カンヒザクラ
(城跡ほっつき歩記)より
自然に咲く花が少なくなった冬
寒緋桜が慎ましやかに花開く
寒空の下でなんと淑やかに咲くのだろう
うつむき加減のエツコの姿が蘇る
宇佐市の叔父に引き取られると聞いたとき
ぼくの目の中で風景は回転した
筑波線の小さな駅に植えられた白梅の
固い蕾がプツプツと礫になった
チチハハが理不尽に温もりを絶たれたとき
エツコは130センチの影を畳に刻んだのだろうか
40ワットの弱々しい裸電球は
目をそらすことなくエツコを見続けたのだろうか
エッちゃん ぼくは毎日手紙を書くからね
宇佐はきっと暖かいところだから
いろんな花が咲いていると思う
ぼくが卒業したら必ず会いにいくからね
文通はまもなく間遠になった
手紙はうれしいけどオバが気にしているの
それはエツコが身をすくめる結果になることを
ぼくはズシンと受け止めた
一年が過ぎたころ就職したとの便りがあった
大きな神社の巫女になったという報せだった
今は慣れないことが多いけど
見習いを卒業して皆に認められるように頑張ります
初めて手にする角封筒の中に
同僚に撮ってもらったという写真が入っていた
大きな寒緋桜の木の前で
エツコがうつむき加減に微笑んでいた
転々とした人生行路の過程で留めた慎ましい笑顔
ぼくはエツコとの再会を望んだが
まだ男の人と自由に交際できる立場ではないの
一年たったら私のほうから連絡します、ごめんなさい
一年が過ぎ二年経ってもエツコからの許しはなかった
私チチハハのようになりたくないから
神様の教えに従って生きることにしました
上を視ることを諦めたエッちゃんの覚悟だったのだろう
酒を飲み仲間と海外旅行の自慢話をする
ありふれた日常にどっぷり浸かる毎日が
ぼくの手にした道だった
さよならエッちゃん あなたの航路とは交われない
強烈すぎるフラッシュに回転する風景
それはぼくの眩暈ではなくあなたのものだったのだ
俯いて咲く巫女姿の少女と寒緋桜の写真
ぼくは角封筒に戻して再び封印する・・・・
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やっぱり距離の隔たりは人と人の隔たりになるんだなあー
メール時代の今ならたとえ外国でも距離などほとんど感じないのに
手紙はやっぱりアナログなんだ
同じ土地や学校の誰かさんにもらう手紙と
遠い九州の地から貰う手紙は同じ内容であっても、そこにちゃんと目に見えない距離が含まれていて・・・
微妙に違うもうひとつの意味を持ってしまう
アナログは複雑で美しい
そして思わぬ哀しみをもたらす・・・
そんなことを想わされる詩だなあー
あまり意識しませんでしたが、手紙はさまざまな顔を持っているんですね。
普通の手紙でしたら、最短でも一晩は郵便局のルート上にとどまっていて、一定の時間と距離を経て宛先の誰かに届けられるという流れです。
この詩では、たまたま九州のエツコと関東の少年の間で交わされる手紙が進行役を担っていますが、ある種の距離と時間が結果的に運命を変えていったのかもしれません。
ご指摘いただいて、今更ながらアナログの持つ思索性に思い至った次第です。
「アナログは複雑で美しい。そして思わぬ哀しみをもたらす・・・」
良い時代に生まれたと思い返しています。ありがとうございました。