犬の幸せ不幸せ(3)
森の生活に戻った日、久しく顔を見なかったチャコちゃんが飼い主に連れられてやってきた。
こげ茶色に黒色を重ねたマホガニー家具を思わせる小型犬で、ピカピカとした毛艶から一目で幸せな暮らしぶりが見て取れる。
この犬、相手が女主人の知り合いと分かれば友好的な表情をするが、そのあと特別に尾を振ってじゃれ付いたりすることがない。
クールというのか、わきまえがあるというのか、人間同士が立ち話をしているときなど、飼い主の顔をじっと見上げたまま、会話の内容を聞いているように見えるのだった。
「雪が降って、ひときわ寒かった夜、リョウタがね、夜通し悲しそうな声で鳴いたことがあったの・・・・」
飼い主の話を、チャコちゃんが足下で聞いている。
何があったのか、四、五日リョウちゃんの飼い主が帰らず、ある朝犬は疲れきって雪が吹き込む小屋の中で倒れていたらしい。
森を震わすような鳴き声に、夜通し眠れなかった定住者が何人かいたという。
明け方、住人たちが入れ替わり立ち代わりリョウちゃんの許に駆けつけ餌や水を与えたりしたらしいが、「リョウタは死んだ」という者もいて、一時大変な騒ぎだったらしい。
「リョウタ、できるだけ頑張るんだよ。・・・・でも、これ以上無理だと思ったら、死んでもいいからね」
励ます言葉の切実さに奮い立ったのか、リョウちゃんはなんとか命をつないだ。与えられた水と餌が彼を甦らせたのは間違いないが、最初に彼の生命に働きかけたのが人間のコトバだったと思うと、複雑な感懐に囚われるのである。
飼い主次第で、犬の幸せ度が決まる・・・・。
人間の日常には予測不能のこともあるから一概に非難もできないが、今回の出来事は誰もが役所に連絡すべきことと考えていたらしい。
「チャコちゃん、おまえウチに来て好かったね」
女主人の語りかけに、犬はちょっと下を向いてウロウロと足を動かした。
なんだか聞き流している風にも見え、リョウちゃんと自分の身の上を考えているようにも思えた。
余談だが、チャコちゃんは飼い主と一緒にソファーに陣取り、テレビの二時間ドラマを最後まで見続けるという。
もっとも、いつの間にか飼い主に寄りかかって全体重を預けることもあるというから、案外中盤あたりで居眠りをしているのかもしれないが・・・・。
(写真は、リョウタのイメージ、白薔薇)
太古から人に飼われることで生きてきた犬の、幸せと哀しみが伝わってきました。
もともと野性の中で生きてきた動物や鳥には、飼い主から離れたときの不安など無縁なのでしょうが。
考えてみると人も似たようなものでしょうか。
多くの人は会社に属すことで生きていくわけで、それは生活の安定と安心を与えてくれます。
しかし、停年やリストラなどで会社を離れなければならなくなったとき、きっとどことも繋がっていない心許なさに襲われると言います。
極端な場合は元気だった人が退職後数年を経ずに、急に亡くなる事さえあります。
いろいろなことを考えさせられる良い文章を味あわせていただきました。
知恵熱おやじ
それがまた、読ませてもらっているうちに「ヒトの幸せ不幸せ」とダブって浮かび上がってくるようです。
所詮、この世に生を受けた者同士、ほんの匙加減で右にも左にも向いてしまうものですよね。
(知恵熱おやじ)さん、(自然児)さん、コメントありがとうございます。
人と犬の良好な関係は、知恵熱おやじさんのいうとおりはるか太古の昔から続いているようですが、それだけに人と犬に限らず、人間社会においても互いに繋がり合えなくなった場合の不安感は深刻のようです。
また、自然児さんのご指摘通り、人も犬もこの世に生を受けた者同士、その幸せ不幸せはほんの匙加減なのかもしれませんね・・・・。
ペット感覚が主流の今日、人と犬の主従関係が逆転しているエピソードもあるようです。