長いこと中断されていた川辺川ダム計画が動き出そうとしている。
村の一部が水没するため住民が反対していたが、先ごろ貯水ダムとしての受け入れを半世紀ぶりに表明した。
関係する五木村長や県・国が地域振興策の一環として合意したことがニュースで報じられたから、実現性はかなり高くなった。
五木村といえばほとんどの人が「五木の子守歌」を思い出すのではないだろうか。
物悲しい旋律と方言主体の歌詞が響きあって一種重苦しい日常を想起させる。
子守歌の安らぎどころか鬼気迫る怖ささえ感じさせる。
<おどま ぼんぎりぼんぎり 盆からさきゃ おらんど
盆が早よ来りゃ はよ戻る
<おどま うっ死んちゅうて 誰が泣いて呉りょか
裏の松山 蝉が鳴く・・
だが五木村にはもう一つよく知られた民謡がある。
それは「ひえつき節」である。
歌詞を見てみると椎葉村の平家落人伝説を題材にしている。
壇ノ浦の戦いで敗れた平氏の残党が日向国椎葉へ逃れた。
源頼朝の命を受けた那須与一の弟〈通称・大八郎〉は、追討のために椎葉村に向かった。
しかし、すでに戦意を失い農耕に生きる落人たちの姿を見て心を打たれ、幕府には討伐を果たしたと嘘の報告をして彼らを助け、自分自身もこの地に留まる決断をした。
大八郎は椎葉村で屋敷を構え、彼らに惜しみなく農耕技術を伝えた。
落人たちとの交流を深めていくうちに、大八郎は平清盛の孫とされる鶴富姫と恋に落ち、逢瀬を重ねた。
<ひえつき節>歌詞抜粋〈一部〉
庭の山椒(さんしゅう)の木
鳴る鈴かけてヨーホイ
鈴の鳴る時ゃ
出ておじゃれヨー
鈴の鳴る時ゃ
何と言うて出ましょヨーホイ
駒に水くりょと
言うて出ましょヨー
那須の大八
鶴富おいてヨーホイ
椎葉たつ時ゃ
目に涙ヨー
何年か経った後、大八郎は鎌倉幕府から帰還命令を受けた。
鶴富姫はすでに大八郎の子を身ごもっていた。
大八郎は「男の子なら連れてこい、女の子ならここで育てよ」と太刀と系図を与え、鎌倉へ帰っていった。〈ここまでが歌詞に登場する〉
その後、鶴富姫は女の子を生んだ。
自身は婿を取り、その婿が那須下野守を名乗って椎葉を治めたと伝えられている。
椎葉村の変遷の歴史は現在に引き継がれる。
五木谷に住み着いた地頭たちが支配した時代もある。
村人は地頭が所有する畑を耕し、収穫したヒエやアワを上納して生計をたてたという。
「ひえつき節」の歌詞に登場する源氏の武将と平氏の姫の悲恋物語は。やがて五木谷とともにダムの底に沈んでしまうのだろうか、
実は五木村の一部が川辺ダムに水没することが明らかになった時、大々的な発掘調査が行われた。
それによると五木谷には旧石器時代から人間が住んでいたという。
自然に恵まれた住みやすい場所を目指すのが人類である。
そうしたことを考えると、たとえダムに水没してもいずれの日にか五木谷は姿を現しそうな気がする。
歴史ロマンは絶えることはないだろう。
〈おわり〉
歴史ロマンを感じる、言い伝えが残っていますね。。。(*^▽^*)
「五木の子守歌」はこの地から出ているんですね。
那須与一の弟さんの人柄の良さを感じる話と歌が感銘を受けます。
平家落人の里は、点在していますね。
那須与一の弟さんはイイやつですね。
民謡は実際にあったことや体験談としてその地で生まれたものと考えています。
平家の落人は各地に残ってっていますね。
山深いところに点在していますもんね。