どうぶつ番外物語

手垢のつかないコトバと切り口で展開する短編小説、ポエム、コラム等を中心にブログ開設20年目を疾走中。

(超短編シリーズ)56 『たった一人のグランプリ』

2011-09-06 00:32:47 | 短編小説

     (たった一人のグランプリ)


 三田村ソラは、スタート地点に向かいながら、武者ぶるいをした。
 長い直線とカーブのきついバンクを抱えた立川のスタンドが、目の前にひろがっている。
 顔見せに一周した時とは違った緊張感があった。
 (いよいよ、この日が来た・・・・)
 ソラは両手で軽く頬をたたいた。
 同じスタートラインに立つのは、各地を転戦してきた先輩と数名の新人たちだ。
 このレースに出走を斡旋された選手が、九人順に並んでいる。
 ソラは第8コースからの発走だ。
 戦法はすでに頭にある。
 できれば自在に動ける中段につけて、あとはラインの出方を見て捲るつもりだった。
 (俺には誰にも負けないアシがある)
 競輪学校の卒業記念レースで、並みいるライバルを退けた自負もある。
 デビュー戦での苦戦を予想しながらも、ぎりぎり差し切るシーンを何度もイメージトレーニングしてきた。
 (冴子さん、見ていてくれ!)
 はたして彼女は、ソラのデビュー戦に関心を寄せてくれるだろうか。
 手紙で知らせてはあるが、いまどの場所にいるのかさえ分かっていなかった。
 留学先のウィーンで病に倒れたことは知っている。
 現在どのような病状なのか、自宅の住所に問い合わせの手紙を出しても返事はなかった。
「見ていてくれ!」というのは、ソラのせつない願望だ。
 ナシのつぶてであっても、未来へ向かう情熱をもう一度伝えておきたかったからである。
 (俺の思いは、冴子とつながっている・・・・)
 競輪選手になると伝えたあと、冴子の両親から交際を差しとめられたのだが、冴子自身はソラを思っていてくれると信じたかった。
 しかし、連絡が来ないのは事実である。
 病を得て日本に帰国したままなのか、それともすでにウィーンに戻っているのか。
 どこにいても、愛し合った記憶は胸の疼きとなってソラを苦しめる。
 ソラは、目の前に冴子がいるかのように観客席をみつめ、さらにスタンドの上に広がる青い空を見上げた。
「フーッ」
 緊張をほどくように、大きく伸びをした。


 ソラが冴子と初めて知り合ったのは、石神井公園の裏にあるドッグランの金網の中であった。
 彼が二歳のゴールデン・レトリバーをワンボックスカーから降ろしていると、ドッグランの隅の方で地面の匂いを嗅ぐ黒っぽい犬の姿が目に入った。
「ボルグ、こっちこっち・・・・」
 自分の愛犬を、黒い犬とは反対側のコーナーへ導きながら、ソラは首からリードを外した。
 腱鞘炎でテニスの練習を中断してからは、ボルグの世話はソラの役になっていた。
 このドッグランも、何度か訪れている。
 ボルグは、まだ幼さの残るしぐさで隅の地面を嗅ぎ、しばらくうろうろとあたりを動き回っていた。
 陽光を受ければ、明るい金茶にかがやく毛色が、この日はくすんだ褐色に沈んでいる。
 あきらかに運動量が足りていないのだ。
「ボルグ、いくぞ!」
 ソラは、コートのポケットからテニスボールを取り出して枯れ草の中央部まで投げた。
 垂れた耳をわずかに反応させたボルグが、すかさずそれを追う。
「ヘイ、カムバック」
 指示するまでもなく、犬はボールをくわえて飼い主のもとに戻ってきた。
 ソラの投げるボールが大きく弾んで、反対側にいる黒い犬の近くまで転がった。
 先ほどから興味津津だった犬が、もう我慢ならないといった様子でボールに飛びついていた。
「ケリー、だめよ」
 女の声が犬を制した。
 しかし、ケリーの紅い口の中にはすでに黄緑色のボールがくわえられている。
 ボルグが黒犬に体を寄せて、ボールを奪い返そうとした。
 ワン!
 ひと回り小さい黒犬が吠えた。
 とたんに、口の中からボールが転げ落ちた。
 ボルグ!
 ケリー!
 走り寄ったたソラと、フェルト帽の女性が同時に叫んだ。
 黒犬の飼い主は、屈んで犬を抑えながら「すみません」と謝った。
「アハハハ・・・・」
 ソラはおもわず笑い声をあげた。
 ケリーと呼ばれた犬が、もじゃもじゃの毛の中らキョトンとした目を覗かせて彼を見上げたからだ。
「いやあ、珍しい犬ですねえ。・・・・なんという犬種ですか」
 飼い主の女性は、フェルト帽の下から隼人の顔を見返した。
「ケリー・ブルー・テリアです」
「へえ、名前と一緒なんですか」
「親が、犬種を聞かれて答えられないと困るので、最初の部分を付けとくようにというものですから・・・・」
 睫毛の下の瞳が、いたずらっぽく光った。
「ハハ、なるほど」
 ソラがまた笑ったので、相手の女性も急に打ち解けたようだった。
「いい加減でしょう?」
「そんなことはないけど・・・・」
 相手はお返しとばかりに、ボルグの名の由来を訊いた。
「ああ、あれは有名なテニスプレーヤーの名を借りたものです」
 彼はひとしきり、世界の四大大会で活躍したプロ選手のエピソードを披露していた。


