スズランスイセン
(城跡ほっつき歩き)より
ある日きみから一通の手紙をもらった
東京の下町から近県に疎開して15年経っていた
ぼくの住所をどのように探り当てたのか
戦火を逃れて互いに町を離れていたのに
手紙を手にして最初に感じたのは
なつかしさというより戸惑いだった
だってぼくは一緒に遊んだはずのきみを
あまりはっきりとは思い出せないんだ
ぼくはきみのことを母から聞いてはいた
川べりの釣り小屋まで無断で遠征したとか
遊び疲れると並んで昼寝をする仲だったとか
でもきみとじゃれ合った実感は湧いてこないんだ
確かになつかしいと返事には書いたけど
送られてきた写真できみの面影を呼び起こせなかった
すべてはぼくの記憶力が悪いのだと思う
4歳の記憶がみな脆弱だなんて言い訳にもならない
だから材木座海岸近くに住むきみが手紙をくれ
頼朝の墓の写真を同封してくれたのに
再会するだけの熱意が湧いてこなかったんだ
ドラマを創れなかったぼくの貧しい思い出話さ
そのくせ線路沿いの避難道路拡張のために家を追われ
着の身着のままで疎開先へ向かった記憶は鮮明だ
馬車の上でフライパンと鍋がぶつかり合う音もよみがえる
悲しみが白い花のように風に凍えていた
名倉整骨院と小針測量事務所があった町
イチジクの木を二階から見下ろした我が家
引っ越したあと空襲にあって赤々と染まった空
幼友達の記憶は焼け跡に転がっているのかもしれない
スズランスイセンの白い花と幼い記憶
馬車の上で聞いた鍋とフライパンのぶつかる音
なんのつながりもない思い出の中の交わりだけど
きっと人生の座標軸に置かれた点と点の近接だったのだ
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いちおうヒガンバナの仲間と云われており球根で冬越ししております
いつも俯いているのですが、何時のことからなのかは覚えていません
数年前くらいのような気もしますが、もっと以前からなのでしょうか
何か、とっても悲しいことがあったような朧げな記憶もあるのですが
少なくとも、お日様や青空や星空を見上げたという記憶はありません
でも地表を眺めていると、雨が降った、霜が降りたと退屈はしません
あと3か月もすれば、虫たちが目覚め、新芽の仲間が顔を覗かせます
そんな普通で当たり前の日々を過ごすことを有難いと思う年の瀬です
「鈴蘭水仙」より
(別名をスノーフレーク、レウコユム、オオマツユキソウなどとも)
いつも画像をご活用いただき御礼を申し上げます。
本年もお世話になりました。
どうぞ良い年をお迎えくださいませ。
でも、朧げとはいえとても悲しい記憶をお持ちとは想像もしませんでした。
青空や星空には無縁でも、あなたの持って生まれた姿勢や性質には、たくさんの長所があるようですね。
俯いた視線の先の地表には、雨の訪れや霜の成長、そして草木の芽生えとか虫たちのざわめきなどが見られ、飽きることはないのでしょう。
とかく欲しがりすぎる世の中の風潮を横目に、日々の出来事を受け入れ、ありがたいと思える境地に至ったあなたに心からの共感を覚えます。
年間を通して、あなたをはじめ多くの画像を提供してくださった「城跡ほっつき歩記」様にも感謝申し上げます。
希望に満ちた新年をお迎えくださいますよう、祈念いたしております。