どうぶつ番外物語

手垢のつかないコトバと切り口で展開する短編小説、ポエム、コラム等を中心にブログ開設20年目を疾走中。

どうぶつ・ティータイム(133) 「第一詩集」の背景

2011-09-03 02:55:17 | エッセイ

     (第一詩集『誓いの館』の背景)



 当ブログを始めたのが2005年12月だから、まもなく6年が過ぎようとしている。

 それまでは『凱』という同人誌に小説を発表していたのだが、年に一回か二回の発行がやっとで、そのペースだとナマってしまう気がしてブログに切り替えた。

 主に短編小説を書き、あいまに身の回りの自然や出来事をエッセイ風につづって今日に至っている。

 <むかしの詩集とフォト日記>として第二詩集『風葬』の詩を転載し始めたのが2010年10月、ブログのアクセントになればとの軽い気持ちだった。

 そして第一詩集『誓いの館』からは、<新むかしの詩集>として短編小説と交互に載せるかたちで進行中だった。

 そんなとき、先輩の(知恵熱おやじ)さんから「誓いの館」の背景と題した西岡光秋氏の解説を載せたらどうかとの提案を受けた。

 西岡氏は現在、詩誌「日本未来派」の発行人となっており、同誌の中心的活動をされているようだ。

 1971年には、詩集『鵜匠』で日本詩人クラブ賞を受賞し、國學院大学講師を務めるかたわら多数の著書をあらわしている。

 ぼくが西岡氏と出会ったいきさつは、解説の中に明らかにされている。

 すでに西岡氏は、処女詩集『魚の記憶』(日本未来派刊)を上梓したあとで、潤いのある抒情詩はとくに印象深かった。

 その後『運河紀行』(木馬書房)『萩原朔太郎詩がたみ・漂泊の人』(宝文館出版)『鵜匠』(坂の上書店)『雲と郷愁』あたりまで薫陶を受けたのだろうか。
 
 詩誌「木馬」に拠る若手の才能を、持ち前の面倒見のよさから各々伸ばしていたように思う。

 ぼくの場合は、せっかく解説までいただきながら詩の世界に定着せず、そのころから小説に熱中していった。

 俳句から現代詩へ、そして自分なりの小説世界へと、ジャンルを超えて言葉・表現の模索がつづいている。

 その道のプロである(知恵熱おやじ)さんからは、しばしば「詩人の小説だなァ」というコメントをいただいているが、言葉に対する感覚はそういうものかもしれない。

 いわゆる文体と呼ばれるものがそれで、言葉を醸成してきた文学的体験がおのずから顕われているのだと思う。

 たとえば(超短編シリーズ)44『国旗屋』で試みた表現が、自分ではもっとも意図的であり、今回詩集の背景を転載する理由の一つに加えてもいいのではないかと考えた。

 提案してくれた(知恵熱おやじ)さんのコメントにも、そのあたりのことが示されている。

 まあ、それゆえに好意的な評価を寄せてもらっているわけだが、ぼく自身の指向する表現形態の良き理解者として感謝に堪えない。



 そうした成り行きから今回の提案をいただき、真意を受け止めたものの、いったんは躊躇したことを白状する。

 40年以上も前に詩集を編んだ経緯を、いまさら載せる意味があるのだろうか。

 青春時代の心のひだを、再度世間の目に曝す必要があるのだろうか。

 しかし、ぼくはすでに作品そのものを載せてしまったのだ。

 そして、詩を書いていた当時からの言葉に対する思いが、現在も連綿とつながっていることを意識している。

 決定的だったのは、「西岡さんて、どんな人ですか。当時からクボニワさんのことを見通しているじゃないですか。凄い人ですね」との(知恵熱おやじ)さんの一言。

 はるか昔のことと思っていたぼくは意表を衝かれた。

 同時に詩を載せたことに対する責任を感じた。

 腰の座らない半端な存在であるぼくを、理解してくれている人もいるのだ。

 ならば躊躇する気持ちを振り切って、再掲載しよう。

 現在のぼくにつながる表現への取り組みを、西岡光秋氏の解説によって跡付けて(見通して)もらおう。

 面映ゆいが、以下に解説全文を転記させていただく。


 
    「誓いの館」の背景

