⑦ 火災の発生
地震に続いて各所に火の手があがった。
震災のため、多くの家屋が全壊、半壊し、そうでなくても激しい地震のためにあわてて戸外に飛び出した人々が多く、しかもちょうど昼食時で、使用中の竈、七輪、火鉢、ガス焜炉などの火が燃え移り、また薬品の容器の破損などによる発火、あるいは電気器具などによる発火もかなりあったようである。
火事は延焼を続け、九月二日午前六時に大体鎮火し、三日午前十時に至って全く鎮火した。出火の個所は、その初めに八十八か所と称されていたが、後に一三四か所と訂正されている。(ただし、「東京震災録」で補正された出火個所はさらに増えて一七八か所と記されている。
そのうち五十七か所は消し得たが、七十七か所は消火できず、延々として燃え広がり、また火災現場から飛び火して新しく火元になった場所もあり、火勢がつのって三日間に百余か所が炎上した。
「科学知識」第三巻所載の藤原理学博士の<大火災と気象>によれば、<出火後、風向きが転々と変じ、かつ強風または烈風であったために火事はたちまちに拡張し、かつ先には風上であった地も後には風下にまわり、ついに帝都大部分の繁栄区域を焼失せしめた。>とあり、風向きが変わり、風速が強まったのは全く火勢のためであると述べている。
<九月二日の午前三時ごろ三越から吹き出した焔のごときは、太陽の色に近き程の白色であった。このような猛火のためにこれ位の風の起こるのは不思議はない。気象学上から言えば、熱と風との大きな実験をしたようなもので、普通では得られぬ材料を得たわけである>と記している。実際、三越呉服店では、白金が溶解したというのであるから、その温度の恐ろしいほど高いことがわかる。
(つづく)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます