました。私の今の究極をご紹介。

実は「日記」をやめた〜わたしの手帳の歴史(3)〜

2016-03-03 | 手帳・雑感


         
        我が家のレンテンローズ(クリスマスローズ)も咲き始めました。



20年ほど前から12年ほど前までは、

「A6システム手帳」&「5年日記」、

その間に、

「カレンダー」&「育児日記」と

わたしの手帳使いは変化していきました。


それぞれ2冊使いをご紹介してきましたが、

思い返せば、

実はわたしの人生、それ以前もずっと2冊使いでした。


それが、ここ十数年

「主婦日記」の1冊使いにシフトした理由は、

いくつかあります。


その一つ、

一番はっきりしていることは、

2冊のうちのひとつである「日記」をやめたことだろうと思います。



実はわたし、小学校の頃から日記を書く人でした。

小学校の時の日記をまだ数冊持ってます。

これは先生に提出していた日記です。

当時、小学校では日記を書かせるのが当たり前でしたね。

まだ、手帳なるものを持ってない頃から。


中学から高校にかけては、自分用に普通のおしゃれな日記を購入。

毎年きちんと書き込んでいました。


大学生になれば、送った手紙のコピー、もらった手紙を

日記に一緒に綴じておきたいと思ったので、

少しサイズを大きくして、

可愛いノートに日記を書くようになりました。

異性との文通、親友との悩みの相談の手紙などもいっぱい・・・。

貼り込みが多かったので、ノートの消費量はハンパなし。

それらの日記ノートがダンボール箱2個くらい残っています。


それは就職してからも続き、

結婚してからの「5年日記」「育児日記」とつながっていきます。



けれど、

ある時、ふっと思ったのです。

「わたしが死んだらこれらはどうなる?」


そんな風に思った時期は、

何十年と日記を書き続けてきた父が

父自身の日記を一気に処分していたことがわかった時期と重なります。

父の終活だったのだと思います。

それから数年後、父は亡くなりました。


わたしのうちで、「日記」に対する思いが

すうっと消えていった時期でした。


わたしは若い頃から、日記を書くことで

自分の気持ちの整理をしたり、

聖書の言葉について思い巡らしたり、

自問自答したりしながら、

自分の気持ちのコントロールしてきました。

そんな行為が、

なぜか今は必要なくなったことも関係あると思います。


もちろん、

今使っている「主婦日記」の空いているところに

その日読んだ聖書の言葉を書いたり、

ちょこっと日記風の書き込みをすることはあります。

でも、それは人が仮に見ても大丈夫な範囲の内容。

それくらいの軽い書き込みで、

「主婦日記」をライフログとしても使うことで、

「主婦日記」1冊で終わらせることができるようになってきたのでした。



〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

昨日のお弁当!(夫と息子用。マーさんのはお皿に用意しました)

昨日の夕飯の残りを詰めちゃった!
たくさん作ってたし、美味しいと言ってくれたので。
そういう日もあります。




・白飯
・オムレツ
・チャプチェ
(栗原はるみさんのレシピ。『もう一度ごちそうさまがききたくて。』に載っています)
・厚揚げのピリ辛煮(これも栗原さんの。豆板醤が入ってます)
・ブドウ



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コメント (4)
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