どうぶつ番外物語

手垢のつかないコトバと切り口で展開する短編小説、ポエム、コラム等を中心にブログ開設20年目を疾走中。

(超短編シリーズ)67 『すきま風』

2012-03-15 01:28:28 | 短編小説

     (すきま風)


 周平が商店街の歩道を歩いていると、車道を挟んだ向かい側のパチンコ店の前から軽快なテンポの音楽が流れてきた。
 (おっ、チンドン屋だ)
 思わず足を止めた。
 物珍しさというより、懐かしさが鼻の奥を刺激した。
 ここ数年、チンドンが練り歩く姿を見かけることがなかった。
 全国のチンドンマンが富山市に集まってコンテストをやったというニュースを、テレビの画面で見たのは五年も前のことだ。
 それ以降、チンドン屋の存在は周平の中でほとんど消えかけていた。
  下町の商店街でなら見られるかもしれないが、郊外のアパートに張りついて生きている周平には無縁のものだった。
 チンドンは、彼の意識の中ではほとんど絶滅危惧種に近い。
 だから、現実に営業しているチンドンマンを見てすっかり嬉しくなってしまったのだ。
 周平は、思いついて胸のポケットから携帯電話を取り出した。
 車道を渡って、こちら向きにチンドン太鼓を叩いているフェルト帽の男に近づいた。
「すみません、写真撮らしてもらっていいですか」
「いいですよ、ちょっと待ってね」
 男は鮮やかなオレンジ色の帽子を横にひねって、数メートル後方で展開している仲間に声をかけた。「・・・・写真撮りたいんだってよ」
 ラッパが担当の太った男、ドラムを抱えた若い女性、それに仲間をリードするチンドン太鼓の男が三人並んでポーズを取った。
 周平は恐縮しながら、嬉しさで舞いあがっていた。
 腰をかがめ、構図を決めようと後ずさりした。
「あ、危ない!」
 サングラスで表情を隠したドラムの女性と、写真を許可したリーダーがいっせいに声を上げた。
 三人を画面に入れようと後ろ向きに車道にはみ出した周平に、走ってきた自動車がぶつかりそうになったのだ。
「ヒッ」
 周平は、背後を黒づくめの死神が通り過ぎるのを感じた。
 我に返ってセダンの尻を見送った。
 (あっ、姉ちゃん・・・・)
 頭の片隅に苦渋の場面が甦った。
「お姉ちゃん、待って」
 家の玄関から通りへ走り出た姉が、細い市道を飛ばしてきたクルマに撥ねられて路上に叩きつけられたのだ。
 後を追った周平の目の前で、姉はぼろ屑のように萎んだ。
 あのとき姉は、黒づくめの死神を見ただろうか。
 周平から逃げることに意識を集中していて、背後から近づく影のような疾走者には気づかなかったと思う。
 その存在をはっきり眼にしたのは、五歳の周平だけだった。
 全身黒のコスチュームを纏った死神が、白昼の光を縫ってすばやく通り過ぎたのだ。
 (まぼろし? それとも・・・・)
 長らく心の奥に閉じ込めていた記憶が、自らの危機によって一気に甦った。
 (姉ちゃんのときと同じだ)
 そうした事実がありながら、自分の行為が意識の下でコントロールされていなかった。
 周囲への注意を怠った迂闊さが、白日のもとに曝される。
 姉の事故を誘発したかもしれない行為が、罪の意識をともなって彼を苛む。
 逃れようのない事実を、周平はあらためて突きつけられていた。
「姉ちゃん、ごめん・・・・」
 全身が粟立っていた。
「ほんと、気をつけてよ。死人出しちゃったら、どうしようもないからね」
 ドラムの女性が、突き放すように言った。
 直接の係わりはないとはいえ、後味の悪い思いはついて回る。
 もの好きに写真を撮ろうとする老人を、扱いかねているように思えた。
 周平は、被写体としてのチンドンから一歩引き、目の前の女性に初めて意識を向けた。
 大きなサングラスの下に、歪めた唇が見えた。
 意地の悪い口つきではなく、哺乳瓶をくわえ損ねた乳児のような唇なのだ。
 (まさか・・・・)
 七歳のまま成長を止めた姉の唇と生き写しだった。
 周平の記憶の中心から、つむじ風のように吹き起こるものがあった。
 一瞬の危機感がもたらした、生体反応のようなものだった。