 冴子はピアニストになるのが夢で、地元の音大に通っているのだという。
 ソラが、多摩川べりのテニスコートで週に何回か練習していることを告げると、冴子は「ああ、見たことがある・・・・」とうれしそうに応じた。
「跨線橋にさしかかるとき、左手の建物になんとかテニスクラブと書いてある、あそこでしょう」
 冴子もまた、年に何回かは川を越えて大学の付属施設まで行くことがあるのだという。
 思わぬところで共通の話題ができて、ふたりは意気投合した。
 練習の合間を縫ってのデートは調整が大変だったが、私鉄を利用する冴子のことを考え、池袋駅ビル内の喫茶店が主な待ち合わせ場所となった。
 一年ほどは、順調な付き合いがつづいた。
 交際一年目の冬、ソラは無理な練習が祟って手首を痛め、整形外科に通うことが多くなった。
 痛々しい姿に同情を示す冴子に、ソラは「すぐに治るさ」と強がって見せた。
 しかし、翌年の大学対抗テニス大会をめざして焦った結果、炎症はさらに悪化した。
 もし、冴子の心に迷いが生じたとすれば、将来を見通せない一抹の不安が原因していたかもしれない。
 そうした時、「ソラ、おまえ他のスポーツをやってみる気はないか」と、テニスクラブの指導者から思いがけない提案が出された。
「えっ、どうしてですか」
「おまえの怪我はなかなか治りにくい。だけど足腰のバネの強さは天性のものだから、自転車に転向したらどうかと思ったんだ」
 ソラは、日ごろコーチが口にしていたジャンピング・スマッシュへのこだわりを思い出していた。
「バネを生かして角度のあるスマッシュを打ちこめ!」
 空中で背筋力を生かした強力な球を打つことができれば、外国選手とも対等に戦えるとハッパをかけられていたのだ。
 コーチは、そのころから注目していたソラの素質を、今度は競輪競技で活かそうというのだ。
「そんなこと、できますかね?」
「なに、心配ない。プロ野球やスケート競技から転向して成功した選手も少なくないそうだ」
 競輪場の関係者に知り合いがいて、何かの折に新人発掘の裏話を聞かされたのだと打ち明けた。
 ソラが決心したことで、話はとんとん拍子に運んだ。
 さっそく、日本競輪学校への入学試験を受けることになった。
 高卒以上の学力と、適性試験の合格が条件だったが、なんなくクリアできた。
 親の反対を弱めるため、大学を一年間留年した形で競輪学校に入校した。
 (いつでも戻れる・・・・)
 保険をかけるようなやり方は卑怯に思われたが、ソラ自身は大学に戻るつもりはさらさらなかった。
 競輪学校の施設は、伊豆修善寺の山の中にあった。
 訓練を受ける間は、入寮生活を義務付けられている。
 朝早くから起床し、カリキュラム以上の練習で鍛え上げる厳しい訓練だった。
 携帯電話の持ち込みを禁止されていたが、もとより冴子に電話できる当てはなく、その思いを手紙に書いて自身のバッグの中にしまい込んだ。
 返信のない手紙。・・・・初めのうちは空しさが伴ったが、その行為を続けることで折れそうになる心を叱咤した。
 賞金を稼いで、冴子のための練習ホールを造るまで、何があっても二人の出会いを信じていこうと心に誓ったのだ。

 
 レースはすでに残り二周となっていた。
 先導車について坦々と回っていた車列が、急に動き始めた。
 中段から、ソラと同様に前期卒業の新人が抜けだし、それをマークする先輩選手が上がっていった。
 ソラが気にする同郷のベテランは、まだ動かない。
 追い込みが得意ではあるが、落ち着きすぎている気がした。
 (このままでは、先行勢にやられてしまう)
 ラスト一周を告げる打鐘を聞くと同時に、ソラは最後方から踏み上げていった。
 それを待っていたように、同郷のベテランが背後についた。
 先行した三人がラインを組みなおして、いったん譲った先頭を奪い返しに行く。
 ソラはすかさず二番手ラインにつき、その直後で最終コーナーを回った。
 1番、3番が垂れ、直線で4番7番が伸びる。
 地脚の強い4番は特に警戒を要した。
 ソラは外から4番に並びかけた。
 この日のために磨きぬいた瞬発力を一気に爆発させた。
 (オレは空を飛ぶ!)
 祈りに似た気迫が臍に集中し、脚が撓っていた。
 背後から迫る気配は、同郷先輩である5番車のものだろう。
 ソラが緩めば、ゴール板で逆転される。
 息をつめ、耳をふさぎ、空気を引き裂いた。


