<おれ>と鍋屋横丁に近いアパートで暮らし始めて二年、ミナコさんは渋谷の道玄坂にある占いハウスで営業をスタートした。
四柱推命の師である70歳代の老人が自らのボックスをミナコさんに譲り、ハウス全体の経営に力を傾ける方針を示したことが第一の要因だった。
ミナコさんが執行猶予中という特異な経歴が口コミで広がり、若い娘たちだけではなく同年輩のマダムたちまでが興味津々で占いハウスを訪れた。
その話を聞くと<おれ>は「まるでブラックホールを覗く科学者みたいだな」とからかった。
「あら、あなたのたたら出版で最近出した新刊のこと?」と早速返された。
たしかに多々良はこのところ読者の知的好奇心を満足させる新刊を出して当たっていた。
魔の三角地帯とかUFOとか大陸書房並みのキーワードを軸に矢継ぎ早に本を出版していたのだ。
実は企画の大半は<おれ>の進言で、執筆者さがしから原稿料の交渉まで引き受けてのことだから多々良の出る幕はなかった。
ミナコさんはぼくの動向をよく把握していた。
たたら出版の本が取次ルートに載るなんてことは<おれ>でさえ考えていなかったが、スポーツ紙の広告を見た地方の書店から
取次店に照会の電話が多数あり、いまや取次店からの取引番号を付与されるまでになっていた。
「そういえば、ミナコさんは早くからそのことを予言していたね」
おれは正直ミナコさんには占いの能力がまだ埋蔵されていると信じていた。
「ミナコさんが原油先物で大儲けしたという話を聞きつけて、投資家が相談に来たらしいじゃないですか」
「あら、どこから漏れたのかしら? 確かに来たけど、追い返したわよ。私のところは人生相談はうけたわまりますけど相場の相談は致しません、と」
ミナコさんが鏡台とにらめっこしながらそっけなく言った。
「さすが、ミナコさん。テレビに出るようなような競馬の予想屋がハズシて海に沈められたという噂がありますからね。女性の占い師でも政治に首を突っ込んで出禁になった例もありますし、怖い怖い」
「わたしは大丈夫よ、臆病だから」ミナコさんが口紅を塗った唇を左右にうごかした。「・・それに、いっぱい失敗してきているし」
「原油先物取引はミナコさんにとって疫病神でもあり幸運の女神でもあったわけだ。その投資家だけでなく誰でも興味を持ちますよ」
「わたしが出所したあと、日本橋蛎殻町の商品取引所を訪れたことまで知っているのよ。誰がもらしたんでしょうねえ」
「う~ん、あの男か、それともゴトウさんか。どっちにしても事情を知っているヤツだ。取引所の関係者は守秘義務があるから客のことは口にするはずがない」
「わたしもそう思うわ。弁護士立ち合いの上で社長名義のモノは社長が処分して会社のか会計へ戻したし、わたし個人の取引はその場で売却したから取引所の人が漏らすはずはないし」
ミナ子さんがどれくらい儲けたのかは聞かなかったが、当時アパートの賃貸料にも苦労していたおれにかなりの援助をしてくれた原資は原油先物取引の成功だったのかと思い当たった。
「ま、ミナコさんの評判は高そうだから占い料金も高くしたらいいんじゃないかな」
「今でも高いわよ。ほかの星座占いとかタロットカードとか水晶球とかの占い師さんにも客が回るように気を使っているのよ」
そうか、やはりミナコさんには敵わないと思った。
「さあ、そろそろ出かけるわよ」
おれは弾かれたように椅子から立ち上がった。
自分の反応を頭で追いながら(まるでヒモみたいだ)と思った。
当然、隣室に住んでいた男の顔が目に浮かぶ。
パチプロだった住人がおれに教えてくれたヒモ家業の教訓が、まだそのまま<おれ>の中で生きている。
「何もないやつは、女の居心地がいいようにしてやることだ」
何を焦ったのかタブーの薬を女に与えて自殺のお手伝いをしてしまった。
幇助に至る経緯は知る由もないが、居心地のいい状況を作ってやったとはどうしても思えない。
福岡出身の魅力ある九州男児だったが、自分の人生も駄目にしてしまった。
おれはなんとか這い上がったものの、マンダ書院以来続いた苦難の道を振り返りミナコさんとの出会いがどれほど幸運をもたらしてくれたかと心の中で繰り返し感謝した。
「あなた、なにボーっとしてるのよ、ハイ、お出かけのチュー」
おれの目にクチナシ色の唇が迫ってきた。「あたしが帰るまで若い娘におイタしちゃいけませんよ。あたし千里眼だからね」
「はい、わかりました。ぼくは次の企画でも練っておきますよ。ミナコさんこそ師匠の思惑には警戒してね」
互いにジャブを出しあって、夜の仕事に送り出す日々だった。
(おわり)
ミナコさんを拘置所から出したままでは落ち着きませんので・・。
そんなところで生きていたのかあ~
女は逞しいねえ
でも後日談にホッとしましたよ