今回は短編小説のカテゴリーに入ってはいるが、実質「八犬伝」の勉強会みたいなものなのでご承知おき願いたい。
明治時代の中頃までは物語といえば『南総里見八犬伝』が最もよく読まれていた。
江戸時代後期に曲亭馬琴によって書かれて以来いろいろな形で読み継がれてきた大長編物語である。
貸本による普及が第一だが、歌舞伎の演目にも取り入れられ庶民の間で人気が沸騰した。
馬琴はこの物語を48歳から76歳まで . . . 本文を読む
その昔、甲州の造り酒屋『七賢』を訪れたことがある。
清春白樺美術館を見たついでに白州町まで歩いて行ったのだ。
途中、竹林があったような気だするが感覚的な記憶だから間違いかもしれない。
坂を下ってまた登って道が二手に分かれていた一方を進むと喫茶店があり土産物店もあった。
喫茶店で食べた酒かす入りカステラがすごくおいしかったので聞くと七賢の酒蔵を紹介された。
そこには日本酒『七賢』の唎酒コー . . . 本文を読む
紀貫之が編纂した古今和歌集には世間的に評判の高い6名の歌人の作品が収録されている。
序文に当たる「仮名序」には六歌仙の呼び名はないが、誰いうともなく六歌仙の呼称が定着したようだ。
古今和歌集に収録された6名の歌人は次の通り。
1 僧正遍照
2 在原業平
3 文屋康秀
4 喜撰法師
5 小野小町
6 大友黒主
このうち文屋康秀について紀貫之が仮名序に . . . 本文を読む
長いこと中断されていた川辺川ダム計画が動き出そうとしている。
村の一部が水没するため住民が反対していたが、先ごろ貯水ダムとしての受け入れを半世紀ぶりに表明した。
関係する五木村長や県・国が地域振興策の一環として合意したことがニュースで報じられたから、実現性はかなり高くなった。
五木村といえばほとんどの人が「五木の子守歌」を思い出すのではないだろうか。
物悲しい旋律と方言主体 . . . 本文を読む
島原の乱を起こした天草四郎は、幕府軍に取り囲まれて討ち取られえたといわれているが、一方で城の井戸を抜け穴に外部に逃げ延びたとする説が残っている。
当時交流のあったインドネシアの日本人街にひそかに船で運ばれたという話は、まったく信ぴょう性がないわけではない。
天草四郎時貞はそもそも誕生の時から数奇な運命を背負っていた。
紅蓮の炎に包まれて海上に現れたと信じる者もいる。
イエス様の生まれ変わり . . . 本文を読む
岩手県のある地方で、学校帰りの小学生が男女合わせて6名ほどでかくれんぼをして遊んでいた。
その日は昼過ぎから風が強くなり、先生が早く家に帰るようよう言い渡しておいたのに気象の変化が逆に生徒たちを興奮させてしまったようだ
ジャンケンで鬼になった三郎くんは、ほかの5人から離れて近くの芦原の中に駆け込んだ。
「もう、いいかい」
「まあだだよ」
「もう、いいかい?」
「もういいよ」
と、三郎 . . . 本文を読む
修二さんは秋になると零余子〈むかご〉の収穫をしながら自然薯の蔓の位置に目印の竹竿を刺ししっかりと記憶しておく。
晩秋から冬にかけて本命の自然薯を掘るために欠かせない作業である。
修二さんの家の裏山は大昔、合戦に敗れた坂東武者が逃げ込んだ場所と言い伝えられていて、武具が持ち去られた後には亡骸が放置されていたとも言われている。
時代を経て亡骸は海に近い湿地に集められ、その場所はしばらく白骨が砕け . . . 本文を読む
喜一さんはヘラブナ釣りの名人である。
ふだんは僅かな田畑を耕して生計を立てているが、冬場は釣ったフナの甘露煮を作って貝の佃煮とともに引き売りしていた。
喜一さんが活動する場所は茨城県の牛久沼、流れ込む大きな川がないことから湖ではなく沼と呼ばれている。