 ゴール板を駆け抜けたあと、耳の栓が抜けたように歓声が押し寄せてきた。
 空耳なのか、冴子の声が聴こえる。
「ソラー、ソラーッ」
 たしかに冴子の声を聞いた気がする。
 (俺はキミに向かって走った・・・・)
 ちらっと目をやった電光掲示板には、8番、5番、4番の通過順が示されていた。
 勝ち抜いた興奮はまだない。
 来年のビッグレースにつながる一歩を踏み出せたことは確かだが、冴子との現実は白々と横たわっている。
 勝負はこれからも延々と続いていくが、冴子への思いをいつまで保っていけるものか。
 (キミのピアノがホールに響くまで、俺は頂点に向かって走り続ける・・・・)
 失恋を、まだ認めるわけにはいかない。
 冴子との輪郭のはっきりしない愛の姿に不安は残るが、とにかく俺は走り続けなければいけないのだ。
 ゴール寸前の逆転を手中にするまで、一点をみつめて脚力を鍛え上げる。
 多くの観客は必要ない。
 たった一人の背中を捉えるため、三田村ソラと登録された競輪選手はアシを撓らせるのだ。
 スタンドの上に、青空が見えた。
 ソラは、レース後の表彰を受けるために、ひとり車列を離れて発走地点に戻っていった。


     (おわり)

 





コメント (6)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« どうぶつ・ティータイム(1... | トップ | 新むかしの詩集(7) 「明... »
最新の画像もっと見る

6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
いい話ですね。 (ガモジン)
2011-09-06 09:36:13
友人に競輪ばかがいて、立川にも一度連れていてもらいました。
競輪場は、野次の世界でした。
返信する
人間臭い競輪 (知恵熱おやじ)
2011-09-06 17:55:29
競輪はスポーツというには過剰に人間臭さを孕んでいるような気がします。

己の足と頭だけで勝負するシンプルさには、人間的なるものが入り込む余地が多いのかもしれません。特にギャンブルとしての競輪には。

その一方純粋スポーツとしての自転車競技には、スケートなど他のスポーツから最後の肉体競技として転向してくる一流選手も珍しくありませんね。
肉体能力の基本である脚力を純粋にぶつけることが出来るからなのかな、などと想像していますが。
自らの残存肉体能力がどのくらいなのか、知りたいという本能が働いているのではと・・・こりゃーちょっと考えすぎでしょうかね。

この小説はそのどちらでもないもうひとつの競輪青春ドラマとして愉しませていただきました。やっぱり競輪は人間臭さの玉手箱だなあー。
返信する
馬鹿と名がつくまで・・・・ (窪庭忠男)
2011-09-07 00:15:29
極める友人。ガモジンさんの周辺には、そうした人間が多くいらっしゃるんでしょうね。
ガモジンさんなら「野次の世界」へ同道して、得るものが多かったことと思います。
チョイ齧りの小説にコメントをいただき、ありがとうございました。
返信する
人間のすべてが・・・・ (窪庭忠男)
2011-09-07 00:35:40
競輪をこよなく愛した作家・寺内大吉のことを思い出します。
「スポーツというには過剰に人間臭さを孕む」競技、競輪もストリップも共に内側にもぐりこまないと本当の面白さは書けないでしょうね。
      
残存肉体能力を試すという切り口、それも面白いのではないでしょうか。
すでに鬼籍に入った友人のジュニア小説を、胸の内でパラパラめくっています。
返信する
スポーツへの深み (くりたえいじ)
2011-09-15 15:32:31
歓喜と悲嘆が交錯するような青春小説、読んでいて胸にぐっと来るものがありました。
テニス転じて競輪に向かっていくソラと、音大生の冴子の確かでも不確かでもない愛の交感が切なく描かれているような……。
決着は読者任せといったところも窪庭流でした。

それにしましても、この種のスポーツ小説を作り上げていくには、それ相当の知識を要するでしょう。
その辺りをさらっと書き流してしまう力量は大したものです。
著者自身がテニスや競輪の経験があるに違いないと思わせる筆運びに脱帽します。
返信する
スポーツ&ギャンブル (窪庭忠男)
2011-09-17 01:40:40
くりたさん、コメントありがとうございます。
まあ、経験のほうはともかく人間臭い競輪選手には興味がありますね。
いまや大モテのスポーツ・タレントと違って、汗とカネと罵声にさらされる男の世界は、奥が深く魅力的だと思います。
40~50歳代の選手が活躍できる(あるいは衰えてゆく)舞台は、他にはそうないでしょうから・・・・。
返信する

コメントを投稿

短編小説」カテゴリの最新記事