 一昨年の暮れ、見慣れない文字で宛名の書かれている一通の封書を受取った。裏をかえすと、窪庭忠雄とあった。名前は私が同人として名を連ねている俳誌『林苑』でしばしば見かけているので知っていたが、まだ会ったことはなかった。『林苑』で、「現代俳句論」を連載し、現代俳句の迷路等を真摯な筆で論じていた青年が、いったい何を私に言って寄越したのだろうと思いながら封を切ると、俳句の形式で詩心を詠むことに疑問を感じ、いっそのこと現代詩に転向したいが詩を見てくれないかという意味の文面だった。
 私は早速、私の主催している詩誌『木馬』への参加をすすめる返信を出した。十二号から窪庭君は『木馬』の同人となり、現在に到っている。

 ところで、窪庭君がなぜ俳句に行詰りを覚えて詩へ移行したのか、この問題はひとり窪庭忠雄個人のことではなく、日本の詩形式である現代詩と俳句、それに短歌も関わりをもってくる重大な課題である。日本人が日本の風土で詩を産むためにはどの形式が最も適しているかということではなく、ひとりの人間として生きて行くその過程において詩を感じるときに、どの詩型が自身にとって最上のものであるか、ということをまず振り返ってみるべきだと思う。そのことを、窪庭君は考えつづけた結果、自己の目標を現代詩に定めたのである。
 窪庭君についてはその俳句に関する評論、そしてその句しか知らなかった私は、初めて会ったとき彼の年歯の若さにいまさらながら驚いた。と同時に、短詩型について悩んだ経験と結論は、その若さと相俟って彼の今後を幅広い世界に押しすすめる原動力ともなっていると信じる。

 面識を重ねて二年目にして、『誓いの館』は編まれた。集中のどの一編を採ってみても詩に向ける熱意と成果の凡庸でないことを知らされる。
  河は 傷ついた時間の切口を
  なぜ鎮めてしまうのか
  われわれは
  いくさを否定するために
  戦争を必要とした
  愛を握らんとして
  砂の手を
  むなしく下げた
  このうえに何をしようとするのか
                「利根川堤にて」
 傷ついた時間の切口をいつも鎮めてしまう河に向かって、彼は思いきり眼を見開いてみつめる。この生の軌道に食い込もうとするむなしさの萌芽を、彼は丁寧に摘み取って行くのである。
 巻頭の「朝」では、
  おまえの朝は
  枠のない窓
 といい、
  敷布が白すぎるのだ
  影だけが
  生まれるのは
 と青春のある朝の倦怠と自己の託しようのない影の分身を掘り出している。
 なかでも「記憶の音」は、
  たまに静かな夜がくると
  ひとは虚空へむかって聞き耳をたてる
 と虚空へ向ける若い思惟が印象深い。「症状」「蚊よ」「雪国」「対話」など、この「記憶の音」と相通じるところの、孤独のたやすさに愛を忘れているひとり暮らしの都会に住む青年の凝視と、現代の抒情を再認識させてくれる感性に満ちあふれている。
 また詩集の表題になった「誓いの館」は、自己の存在そのものが透明な氷のかけらで築いた誓いの館と同質のものではないだろうかと率直な問いを投げかけているが、これは窪庭忠雄の詩の特徴の一断面を表象しているともいえよう。つまり、彼の詩精神が全身をもって指向しているのは、生きる価値観への飽くことのない探究心と懐疑の意志表示とであろう。現実へ融和しようと考えながらも不可解な生をめぐる自他への直視の眼は、この『誓いの館』一巻で悔いなく吐露されている。そしてまた、「ものがたり」にある<空の青が言葉を孕んだとき秋は深かった>という表現は、窪庭君がもともと詩語の把握の才の豊かであることを示してもいる。一編一編についていえることであるが、現代詩全般についていえる暴言的詩語が惹起する晦渋な面がないことは、すでに自己の詩の道を確かな歩幅でつかんでいる証左であろう。窪庭君の詩の今後の展開は、この的確な詩語を恵まれた感性をもって縦横に駆使する世界の拡がりにあるといえる。
 詩が抱き得る饒舌のおもしろさを打ち出した「するめ」は、窪庭君の真面目な性格の反面に、諧謔の一面があることを感じさせてくれるし、彼と付き合っていると、日ごとにするめの味を連想させられるから不思議である。作品「するめ」の持つ詩の味と、本当のするめの持つ味と、両様の成就が近い将来に見られることであろうとたのしみにしている。

