少年は夏にかがやく
草津の共同浴場は、思わぬ宝に出会うチャンスを与えてくれた。
7月の連休ど真ん中の夕方、例によって<巽の湯>に立ち寄ったのだが、その際頬をぽっと染めた小学四年生ぐらいの少年が混み合う脱衣場の端に立っていた。
もう着替えも終わって、帰ろうとしているところらしい。
都会の子供には見られない素朴な顔つきに、おもわず懐かしさを覚えて声をかけてしまった。
「温泉、熱かった?」
「それほどでもないです。足なんかは平気でした。・・・・でも、ぼくは背中が日焼けしているので、ちょっと熱かったです」
正確に答えようとするまなざしが、こちらにまっすぐ向けられていた。
なんと初々しい受け答えだろう。すっかり嬉しくなって、さらに会話を進めていた。
「この近くに住んでいるの?」
「はい、この前の道を少し行ったところの食堂です」
「へえ、食堂か・・・・」
子供相手にあまり立ち入ったことを訊くのは躊躇されたが、少年の屈託のない表情にこちらの惑いのほうが色あせた。
「○○という定食屋です。カツ丼とか、から揚げ定食とか色々できます」
一生懸命に説明する姿に、少年なりに家の商売を応援しようとする気持ちが汲み取れてほほえましかった。
いまどき、これほどストレートに親を想い、気持ちを口にする子供がいるだろうか。おそらく妙に大人びて、斜に構える少年が大半だろうと思い返すのだった。
わたしの頭の中に、いくつかの類型が浮かんだ。
片山明彦、大泉晃(サンズイに晃)らが子役で出ていた『風の又三郎』、そしてテレビで放映されたバラエティー番組の中の「牛飼い少年」と「将棋少年」である。
テレビの方は、こちらの勝手な命名だから思い当たる人は少ないかもしれないが、ともかく頭をよぎったのはこれらの少年たちだった。
「うーん、わかった。今度お腹が空いたときに行ってみるよ」
帰っていく少年を見送って、やおらシャツを脱ぎ始めた。
何人入っていても、掛け流しの湯はバシャバシャと縁を越えて流れる。空いた場所に身を沈めると、足先からじんじんと心地よさが伝わってくる。
(なんだか今日は得した気分だなあ)
宝物に出会ったみたいで、心がウキウキした。
二日ほどして、たまたま昼時になったので少年のいう定食屋に入ってみた。
簡素なお品書きがウインドーに収められた目立たない食堂だった。ただ店前が清潔そうで、しっかりしたものを食わせるだろうとの予測はできた。
ニコニコとわたしを迎えてくれたのは、まだ三十代のご夫婦。少年の風貌がたちまち思い浮かぶ張り切ったご両親だった。
わたしの後から、どんどん客が来た。電気工事の四人連れ、警備会社の制服を着た三人など、相席になるほどだ。
ひそかに抱いていたわたしの危惧など雲散霧消。心の内で、ごめんなさい。
店の名や写真など取り込むおせっかいはやめておく。
注文したのは生姜焼き定食だったが、ボリュームもあり、付け合せの小鉢もシャレていて美味しかった。
モロッコインゲンの歯ざわりが、さらに満足を呼んだ。今年の初物だから、よけいに嬉しかった。
ウチの畑では、まだやっと蔓が支柱を駆け上った段階だ。間もなく花が咲き、そのあとは一気呵成に莢がぶら下がる。
植物のみのりも、宝物に出会ったような喜びを与えてくれるだろう。
(前日、書きかけの文章をうっかり公開してしまいました。お詫び申し上げます)
この親ありてこの子ありとも感じました。何々食堂の佇まいや出し物、それを知っただけでどんなにか律儀な親たちでしょう。そして、その子の話しぶりが結び付きます。
やはり都会地では得られない人間の滋味というものが、片田舎ではまだ残されているのでしょうかね。
なお、最後に記された「お詫び」が何かと思って前回分を開いてみましたが、「うっかり公開」とは思えませんでした。
いつもあたたかいコメントありがとうございます。
実は「お詫び」の件は分かりづらいので、少し説明させていただきます。
前日、いまと同じタイトルで数行書きかけ、あとは翌日に書き足すつもりで<保留>にするつもりでしたが、<公開>のまま投稿をクリックしてしまったので、半日あまり尻切れトンボの文章が載ってしまったわけです。
したがって書き足した現在は、書きかけの痕跡はありません。
しかし60人ほどの方に、たった3~4行の意味不明文を晒してしまったことを、お詫びしたいと思ったといういきさつでした。
コンピュータをいじくっていると、とんでもないことが起こるもんですよね。「あっ、飛んじゃった」とか、「押し間違えた」とか……。
それでは、次回を期待します。