フナは溜まり水のような環境のほうが生息しやすい。
県外からもヘラブナ釣りに訪れる客がいるぐらい有名な場所であった。
最近では釣った魚をリリ . . . 本文を読む
視線のゆくえ 夏の日差しが顕著となった休みの一日、吉村は久美と連れ立って近くの水天宮にお参りにいった。 ふたりの住むマンションからはゆっくり歩いても二十分ほどの距離だから、その程度の運動はむしろ久美にとって望ましいものだった。 梅雨明け宣言のあと、ぐずついた天候が戻ってきて気象庁が慌てる一幕もあったが、この日は朝から夏到来に太鼓判を押してもいい気温の上昇が見られて、部屋の中にはいられない . . . 本文を読む
(双頭の蛇)
師走も押し詰まった頃、調査を依頼しておいた滝口から耳寄りな報告があった。
<年明けに、村上紀久子と電力界の黒幕が金沢の主計町で会う>という情報だった。
経済団体の賀詞交歓会は、例年通り13日頃に行われるらしいが、老人が大手町へ行くことはなく、もっぱら裏街道が似合っていると承知している。
陽のあたる場所より、芸者の寮を改装した村上紀久 . . . 本文を読む
立東大学の浦部教授は去年の暮れに妻に先立たれた。
日に日に寂しさが募り、妻の面影を追うことが多かった。
若いころは実験室にこもって研究を続け帰宅も遅かったから妻と会話をする時間も少なかったが、大学を去る頃になって妻の献身的な愛情に気づき感謝の気持ちを伝えるようになった。
「キミには面倒なことを全部押し付けて迷惑をかけたな」
「そんな、あなたは研究に没頭していたんですから家のことは私がやるの . . . 本文を読む
勝浦の夏は観測史上一度も猛暑日(35度以上)がないらしい、そのため観光に訪れる人や移住者が増えているのだそうだ。
理由は海岸には絶えず海風が吹きこんで内陸より気温の上昇が抑えられるらしい。
菅家一家は船橋に住んでいたころ行楽と言えば千葉の各地をドライブすることだった。
なかでも勝浦がお気に入りで、「ホテル三日月」の前の砂浜で子供を遊ばせ、昼になると道を渡ったところにある食堂に . . . 本文を読む
秋田県の能代郡に属するある小さな村では、山野に萩の群生する一帯がある。
この村の庄屋の佐藤新左エ門という男は、村の寄り合いのたびに奥の間から大きな蕾を持ち出して来て先祖代々伝わる小判や二朱銀のコレクションを見せびらかせていた。
「どうだ、お前らもせっせと働いて少しでも蓄財することを忘れるな。長い歳月の内にはこうして山吹色の銭が拝めるようになるぞ」
庄屋としては本気で村人を鼓舞 . . . 本文を読む
<おれ>と鍋屋横丁に近いアパートで暮らし始めて二年、ミナコさんは渋谷の道玄坂にある占いハウスで営業をスタートした。
四柱推命の師である70歳代の老人が自らのボックスをミナコさんに譲り、ハウス全体の経営に力を傾ける方針を示したことが第一の要因だった。
ミナコさんが執行猶予中という特異な経歴が口コミで広がり、若い娘たちだけではなく同年輩のマダムたちまでが興味津々で占いハウスを訪れた。
その話を聞 . . . 本文を読む
もしかしたら、ラカンは自分の存在を掴みあぐねているのだろうか。幼い時の記憶をたぐり寄せ、己が人間なのか、犬なのか、それとも風のように転げまわり、吹き荒ぶものなのか、見極めきれずに呆然と日を送っているのかもしれない。 そんなことを考え始めると、桂木だって、自分がどんな存在なのか、不安になる。 両親はすでになく、兄弟もいないし、妻との間に子供を授からなかったし、その妻とも離婚している。ある時期、天蓋 . . . 本文を読む