犬の幸せ不幸せ(2)
クーちゃんは、現在の飼い主に拾われる前はかなり不運な境遇にあったらしい。虐げられたせいか人間を怖がり、通りがかりに名前を呼んでも声も出さず、姿も隠したままだった。
生きる気力もなくしてしまったように思われた。反応がまったくないまま一年近く過ぎた。
ところが、冬のある日チョッキを着た太目の犬が飼い主に連れられて散歩しているではないか。
「えっ、クーちゃん?」
思わず疑うように問いかけてしまった。
「そうよ、クーちゃんですよ」
飼い主の女性が笑いながら振り向いた。この人、明るく積極的で、われわれ後発住人には頼りがいのある大先輩なのである。
すでに十年近く常住していて、近在の人との交流も村人以上。森の恵みも、タラの芽、コシアブラ、蕨など春の山菜、いまごろはグミ、桑の実、秋はひら茸、たまご茸などキノコの在り処にもたいへん詳しい。
そのいう人に拾われたから、クーちゃんは元気を取り戻したのだろう。名前を呼ぶと振り向くようになり、今年久しぶりに出会ったときには、人間不信を払拭して足元に寄ってくるほど人懐っこくなっていた。
(動物ってこんなにも変われるものか)
愛情というものがいかに大切か、つくづく感じられた。
クーちゃんの家には他に猫が二匹いて、これらの存在もクーちゃん立ち直りに力を貸した可能性がある。
というのは、私はまだ遭遇したことがないのだが、三頭(匹)そろって散歩に出ることがあるそうで、そのときの野次喜多道中ぶりを聞くと、クーちゃんもいつまで塞ぎ込んではいられまいと思ったからである。
主役が急に変わって申し訳ないが、二匹の猫のうち若いほうのクロがクーちゃんと先に行ってしまうものだから、坂道でついて行けなくなったメタボの老嬢がギャーと声を張り上げるのだそうだ。
「あたしを置いて行かないで!」ということなのよ・・・・。
クーちゃんの飼い主はどこまでも明るい。
犬のお母さんが、トラやライオンなど他のどうぶつの赤ちゃんにおっぱいを与えるのを見てびっくりすることがあるが、動物はすべて分かっていてやっているような気がする。
メタボの悲鳴を聞いて、クーちゃんも足を止めるそうだ。
できすぎた話ではないと私は信じている。
クーちゃんの晩年は、明るい飼い主と猫たちによって少し光明が差してきたようだ。
このまま幸せになって欲しいと願うのは、私だけではないだろう。
(写真はクーちゃんのイメージ・多くの仲間に見守られて・・・薔薇シリーズ)
えっ! 犬が猫と一緒に仲良く散歩するなんて驚きです。犬猿の仲じゃないですけど、犬と猫は互いに競争心を燃やすものだとばかり思ってましたよ。
もっとも、飼い主のご婦人が出来た方なので、そのせいもあってクーちゃんは再起するし、猫ちゃんとも仲良くなったとか。
このようなチラリとしたエピソード、しかも「どうぶつ」に関する話をいつも小気味よく書かれていますね。
願わくば、登場人物、いや登場どうぶつの写真が載ると、いっそう味わいが出ることでしょう。