   昭和四十年代の半ば、周平はサックス奏者として学生バンドに所属していた時期があった。
 当時はサム・テイラーが大評判で、ハーレム・ノクターンが街の隅々まで流れていた。
 周平は学生バンドの中心メンバーとして、音響メーカー主催のコンテストに出て評判を取ったことがある。
 バンド名を売り込んでプロデビューを図ろうと画策したこともあったが、次第に仲間が脱落して最後には周平だけが取り残された。
 学業に戻って一流会社をめざす彼らを、周平は無念の思いで見送った。
 (クソ面白くない人生を選びやがって・・・・)
 周平はやむなく、場末のキャバレーなどで小編成バンドの俄かラッパ吹きとしてもぐり込み、フルバンドからのお声掛かりを待ち続けた。
 テナーサックスが得意だったが、幾つかの金管楽器もこなす器用さが災いしたのか、一流バンドで活躍したいという夢は叶わなかった。
 親からは、あからさまに嫌味を言われた。
 長女を失ったうえに、本来後を継ぐべき長男がロクデナシとくれば、その落胆は深刻だったろう。
「家は弟に継がせればいいじゃないか」 頑なな周平の態度に、両親は諦めるしかなかった。
(俺には、家を継ぐ資格なんかないんだ)
 いつからか、そのように囁く自分がいた。
 突っ張っていたわけではないが、我を通し切った。
 そのくせ焦りと卑屈な感情にさいなまれ、次第に惰弱な生活に堕ちて行った。
 売れっ子のお姐さんに拾われて、好い思いをしたこともある。
 しかし、その関係は数年で破綻し、まもなく上がり目のない人生に足を取られていた。
 不良に絡まれて危ない目に遭ったのがきっかけで、通報してくれた女のヒモになった。
 (まあ、互助会みたいなもんだな・・・・)
 周平のようなへなちょこでも、決まった男がいるというだけで女にチョッカイを掛けるワルは少なくなる。
 夜の街特有の了解でもあるのか、所帯の匂いがするところにあえて事を仕掛ける者はいない。
 持ちつ持たれつ、女が稼ぐ代わりに周平は昼ごろ起きてくる女の面倒を見る。
 狭いマンションで、簡単な食事の用意から掃除洗濯ゴミ出しなどが主な仕事だ。
 夜のお務めも仕事のうちで、女に愛想を尽かされるまで周平なりに努力の日々を送った。
 周平自身の落ち度もあったが、さしもの景気も下り坂になったことが別れの遠因だ
 彼はヒモ生活の合間にも、公園でのサックス練習は怠らなかった。
 図らずも、その心がけが役に立った。
 もともと夜の世界が合っていたのか、女と別れてからはラッパ吹きとしてクラブ回りの仕事に復帰した。
 音に深みが出たとか、前よりサビが効いているとかいって誉められた。
「周ちゃんの呻きを聴いているみたいで、泣けちゃうわ」
 さすがにサム・テイラーは飽きられてきたから、あまりオーバーな演奏は控えた。
 ジョン・コルトレーンが好きだとか、シル・オースチンのように吹いてくれとか、みないっぱしに意見を述べた。
 『黒い傷跡のブルース』『夜霧のしのび逢い』といった一般受けのする曲が中心だったが、リクエストに応えようとして周平のレパートリーは増えていった。
 ディスコ・ブームが下火になると、ムード歌謡が巷の路地裏を流れた。
 天井知らずに膨らんだ浪費が萎み、社会の隅々にまで浸透した頽廃が時代を見通しのないものにしていた。
 ジャズ、ボサノバ、演歌、フォークソング、それぞれが持ち場を得て棲み分けていた。
 周平に最も光があたった絶頂期かもしれなかった。


 別れた女が、十条のチンドン屋と夫婦になったという噂を風の便りに聴いた。
 キャバレーでクラリネットを吹いていた男が広告宣伝社の家業を継ぎ、女をチンドンの旗持ちに誘ったのが縁らしかった。
 ホステスとして限界の年齢になっていた女も、引退を考える潮時だったようで、小なりとはいえ社長業の男から声をかけられ決心したらしかった。
 昼間の仕事に転進するにはそれなりの苦労があっただろうが、もともと田舎出の女だから粘り強さがあったのだろう。
 周平はその噂を聴いたとき、あまり感情を動かすことはなかった。
 自分に見切りをつけてチンドン屋の女房になった女を、哀れともうらやましいとも思わなかった。
 むしろ、労せずして精神的な区切りを付けてくれたことを、ほっとした思いで受けとめた。
 彼自身も好きなラッパ吹きに復帰できたのだから、いううことはなかった。
 ところが、人生思い通りにはいかないものだ。
 咳き込みがひどくなって、検査した結果肺癌と診断された。
 周平が闘病生活に入ったのは、四十歳を五つ六つ超えたころだった。
 肺の一部を切除したせいで、ラッパとは無縁の生活を余儀なくされた。
 家族とも縁を切られ、一流にもなり損ねた人生だったが、好きに生きての結果だから誰を恨むこともできない。
 いまとなってみれば、心から女を愛することのない一生だった。
 いやいや、家族にも他人にも本当に心を開いたことのない生涯だった。
 誰との関係にも確信が持てないから、とことん尽くすことができないのだ。
 周平には、どうせ運命に背を向けられているという強迫観念がある。
 一瞬懐かしさを覚えて近寄ったチンドン屋にも、介在する何者かの力によって遠ざけられた。
 やはり、前世から組み込まれた筋書きなのか。
 姉に瓜二つの唇が、彼を冷ややかに押しのけてきた。
 サングラスの下の表情は見えないが、チンドンの女は明らかに彼を疎んじていた。
 (まだ、面倒かけるつもり?)
 姉とドラム担当の女性が一体となって、周平の行為をおとな気のないものに貶めた。
 (いい歳をして、チンドンに夢中になるなんて・・・・)
 周平は鼻白んで引き下がった。
 チンドン太鼓のリーダーは、会釈をした周平になんともいえない微笑を返してポーズを解いた。
 チチン、ドンドン。
 リーダーが促すと、クラリネットの男が青黒い横顔を天に向けてスウィングし、ドラムの女が何事もなかったようにスティックを動かした。
 束の間、接触しかけた関係も、よく見れば交わることのない曲線同士だった。
 周平はきょう支給されたばかりの生活保護費を懐に、安売りの店を探してアーケード街を引き返した。


     (おわり)
 



  


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