 『誓いの館』は、はじめ『伝説の風』という表題で編まれ、詩集を手がけたことのない某社より出版の運びになっていたが、ここでそのいきさつを話していては苦い記憶にひたることになる。もとの詩稿に五編を新たに加えて出版することになるまでの窪庭君の心中に思いを馳せて、若干遅れた事情を書き添え、青年詩人としての窪庭君の処女詩集の晴れ姿を喜び、同時に清新な詩の醍醐味を味わいたいと思う。

 昭和四十二年一月二十四日
               西岡光秋



 四十数年たって読み直してみて、西岡氏のあたたかい配慮にあらためて頭が下がる。

 良い師、良い先輩にめぐまれ今日まで生き延びてきたわけだが、青年期に出会った人物の印象は忘れがたいものである。

 また、後半生の友人たちにも別の意味の支えを感じている。

 家庭や職場ではなく、単なる趣味でもない空間世界。

 そこに広がる精神の遊び場には、時間を超えてさまざまな魂が寄り集まる。

 つまり、人はみな一生を通して遊び仲間を探しているのではないか・・・・。

 そこでの出会いが、また絆を太くするのだろう。

 人生のはじめとおわりに道しるべを立ててくれた、不思議な案内人たち。

 (知恵熱おやじ)さんの示唆により、青年期からつづく一本の道をさかのぼり西岡氏の文章に出会う機会を得た。

 最初はびっくりしたが、ぼくの表現、ぼくの言葉の生い立ちを裏づけてやろうとする友情に動かされて、西岡氏の解説を全文引用することになった。

 「あとがき」も読み直してみたが、気負いが目立つだけで西岡氏の解説を超えるものは何もない。

 若気の至りとして、心のうちに埋めることにした。

 なお、<新むかしの詩集>は、残りの詩篇を小説と交互に載せる予定。

 (超短編シリーズ)も、当面の80篇を目標に準備中。

 個人的な経緯にとらわれるところがあったら、ご容赦願いたい。



     (おわり)




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2 コメント

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旅の思い出に浸り・・・・ (窪庭忠男)
2011-09-06 23:51:03
(くりたえいじ)様、旅のさなかの句会を思い出しました。
みんなユニークな作品をひねり出して、当方の規格品の句は影が薄かった気がします。
          
ともあれ今回、詩集の背景を再掲することで、良くも悪くも自分のアイデンティティーを曝け出す結果となり、肝が据わりました。
うれしい評言をいただき、感謝に堪えません。
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依って来たる背景 (くりたえいじ)
2011-09-06 13:02:50
もう十年以上もまえのことでしょうか、仲間が揃ったとき俳句の合戦みたいなことをして楽しんだことがありました。
ひとつのテーマを絞り、各々が俳句を絞り出したものですが、抜群に優れた句をひねりだしたのが窪庭さんでした。
本日、この「第一詩集の背景」を拝読してその源泉が何処にあったのかを再認識させられました。
遊び半分のぼくらとは全く違った地平にあったのですね。

小説にしても詩作にしても、窪庭さんの感覚がいつも研ぎ澄まされていることに感嘆しております。
ひとつひとつの表現=言葉が研ぎ澄まされており、それだけでなくその作品に高度の香気を漂わせています。

その依ってきたるバックグラウンドが表現され尽くしているようにも感じました。
良き先輩の後ろ盾があることも正直に吐露されています。

これからの出稿を楽しみにしております。
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